いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)

西暦2005年4月−6月分


西暦2005年4月2日 “2型58号”

 2型58号竣工。

 今回の変更点は「ストレージコントローラー雑感」への「DC-390U2W / Tekram」、「SCSI-68-PCI / Unknown」、それに「eXtremeRAID 1100 / Mylex」の追加、各ページの追補訂正、表記の統一、一部ページへのカード画像追加、「音の源へ」への「Hammerfall DSP 9632 (HDSP 9632) / RME」、「Sound BLASTER Live! 24-bit / Creative」、および「Sound BLASTER Audigy LS Digital Audio / Creative」の追加と各ページの追補訂正、「台車から見た下津井電鉄の車輛」の一部書き換え、「下津井電鉄の電車についての略解」の写真1枚追加と微妙な追補訂正、など。

 分量的に多いのか少ないのか微妙な感じだが、「今はこれで精一杯」という事で。


西暦2005年4月12日 “GIU2V-PCI”

 某店のポイントがあったので、玄人志向のGbE・IEEE1394a・USB2.0複合カードのGIU2V-PCIを購入。

 これはVT6212L(USB2.0/PCIブリッジ)・VT6122(GbE)・VT6306(IEEE1394a)を搭載したVIA尽くしの一品で、最近流行のこの種の複合カードには珍しく、GbEがあの忌々しい蟹(REALTEK)じゃなかったので購入してみた。

 が、帰宅後色々チェックしていてとんでもない事態が発覚した。

 私の部屋にある現在稼働中のPCIスロットを持つ各マシンの中で、このカードが正常動作したのはたった1台、Thunder K8Wを搭載するAT新1号機だけだったのだ。

 まぁ、Ra266やRvII26でこのカードを挿し、電源を入れてもピポとも言わず起動すらしないのは仕方ない(恐らく、98のITF/BIOS ROMに存在するPCIブリッジ以下に所在するデバイスの検出/リソース取得ロジックにまつわるバグで、VT6212L内部のバスアービタの下にある各USBデバイスや他の2チップを正常認識出来ずにコンフリクトを引き起こしているものと考えられる)としても、真っ当なAT互換マザーボード、それも天下のSUPRE MICROが手がけたSUPER PIIIDMEで「64bit PCIスロットに挿さないと駄目で32bit PCIスロットに挿すと起動出来ない」・「64bit PCIスロットに挿してもWindows上から見るとリソース取得に失敗して何をどういじっても正常動作しない」というのは如何なものか。

 Intel 840+MRH-Sのマザーボードに色々問題があるのは承知しているが、マルチデバイスのカードを挿したくらいでここまでひどい挙動を示すというのは洒落で済まない。

 恐らくこれは、同社としては「無かった事にしたい」製品なのだと思うが、品質劣悪なケミコンを平気で実装していた事といい、このBIOSの手抜き(これは手抜き以外の何物でも無い。そうでなくとも、このPIIIDMEのBIOSは最後にベータ版が提供されて以来、正式版が提供されないままに5年も放置されているのである)といい、どう好意的に評価してもとても褒められた話ではなく、あの会社にはこういう粗雑な製品を平気で世に送り出す無神経な一面が存在する事は覚えておいた方が良いだろう。

 無論、どの会社にも多かれ少なかれそういう部分はあるものだが、これはちょっと度が過ぎていると思う。

 話がずれたが、そんな訳でGIU2V-PCIは当初計画していた使途での利用が不可能となった為、取りあえずAT新1号機に挿しておき、いずれ帰省時に実家放置中のAT新2号機(このマシンにはUSB2.0はカードを挿してあるが実装チップの世代が古いため低速で、またGbEやIEEE1394aはハナから搭載されていないので、このGIU2V-PCIは(動けば)好適という事になる)にでも持って行く事を計画している。

 ちなみにAT新1号機上でのこのカードの動作は期待通りの高速ぶりで、それだけに98やPIIIDMEでマトモに動かなかった事が恨めしい限りである。


西暦2005年4月13日 “GIU2-PCI”

