X680x0の記憶

−あるいは68を中心にした1980年代〜90年代国産PC衰亡史−


 その昔、と言っても1986年の事だから今からざっと20年程前の話だが、世間的に見てパソコンが未だ「高級なゲーム機」といった程度の認知度でしかなかったその頃、日本国内向けホビー用パソコンの王者と言えばNECのPC-8800シリーズだった。

 具体的にどういう機種があってどういうソフトが売れていたかについては本稿の趣旨に反するので省くが、ともかく88(注1)がゲームをしたがる子供の欲しがるパソコンのNo.1だった。

 実を言えば、この頃にはもう既に上位機に当たるとされた(注2)16bitマシンであるPC-9800シリーズは普及しつつあって、NEC自身が「これでPC-9801シリーズは完成した」と誇らしげに宣言した程の傑作機として記憶されるV30搭載のPC-9801VM(注2-1)から、V30と80286を搭載(注3)した後継機種であるVXへと移行しようかという時期だったのだが、いかんせん98は高価(注4)で、おまけにサウンド機能も貧弱(注5)ときては、高級機であるという以上の認識は求める方が無理というものだった。

 この状況は、そろそろ「マルチメディア」というキーワードが世間的に市民権を得るようになって来た(注6)事に対するNECの回答とも言える、88のサウンドボード2相当+DSPによるADPCM/PCM機能を実装したPC-98GS、及びそれに内蔵されたのと同等の機能を備えたPC-9801-73ボード(注7)の出現(1991)まで、長く続く事となった。

 もっとも、流行あるいはハードの可能性や性能に敏感な層はこの時期、そろそろ高速マシンとしての98に乗り換え始めていて、一太郎の威力でビジネス市場をこのシリーズが制しつつあった事、それにエプソンが低廉な98互換機を出し始めた事もあって、そういった88の性能では不満足な層を対象に、88では不可能な機能を実現した事を謳い文句にするゲームソフトもある程度出そろい始めていた(注7-1)のも確かである。

 では、この頃他のメーカーはどうだったかというと、富士通とシャープ以外の各社は大概がこの頃までに自社オリジナルのハードを捨て、ASCII/Microsoft両社の提案によるMSX規格に乗り換えてしまっていて(注8)、実質的に敗北宣言を出したも同然の有様だった。

 何故敗北宣言かというと、結局の所この大同団結でメリットがあったのは松下にソニー、あるいは三洋と、家電関係でそれなりに販売網を抱えていて量産能力を備えたメーカーに限られたからだ。

 加えて言えば、MSXのウリであったROMカートリッジによるソフト供給/機能拡張も限界(注8-1)があって、最終的に3.5インチFDによるソフト供給に移行していった事は、3.5インチドライブの開発メーカーであるソニー(注8-2)等には有利に働いたけれど、それを買って自社マシンに組み込まねばならない他社にとってはあまり美味しい所の無い(注9)話であった。

 更に言えば、MSXがメインターゲットとした市場に、より安価でより割り切った設計のファミリーコンピュータ、いわゆる初代ファミコン(注9-1)が急速に普及していったとあっては、弱小メーカーにとってはうまみも何もあったものではなく、この後MSX2(グラフィック性能向上) → MSX2+(グラフィック性能向上) → MSX turboR(16bit CPUであるR800の搭載によるCPUの高速化)と本来の仕様からは想像を絶する程の恐竜的進化を遂げていったもののその度に脱落メーカーが続出し、最終的に自然消滅に追い込まれていった(注10)

 MSXの話も私自身大して詳しくないのでこれ位にして、残る2社について語ろう。

 最終的にFM77AV40EXという68B09(注11)搭載で26万色発色可能という、8bitマシンとしてはほぼ限界に近いAV機能を搭載したマシンにまで発展する事になるFM-7/77シリーズを擁していた富士通は、この時期FM-77AV2として従来機との互換性を維持しつつ4096色同時発色可能に代表されるグラフィック機能を拡張した“FM77AV”シリーズの初代モデルを発表したばかりで、98との戦いが激化していた事務機としてのFM-16β(注12)→FMRシリーズの方にも注力せねばならなかったから、ホビー用に何か別の物を出す余裕はなかった。