 昨日のGIU2V-PCIがアレだったので、前作に当たるGIU2V-PCIを探して購入してみる。

 こちらは98に挿して起動するとピポ音が鳴って映像信号が出力され、Windows2000でもPnPで検出後ドライバのインストールまでは全て正常に機能したのだが、通常状態ではIEEE1394がリソース取得出来ず(まりも氏のCHACHAを使用すれば出来るようになった)、状態の如何に関わらずLANでデータ転送するとデータが悉く化けるという恐ろしい状態になったので、これも98では使用不可能と判明した(合掌)。

 で、98で動作したという事はGIU2V-PCIとはリソースの割り当てや内部接続の構成がかなり違うという事であるから、PIIIDMEで動く可能性があるという事でAT新3号機へ転用。

 果たして挿しても起動が可能で、しかもこちらでは一応正常動作する事が確認出来た。

 BUFFALOが明らかに性能面で有利な筈のGIU2V-PCIではなくGIU2-PCI相当のIFC-PCI6GLIU2を自社で販売し続けている事について、以前は不思議に思っていたのだが、この辺のPC側BIOSの仕様に関わる互換性の問題の存在を知ってしまえば、それも当然かと今は思う。

 本音を言えば、GIU2Vの3チップ構成(VT6122がLANとして使われていれば後は他社の現行品でも良いが・・・)で別途PCIブリッジ(出来ればIntelの2115xかTIの互換品搭載で。HiNTのHB1シリーズはちょっと悲しい)を搭載した製品が欲しい所なのだが、何故かVT6122搭載カードが国内では玄人志向でしか扱われていない事や、その製造コスト増大を考えると、これはかなり望み薄かも知れない。


西暦2005年4月15日 “CDライティングマシン”

 故あってCDライティングマシンをRvIIからRa266へ変更。

 CD-Rドライブは取りあえずSUNの411筐体にCDU948SとPX-R820Tを各2台ずつ入れてつないでみた。

 ちなみに、Ra266本体のベイはその下にCheetah X15初代を入れて冷却が追いつかなくなり、フロントに蓋をして巨大ヒートシンクを置いておくスペースに転用してしまったので、こちらにはドライブ類は入れていない。

 本当は読み出し用に別途CD/DVD-ROMドライブ等を繋ぐべきなのだが、手元にストックとしてPX-20TSiが2台とPX-40TSiが1台あるものの、ケーブル有効長の関係でしばらくはこのままである。

 あるいは、4台の411筐体にはCDU948S・PX-R820T・PX-1210TSi・PX-40TSiを入れるというのが正解かも知れないが(苦笑)。


 ついでに、Ra266に挿してあったPCIグラフィックカードを抜いて、代わりにGbE-PCIを装着。

 Ra266の使用目的と装備からすると、恐らくこちらの方が意味があるという事で。

 ・・・やはりこの系列の空きPCIスロット2本という構成は幾ら何でも拡張性が低過ぎる(汗)。

 せめて、あのどうしようもない専用TGUi9682XGiカードの挿してあるスロットが普通のPCIスロットとして使える構成であれば、つまり98固有グラフィック機能を司るμPD95177GNがXv20やRv20、あるいはRvII26の様にマザーボード側にオンボード搭載で独立していれば潰しが効いたのだがねぇ・・・(溜息)。

 これはRa20/12開発時にコストダウンの為に小賢しい事(それは後々の強化拡張の可能性を閉ざす最悪の選択であった)をやったツケがユーザーに回った、という事になるのだが、あの意味不明(もしかしたらノイズ対策のつもりかも知れないが、その割にはノイズが多い)なWSS-PCMカード専用スロットともども、正直何とかならなかったものかと思う。

 ま、今更言っても始まらない事なんだけどねぇ(苦笑)。


西暦2005年4月18日 “2型59号”

 2型59号、竣工。

  今回の変更点は「ストレージコントローラー雑感」への「GIU2-PCI」と「GIU2V-PCI」の項目の追加とその他各ページの追補訂正、「台車から見た下津井電鉄の車輛」の一部書き換え、「下津井電鉄の電車についての略解」の写真6枚+モンタージュ写真1枚追加と追補訂正、など。

 いきなり下津井電鉄関係のページが重くなったが、ご容赦願いたい。

 今回追加の写真は元々自宅のスキャナで取り込んだは良いが埃が多くてかなりのレタッチを要する為に放置され、長期にわたって存在すら忘れられたもので、今回ネタが無いので何となくレタッチ完了と相成った(爆)。