 というか、まだこの頃はFM-7/77用のゲームがそれなりに潤沢に供給されていた(注12-1)から、それを御破算にしてまで新マシンを出すのは得策ではなかった。

 無論、色々研究はしていただろうが、ソフト資産の継承(注12-2)やチップの生産コストその他を考慮すると、その時点では16bit以上のMPUを搭載した新規アーキテクチャでマシンを開発する事は現実的ではない、と考えていた様である。

 これに対して、X1とMZの2つのラインを持っていた(注12-3)シャープの場合は事情が異なっていた。

 まず、8bitマシンとしてはほぼ国内最後発グループに属する(注12-4)「パソコンテレビ」X1シリーズは、元来テレビやビデオなどの生産を担当する栃木工場(AVシステム事業本部)の力作であった。

 家電系事業部ならではの遊び心に溢れた、そのくせ簡潔にして要を得た「枯れた」ハードウェア設計を備えるこのシリーズは、社内のライバルにして先輩格であるMZシリーズの最大の特徴であった“クリーンコンピュータ”思想(注13)を継承しつつ、Z80というCPUの仕様書外仕様に依存したグラフィック回路の設計(注14)、スプライト機能の祖形とでも言うべきPCG(プログラマブル・キャラクタ・ジェネレータ)の搭載、専用テレビによるスーパーインポーズ機能、そしてこのシリーズの消長を決してしまった電磁メカフルロジックオペレーション(注15)データレコーダの搭載といった後発機のメリットを生かした機能に満ちており、実際にもその機能をフルに生かしたソフトが幾つも発売された。

 特に、“ゼビウス”(ナムコ/電波新聞社)と“ザナドゥ”(日本ファルコム)の2本はデータレコーダの性能をフルに発揮する事でFD版のみならずテープ版(注16)をも実現していて、これは他の機種では到底考えられない事であった。

 もっともそれ故に、データレコーダの性能が飛びぬけて良かったが故にこのマシンのユーザー層へののFDドライブの普及はかなり遅れたきらいがあって、それが原因の一つとなってこの頃にはX1系のソフト市場は次第に衰退し始めていた(注17)

 このX1シリーズと共にシャープのパソコンとして著名であったのが先程から何度も名前の出ているMZシリーズである。

 宿敵NECのTK-80がそうであった様に、量販チャネルを持たない電子部品部門(後に情報システム事業本部へ移管)から半完成状態で出荷される組立キットとしてひっそり発売されたMZ-80Kに始まるこのシリーズは、NECのPC-8001と共に日本のPCの黎明期を支えた名門であったが、途中で事業部の縄張り争い等の関係からかシリーズが細分化し過ぎて(注18)それぞれのセグメント分割に失敗するという営業戦略上のミスがあり、しかも下位機種において正規のフロッピーディスクドライブ搭載が遅れた為に、この頃には衰退期を迎えていた。

 この落日の名門は、天理周辺に所在する工場群(注19)が生産を担当していたが、この少し前にはその老舗としてのメンツをかけた新型機が、俗にスーパーMZとして知られるMZ-2500シリーズがホビー市場向けに投入されていた。

 この機種はZ80A(4MHz)の高速バージョンであるZ80B(6MHz)をCPUに採用しており、3.5インチFDドライブ2基に加えてソフト互換性維持の為にX1系に類似した仕様の電磁メカデッキ搭載データレコーダを内蔵し、更に専用モデムフォンさえ準備されていて、それを利用してデータレコーダを留守番電話代りに使う事が出来る(注20)など、大技小技入り乱れて非常に使い勝手の良い、そして8bit機としてはかなり高速なマシンであった。

 このシリーズで強調すべきは、過去のシリーズにおける既存ソフト資産の継承に対して、これ迄になく注意が払われていた事で、それ故にこのマシンは古いMZを持っていた層からは熱狂的に支持された。

 特に、2世代目の上位機種であるMZ-2531“SUPER MZ V2”は、その多機能性と通信機能の使い勝手の良さ(注20-1)故に随分長くマニアに愛され、このマシンをホスト機にして草の根BBSを始めた人間も多かった程であった。

 しかし、時期を逸してからの投入となったこの機種に対するソフトハウス及び一般ユーザーの反応は厳しく、この時期には排他動作のデュアルCPUでソフト的な互換性を維持しつつ16bit化し、なお且つPC-9801UVのソフトを動作させるエミュレータ(注21)を搭載したMZ-2861に移行して、結局MZはホビー市場から撤退(注21-1)してしまった。

 この様に社内の2事業本部が同じ市場で相争う状況にあったシャープでは、社内で生き残りを賭けた激しい競争が行われた訳だが、最終的にホビー市場向けで生き残ったのは後発のX1を擁するAVシステム事業本部の方であった。

 何故そうなったか、といえばそれは偏にX1グループの方がアーキテクチャの互換性維持に対して注意深い配慮を怠らなかった為、と考えられる。

 実際、X1/X1turbo/X1turboZの3種に大別される(注21-2)このシリーズは前記の順で発展し、常に前の系統との互換性を維持し続けていたのであり、MZ系が2500系を除き、ともすれば個々の性能を追求するあまり、単体としての性能は優れていてもファミリー内でのデータ/ソフトウェア(注22)の互換性に欠けて使い勝手が悪かった為に、開発者はともかくエンドユーザーの信頼を喪って失速してしまった事から考えると、それは賢明な判断であった。

 加えて言えば、X1についてはその開発段階から大手ソフトハウスが、具体的に言えばハドソンが後にHu-BASIC(注22-1)と呼ばれる事になるオリジナルBASICの開発に関わっていた事も重要な意味を持っていた。

 ユーザー向けに開放された開発言語として当時一般的だったMicrosoft製のBASICではなく、敢えて独自のBASICを採用するに至った経緯は今となっては明らかでない(注23)が、この強力を極めた上に高速動作を実現したBASICの存在がユーザー層に与えた影響は無視出来ないレベルのものであって、以後このマシンで多くのプログラマが育つ事となった。

 そのX1を生み出したAVシステム事業本部がこの年1986年10月のコンピュータショウで試作機を発表し、翌年2月より初代機の製品出荷を開始したのが本題のX68000シリーズである。

 同社初のホビー用16bitマシンとなるこの機体は、MPUにマニア憧れの68000(注24)を搭載し、RAMも1MB標準搭載で最大12MB搭載可能(注25)、FM音源(注26)と国産では恐らく最初のADPCM音源(注27)による強力なサウンド機能、MacintoshのSONY製オートイジェクト3.5インチフロッピーディスクドライブに倣って設計された5.25インチのオートイジェクト機能付きフロッピーディスクドライブ、それにテキスト/グラフィックVRAMでそれぞれ512KBを割り当て(注28)、加えてマウスカーソル用メモリやスプライト機能まで搭載した当時最強のグラフィック機能、と当時のパソコンマニア達が冗談半分で言っていた夢のパソコンに求められる機能の大半を備えて設計され、“ツインタワー”あるいは“マンハッタンシェイプ”と呼ばれた独特の斬新なデザイン(注28-1)の筐体に収められた上で“パーソナル・ワークステーション”と銘打たれて発表された。

 同機の発表時に人々が見せた熱狂ぶりは筆舌に尽くし難い物があった。

 何故ならこのマシンには、パソコンそのものの性能やスペックにこだわるマニア層だけではなく、ゲームに入れ込むユーザー層を取り込む為の仕掛けが施されていたからだ。

 「あの“グラディウス”が本体の付属ソフトとして付いて来る!」

 そう、このマシンは全くの新規設計アーキテクチャに基づくものであった。

 それ故に、未だ海の物とも山の物ともつかなかった事に対する配慮として最低限のソフトが、つまりこの場合はOS(注29)と、その上で動作するGUI環境(正しくはアプリケーションランチャと見るべきであろう)であるビジュアルシェル(VS.X)、マウスオペレーションを実現したワープロ(WP.X)、C言語ライクの関数型の構造を備え、If文の多重行記述など、既存のMicrosoft系BASICでは実現不可能であった機能を多数実現したX-BASICと呼ばれるオリジナルBASIC、福袋と称する一種のおまけディレクトリ内に収められたアセンブラ(AS.X)とリンカ(LK.X)それに何よりコナミの横スクロールシューティングゲームの傑作、“グラディウス”の移植版(移植担当はSPS(注29-1))が、本体にバンドルされていたのだ。