 まぁ大した写真じゃないが、今撮りたくとも撮れないものばかりなので、公開に踏み切った次第である。

 思えば、撮影から早くも20年近くが過ぎてしまった訳で、自分が年をとった事を痛感させられる一瞬であった(苦笑)。

 なお、今回非常にテキトーな代物だが、「ウソ電」式のモンタージュ写真を1枚掲載してみた。

 文章で幾ら書いてもイメージしにくいと思うので、多分これが一番判りやすいのでは無いかと思うが、どうだろうか。


西暦2005年4月22日 “仕事”

 ここ暫くかかりっきりだった仕事がどうにか終了。

 果たして次があるかどうかは定かではないが、とにかく終わった。

 今回はこれまでの蓄積の流用による楽な仕事だった筈なんだが、気付いたら少なくとも半分以上が新作書き下ろしの大ネタという空恐ろしい事になっていた(滝汗)。

 ギリギリになってしまったスケジュール共々見通しが甘かったと言う他無いが、どうにか帳尻は合ったようなので何よりである。


西暦2005年4月25日 “事故”

 目が覚めるとJR西日本福知山線で脱線事故のニュースが飛び込んできた。

 207系1033Fを含む7連(乗客約580名)による同志社前行き快速が塚越ー尼崎間にある速度制限70km/hでR300程度の曲線区間で脱線し、線路脇のマンションに突っ込んだ由で、先頭の2輛が紙屑同然の惨状に思わず目を背ける。

 夜の段階で死者54人負傷者380名以上と言うから、あの信楽高原鐵道事故以上の未曾有の大惨事という事になる。

 原因については運転士の速度超過(過去にオーバーランで訓告処分の経歴があり、今回も伊丹で8mオーバーランを引き起こしている。また、塚越駅通過の段階で車掌からの連絡に応答がなかった由である)や線路上の粉砕痕(=何らかの障害物が線路上にあった可能性がある)が取り沙汰されているが、この種の要因が複合的に働いて脱線した可能性もあり、現段階ではとても断定的には語れない。

 JR西日本の発表ではこの区間では理論上133km/hまで脱線せずに走行可能とのことだが、207系の設計上の最高速度は120km/hであるから、乗客の「普段よりスピードが出ていた」という証言はあるものの、果たしてそこまで速度を上げて走っていたのかどうかは多少疑問が残る。

 ただ、この福知山線についてはATSが速度照査を行わない旧式のB/S系のままであった由で、事故の原因にかかわらず120km/h運転を行う本線格の線区で保安系の投資を怠ったJR西日本の責任が今後追及されることになるのでは無かろうか(もっとも、同社の発表に依れば、近くATS-Pへの更新工事を施工する予定だったらしいが・・・)。

 今回の報道を色々見ていて1つ気になったのは、技術評論家の桜井淳氏の、「事故車両が鉄製車両に比べ強度の劣るステンレス製でなければ、車両がマンションにめりこむようなことはなかったのでないか。死傷者も鉄製車両なら半分で済んだと思う」という発言で、確かに鋼製車体の方が剛性は高く設定しやすいものの、張殻構造の軽量ステンレス車体が潰れることで衝撃が吸収できた(=剛性の高い鋼製車体だと、その衝撃が乗客に直接伝わる)可能性や、重い鋼製車でああいう事態になった場合の被害規模(一般に軽量ステンレス車と従来の鋼製車では10t程度の自重差が生じるから、その分運動エネルギーが大きくなる。つまり、衝撃による破壊力がその自重増に比例して大きくなるという事で、果たしてぶつかったマンションが崩壊せずに済んだだろうか?)を考えると、ステンレス車体が潰れる程の速度で突っ込めば車体材質や構造の相違による被害差というのはそこまで大きくないのではあるまいか?