 最初から最低水準とは言え開発環境(注30)が提供されていた事が示す通り、このマシンの性格は先行するMC68000搭載マシンであったApple Macintoshとは正反対で、非常に開放的なコンセプトの下に企画されていた事が伺えよう。

 またその一方で、このマシンはあれ程互換性に注意を払ったX1の後継機でありながら、そのソフトウェア資産の継承には全く配慮が払われておらず、寧ろそういった旧機種用のソフトに対する配慮が逆にこの新しいマシンの性能を発揮する妨げになるとして、意図的且つ積極的に古い資産の大半を切り捨てていた(注30-1)部分があった。

 だが、それゆえにこそ、このマシンは市場での成功を収めた。

 本当の意味で今まで以上に凄い物が見られるならば、何も古いソフト資産に固執せねばならない理由はない。

 そして、バンドルされていた“グラディウス”、あるいはこのシリーズの発売開始から暫くして電波新聞社マイコンソフトより発売された一連のアーケードビデオゲーム移植作品群(注31)は、旧来のマシンの為に買い揃えたソフトの事を例え一瞬でも忘れさせる程の強烈な魅力を店頭ディスプレイ上で放っていて、テレビ事業部の採った方針が間違っていない事を暗黙の内に肯定していたのである。

 以下に示すのは、このX680x0シリーズ各機種の概要である。


CZ-600C・-BK(無印:グレー -BK:ブラック)

 X68000

  RAM:1MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \369,000

  発売開始時期:1987年2月(600C)・1987年11月(600C-BK)

 記念すべき初代68。饗宴の日々はここに始まった。

 アーキテクチャのみならず、ツインタワー筐体やトラックボールマウスなど、印象的な外装デザインの殆どもこの機種で確定している。

 また、画期的な新機種でありながらIPL-ROMの内容に殆ど問題が無く、ハードウェア的にもほぼ完璧(注32)な出来であった事は高く評価されるべきだろう。

 尚、-BKはその生産の末期になって追加されたブラックモデル(当初はグレーのみ)で、この頃に基板の改修が行われたらしく、この-BKモデル追加後の600Cはいずれも、汎用ICが用いられていた回路のASIC化が進められ、かなりACE系に近い仕様になっている。

 ちなみに増設RAMは1MBの専用ボード(CZ-6BE1:ACE以降の物とは形が異なる)を装着した上でそれ以上は拡張スロットにCZ-6BE2/4/8等を増設して12MBフル実装を実現するが、拡張スロット数が2つしかないので、純正では実用を考えると事実上最大10MBに留まった。


CZ-601C-GY・-BK/611C-GY・-BK(-GY:グレー -BK:ブラック)

 X68000 ACE/ACE-HD

  RAM:1MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \319,800(601C) \399,800(611C)

  発売開始時期:1988年2月(611C)・1988年3月(601C)

 2世代目の68。基板集積度は初代と比べて大幅に向上しており、それによって初代の時点では不可能だったHD内蔵を可能としている。

 増設1MBRAMは基板レイアウト変更の関係で新規設計のCZ-6BE1Aに変更され、HDモデルでのSASI-20MBハードディスク搭載の関係から左側タワー内の電源部等の小型化が実施(なのに601CはHDDは搭載不可であった)されている。

 低価格化とHDD搭載を実現したが、近年内蔵HDDがまともに動作する機体を見かける事は稀となっている(注32-1)


CZ-602C-GY・-BK/612C-GY・-BK(-GY:グレー -BK:ブラック)

 X68000 EXPERT/EXPERT-HD

  RAM:2MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \356,000(602C) \466,000(612C)

  発売開始時期:1989年2月

 初の2MB RAM搭載モデル。これで漸くグラフィックVRAMをRAMDISKに割り当てなくても済む様になった。

 思えばこの頃がX680x0の最盛期ではなかったろうか?

 なお、HDはSASI 40MB(PROも共通)で、今回からはHD無しのモデルでも純正増設HDが用意され、後から追加搭載が可能となった。

 RAM増設は拡張スロットに2MB単位の容量のボードを装着。


CZ-652C-GY・-BK/662C-GY・-BK(-GY:グレー -BK:ブラック)

 X68000 PRO/PRO-HD

 RAM:1MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \298,000(652C) \408,000(662C)

  発売開始時期:1989年2月

 事実上の値上げとなったEXPERTの発売に伴うユーザー救済と、ビジネス市場の開拓(どうやらこの頃のシャープはそんな事を考えていた節がある)を目的に設計された低価格互換機。

 68のシンボルであるツインタワーを捨て、当たり前のデスクトップ機(それでもシャープは「これこそが意表を突いたデザインである」等と嘯いていた・・・)となったが、本体内蔵拡張スロットが倍増の4スロット構成となった事や、添付マウスが普通の物(CZ-8NM2A:元来はX1turbo用)となった事、それにキータッチは良くないがパームレスト部の大きなキーボードが付いてきた事は(一部で)歓迎された。

 因みに互換性が低い部分が幾つか(FDDとかSRAMとか・・・)有り、しかも拡張スロット本数の割に電源がかなり弱いので、各種拡張ボード等で動作保証対象外となる事が多い。

 RAM増設はACEと同様。


CZ-603C-GY・-BK/613C-GY・-BK(-GY:グレー -BK:ブラック)

 X68000 EXPERT II/EXPERT II-HD

 RAM:2MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \338,000(603C) \448,000(613C)

  発売開始時期:1990年3月

 EXPERTの低コスト・SX-WINDOW 1.0搭載モデル。

 基本的な仕様には変更はなく、HDもSASI 40MBのままである。

 RAM増設はこれもEXPERTと同様。


CZ-653C-GY・-BK/663C-GY・-BK(-GY:グレー -BK:ブラック)

 X68000 PRO II/PRO II-HD

 RAM:1MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \285,000(653C) \395,000(663C)

  発売開始時期:1990年3月

 PROの更に低コスト化・SX-WINDOW 1.0搭載モデル。

 いよいよ互換性にマズい点が見られ、特にウィルスチェッカーの常駐さえ阻む不安定動作プロテクトのかかったSRAM周辺の回路設計は秀逸であった(苦笑)。

 HDはSASIで、最後まで生産された10MHzクロックグレーカラーX68となった。

 RAM増設はACEと同様。


CZ-604-TN/623C-TN(-TN:チタンブラック)

 X68000 SUPER/SUPER-HD

  RAM:2MB MPU:HD68HC000-10 標準価格 \348,000(604C) \498,000(623C)

  発売開始時期:1990年6月(623C)・1990年12月(623C)

 初の純正(そうでない物はこれに少し先行してハドソンの手で開発され、主として5inch MOの接続用として外販されている)SCSIインターフェイス搭載モデル。

 SCSIの搭載に伴い、これまで搭載されて来たSASIは廃止され、内蔵HDDも当然3.5インチハーフハイトの81MB SCSIモデルに変更されている。

 この内蔵SCSIがSCSI-1規格準拠であった為、後年3.5inch MOが台頭して来る頃に当機と、このインターフェイスを継承した次のXVI系マシンのユーザーは苦労する事となる。

 因みに、この機種で初めてSX-WINDOW(Ver.1.0)が搭載され、これまで搭載されていたMacライクなビジュアルシェル(VS.X)のバンドルおよび開発は打ち止め(注33)となっている。

 RAM増設はEXPERTと同様。


CZ-634C-TN/CZ-644C-TN(-TN:チタンブラック)

 X68000 XVI/XVI-HD

  RAM:2MB MPU:HD68HC000-16 標準価格 \368,000(634C) \518,000(644C)