 確かに、現在の有限要素法を用いて設計された軽量ステンレス車体がペラペラの薄い材料をプレス加工しスポット溶接する事で組み立てられているのは事実(以前、中鉄連の見学会で日立製作所笠戸工場を見学した際に、ロール機でプレス成形された薄手の側板用ステンレス板が思いっ切りしなっているのを見て驚いた事がある)だが、堅牢な昭和40年代までに設計された鋼製車の場合、逆にそれが災いして救助活動が困難になる可能性も考えられる訳で、果たしてどちらが正しいのかかなり疑問である。

 何にせよ1つ断言できるのは、本質的には乗務員側のトラブルでこの様な脱線事故を起こさない、フェイルセーフ性の高いシステムを構築する事が肝要だという事で、車体構造がどうのと言う議論は実の所副次的なものでしかない。

 先日の土佐くろしお鉄道で起きた気動車特急の暴走事故もそうだったが、乗務員のミスによる速度超過を未然に、そして確実に防ぐシステムの導入が必要で、今後JR西日本は困難を押してでも速度超過に厳しい(=速度照査とブレーキ制御が連動する。ちなみに私鉄の場合は旧運輸省が1967年に出した「自動列車停止装置の設置について」という通達でATSへの2/3段階速度照査機能実装の義務付けが行われており、今回の様な事故は機構的に起きにくい)ATS-PあるいはD-ATCの全線への導入を行わねばなるまい。

 思えばATS-P自体が、元々1974年からのJR関西線におけるパターン型による長期試験運用(余談だがATS-Pの“P”は開発開始時にパターン型でスタートした事に由来する)を経て、1982年1月29日のJR阪和線線天王寺駅での快速電車による衝突事故や1984年10月18日の西明石駅構内での寝台特急「富士」の過速脱線大破事故を教訓に改めてトランスポンダ型に変更の上で急ピッチで開発が進められた(国鉄による制式化は間に合わなかったが、1986年末には試作型であるH-ATSの実用化の目処が付いており、1987年7月にはATS-Pとして制式化されている)という歴史を持つことを考えると、ATS-B/S系のATS-Pへの移行がここまで遅れたのは、JR側の怠慢と言われても反論できないのではあるまいか?

 今後原因究明と共にこの辺りの対策についての議論が活発になると思うが、JR西日本には社内のスケープゴート探しや責任回避に汲々とする前に、今後こういう事故が二度と起きないよう、徹底した対策を迅速に講じる事を強く要望したい。

 最後に、今回の事故で亡くなられた方々のご冥福を切に祈り、本日の日記の締めくくりとする。


西暦2005年4月26日 “事故続報”

 昨日の事故の件だが、1日たって死者が19名増えて75名と悲惨な結果が報じられているが、これに加えて2つの新情報が報じられるようになった。

 1つ目は伊丹でのオーバーランが実は40mで運転士と車掌が口裏を合わせて虚偽の報告を行っていた事、そして2つ目は車載制御モニタ装置(221以降にJR西日本が新規設計した電車には必ず搭載されている)のブレーキ系のログに残されていた非常ブレーキ動作直前の速度記録が100km/h超という制限速度を大幅に超過したものであった事、の2点である。

 前者についてはこれはもう論外で、恐らくオーバーラン時に車掌用非常弁を動作させなかった(つまり自分も処分の対象となる)車掌が、自身の保身も考えて問題の運転士の要請を受け入れてしまったものと推測されるが、乗務員にそういう行為に及ばせてしまう様な状況が社内にあるという段階で、これはかなり深刻であると言わざるを得ない。

 一言で言ってしまえばそれは致命的なプロフェッショナリズムの欠如という事になると思うが、その様な状況を醸成してしまった、そして短期間に何度も大きくオーバーランをやってしまう様な乗務員を運転士として営業運転に就かせていたJR西日本の責任はかなり重い。

 また、後者についてはブレーキ開始段階でJR西日本が主張する理論上の脱線限界速度を下回っていた事になり、また207系の設計性能の範囲内での走行であった事を示すものだが、そうなってくると今回の脱線の原因は複合要因によるものであった可能性がかなり高くなってくる事になる。

 なお、今回の事故報道では軽量車体やボルスタレス台車に原因を求めてカーブを曲がりきれなかったのではないか?という珍説があちこちで開陳されている様だが、これらを主張する人々が一体どの様な理論計算を行ってそういう推測を行っているのか非常に興味深い。