  発売開始時期:1991年4月

 シリーズ初の高速動作モデルであるが、期待された32bitマシンではなく、単なる高クロック動作化に留まった為に市場に失望感を生んだ不幸なマシン。

 このモデルではSX-WINDOWはVer.1.1となり、Ver.1.0では不満が多かった描画が格段に高速化されたので随分使える様になった。

 RAM増設は16MHz駆動の内蔵専用スロットへの装着で+6MB、10MHz駆動の拡張スロット(互換性維持の為クロックアップされなかった)への装着で残り4MBを埋めるという変則的な構成で、しかもその専用増設メモリがまず2MBのCZ-6BE2A(\59,800)を挿し、次にCZ-6BE2B(\54,800)を2枚挿す事でやっと6MBが埋まる、という信じがたい価格設定であった為にいよいよユーザーの離反を招いている。

 とはいうもののマシンそれ自体の出来は非常に良く、68系マシンが今尚続く"クロックアップ"という道を開拓出来たのも、このマシンのもって生まれたポテンシャルの高さに依る所が大きい。


CZ-674C-H(-H:グレー)

 X68000 Compact XVI

  RAM:2MB MPU:HD68HC000-16 標準価格 \298,000

  発売開始時期:1992年2月

 初の3.5inch FD搭載モデルでマウスはCZ-8NM2Aが付属している。

 低コスト化の為か極限まで小型化されたその実装技術(それでも、流石に開発時点ではHDDは内蔵出来なかった(注34)らしい)と、まるで箱根細工の様な見事なプラ成形技術(注35)を見せつける匡体設計は注目に値したが、それ以外には付属するSX-WINDOWがVer.2.0となった(注36)事以外XVIとほぼ同様(流石に殆ど使用されなかったイメージ端子は廃止された)の、特に取る所のないマシンである。

 強いていえば、キーボードが長らく苦情が集まっていたCAPSキー等の配置が改善された10キー無しの新型になった事と、デフォルトでは2HD以外は受け付けない、という頑固な仕様の新型オートイジェクト3.5インチFDドライブが注目に値した(笑)位であろうか。

 但し、この機種については同時発売されたオプションにこそ注目すべきものがある。

 この時期の製品としては時代を超越した液晶モニタ(LC-10C1:\598,000!!)が純正オプションとして用意されていたのだ。

 これは当時のPC/AT互換ノートPC用10.4インチカラーTFT液晶パネルを転用して作られた製品で、当然の様に解像度は640*480専用であった。

 恐らくこれとCompactを組み合わせて省スペースデスクトップPCを、という提案であったのだと思うが、如何せんこのディスプレイはあまりに高価で、ゲームも出来ない(注37)とあっては、そもそも売れる事を期待する方が間違っていた。

 当時この種のコンセプトに基づくグリーンPCという構想が提唱されつつあった(注38)から、自社の既存品を利用してその時流に乗ろうとしたのではないかと思うが、どこかピントが外れた企画であった。

 当機のメモリ増設は基本的にXVIと同様だが、CZ-6BE2Aに代えてCZ-6BE2Dを用いる様になっている。

 なお、当機種には満開製作所によるMPUクロックの16MHz→24MHzオーバークロック改造モデルである“REDZONE”(注39)が存在する。


CZ-500C-B/510C-B(-B:チタンブラック)

 X68030/X68030-HD

 標準価格 \398,000(500C) \488,000(510C)

  発売開始時期:1993年3月

 X680x0の歴史の掉尾を飾る、最初で最後の32bit機シリーズの5インチ版。

 MPUの32bit化に伴ってOSが刷新され、Human 68k Ver.3.0(出荷時期によって少なくとも3.00と3.01が存在した)+SX-WINDOW Ver.3.0となった(注40)

 搭載MPUはコストダウンの為、MC68EC030RP25というMC68030のMMU省略バージョンであったが何故か正規のMC68030用ソケットに実装されていて、しかもMMU関係の結線もきっちりされていた為、後日MPUの正規版MC68030への換装によるNetBSD動作環境の構築が流行(注41)する事となった。

 また、この機種のメモリは一般的なDRAMやFast Page Mode DRAMではなく、Static Column Mode DRAM(注42)という、他に殆ど採用例の無いメモリが採用されている。

 HD内蔵モデルのHDDはSCSI-80MBだが、SUPERやXVIと異なり、2.5インチのドライブ(これはCompactモデルにHDD搭載を実現する為に選択されている)が採用されており、FDモデルには80MBと160MBの2種のオプションHDDが純正で設定されていた。

 但し、物理的にはこれまで通り3.5インチベイが用意されており、積もうと思えばコネクタ規格さえ合えば1GB HDDでも2GB HDDでも積める様にはなっている(注43)

 RAM増設は4MBのドーターボード(CZ-5BE4:\54,800)に4MBの孫ボード(CZ-5ME4:\49,800)を挿す事で実現されるが、実際には大抵のユーザーがI-O DATA製SH-5BE4-8M(\55,000)1枚で一気にフル実装にしてしまっていた様である。

 ちなみに、32bit化によってFPUのMC68882を直接マザーボード上に実装可能(注44)となっている。

 この機種では、増設FDD端子とイメージ端子はコネクタをシュリンクして搭載されたが、立体視端子は廃止された(注45)

 付属OSはHuman68K Ver3.0+SX-WINDOW Ver.3.0で、初代機以来一貫して付いてきた"ワープロ.X"はSX-WINDOW 3.0上の"シャーペン.X"(注46)の登場によって付属取りやめとなっている。


CZ-300C-B/310C-B

 X68030 Compact/Compact-HD

 RAM:4MB MPU:MC68EC030RP25B

 標準価格 \388,000(300C) \478,000(310C)

  発売開始時期:1993年5月

 X68030のCompact版。

 出荷開始時期で言えばX680x0シリーズの最終モデルという事になる。

 実装技術の進歩によって、この小型筐体でも何とか2.5インチHDDが内蔵出来る様になった。

 また、搭載OSであるHuman68k Ver.3.0でフロッピーディスクの容量管理ブロックが動的にサイズ変更出来る様に仕様変更されたので、先代のCompact XVIで問題とされた内蔵3.5インチオートイジェクト対応フロッピーディスクドライブが1.2MB 2HD専用から2DD/2HD 2モード対応品に変更(注47)されている。

 メモリ増設やFPU搭載方法、それから付属ソフトウェアはX68030と共通であるが、付属するキーボードとマウスはCompact XVIに準じる。

 また、この機種についてもイメージ端子と増設FDD端子、それにSCSI端子はX68030(CZ-500/510)同様コネクタをシュリンクして搭載されたが、立体視端子はそもそも物理的に搭載スペースが確保できないので省略されている。


 以上の通り、このX680x0シリーズは1987年2月発売の初代機から1993年5月発売のX68030 Compactまでの6年間に基本11モデル、バリエーション総計で31モデルが発表され、販売された訳であるが、実の所アーキテクチャから見ると初代→ACE→EXPERT→EXPERT II・SUPERの4世代間は殆ど変化が無く(注48)、それに続いたクロックアップ版のXVIもクロック切り替え機構が追加され、各チップが高耐性の物になった以外はSUPERと共通であった(注49)

 これに対して、内蔵フロッピーディスクドライブが3.5インチ化されたCompact XVIで初めてアーキテクチャに関わる変更が実施されていて、前述の純正液晶モニタに対応する為にこれまで2個搭載されていたCRTC用ドットクロックオシレータに、新たに50MHzのオシレータ(注50)が追加されたが、これは事実上SX-WINDOW 2.0/3.0/3.1専用で、既存ソフトから見ればXVIとほぼ同一であった。

 また、廉価版であったPRO/PRO IIにしても、ハードウェアを直接叩く様なトリッキーなソフト(注51)でない限り、基本的に同時期のEXPERT系と同じ動作を期待出来た。

 つまり、実質的には初代以来のMC68000搭載モデルは基本的に同一アーキテクチャであったという事で、32bit化されたX68030/X68030 Compactのみが異なる仕様のハードウェアであったという事になる(注52)

 この時期、後発のライバル機種と目されていた富士通のCD-ROMドライブ搭載マルチメディアパソコン、FM TOWNS(注52-1)が初代のIntel 386DX 16MHzから486、PentiumへとどんどんCPUパワーを強化していた(注53)事を思うと対照的で、事実ユーザーはかなり歯がゆい思いを強いられていたのだが、残念ながらX680x0シリーズは030で打ち止めとなってしまった。