 自動車でもそうだが、鉄道車輛でもより高速に、より鋭敏にカーブを切る(=急曲線に追従する)には軽ければ軽いほど有利(新幹線が何故グラム単位の軽量化に血道を上げてきたかと言えばこれに尽きる。また、自重が軽くなると軌条やフランジにかかる側圧も低減されるから、それだけでもかなり違う。結局どうやっても物理法則には勝てないのだ)で、基本設計が国鉄最後の新規開発標準台車となったDT50系台車に由来し、そこから高速化の為に様々な改良が加えられてきたWDT52(0番台)/55(1000番台)/66(2000番台)系ボルスタレス台車の追従性や転向性がそこまで悪いとは到底考えられず(そもそも追従性や転向性が悪いと直線区間でも安定して高速運転出来ない)、速度超過が原因の一つであるのは恐らく間違いないが、今回の事故で脱線のトリガーとなった因子は他にあると考えるのが妥当だろう。

 その意味で、線路上にあったとされる粉砕痕が注目されるが、公表された写真を見る限りこれは本当に典型的な置き石による粉砕痕で、その意味では(国土交通相は不快感を表明していたが)JR西日本が早期に置き石の可能性を示唆した事には無理も不思議もない。

 実際、位置関係から推測する限りはこれが先頭車の脱線の引き金になった可能性はかなり高いと考えられ、予断は許されないが現在得られる情報を総合する限り、運転手の焦りによる速度超過と他の要因に起因する複合要素による脱線、という事になるのではないかと思う(但し、一部で置き石はなかった、という報道もあるようなので、例によって断言は出来ないが)。

 それはそうと今回の一連の報道を眺めていて、1つ大変不愉快な思いをした。

 それはどことは言わないが近隣某国のマスメディア各社の報道内容で、これ程悲惨な大事故を単にあげつらって自国のナショナリズム発揚に結びつけるという、まるでファシズム政権下の翼賛的報道並の低レベルぶりであった。

 かの国のマスコミは自国民についてネットワーク市民(略してネチズン)という言い回しがお好きな様だが、今回の報道やここ暫くの自称ネチズンどもの振る舞いを見る限り、あれは極右ナショナリズム市民(=ナチズン)ではないか、などと思ったことであった。

 ま、自称愛国者やナショナリズムをダシに他人を扇動するのはならず者や人間の屑と昔から相場が決まっている(苦笑)ので、自称愛国者には一切相手をしないで無視するのが吉なのだが、それにしても酷い報道であった。


西暦2005年4月29日 “事故続報2”

 今回の事故による死者が遂に106名となってしまった。

 まずは改めて犠牲者の方々のご冥福を祈らせていただきたい(合掌)。

 時間の経過と共にどんどんJR西日本に対する魔女裁判化しつつある今回の事故報道だが、とうとう置き石説は否定され(だとしたら何故あんな明瞭な粉砕痕が残されたのか、という話になるがそれは今後の原因究明を待つしかない。只、個人的にはバラストが巻き上げて軌道上に乗っかるというような事が起きる物なのか? と思うのだが)、大幅な速度超過や曲線区間での急ブレーキによる輪重抜けといった複合要素による競合脱線の可能性がいよいよ高くなっており、同社の旗色は悪くなるばかりである。

 只、この辺の報道で1つ指摘しておかねばならないのだが、定時運行の厳守は日本の鉄道事業者にとっては当然の話で、それを励行させるJR西日本の方針そのものは間違いではない。

 実際、その徹底と精緻を極める巧妙なダイヤ編成、それに到達時間短縮へ向けた様々な努力だけが同社の今日の地位を支えてきたのであり、乗客の急増という形で沿線住民も暗黙の肯定を与えていた事を考えると、この辺に対する客観的な評価は必要ではないだろうか?

 この辺は東京にいる報道関係者ほぼ全員が恐らく全く理解していない(JR西日本を筆頭とする近畿圏の鉄道各社による精緻なダイヤ編成と巧妙な施設運用が乗客にどれ程の利便性をもたらしてきたかは、今の近畿圏の鉄道にある程度乗った事が無ければ、そうして相互連携も何も放置した雑な国鉄型ダイヤを無批判に維持しているに過ぎないJR東日本のエリア内にいる限りは恐らく理解できないだろう)事で、関西圏の鉄道事情について論じるにあたって、平行私鉄の存在とそれらとの運賃所要時間の単純比較に終始(それさえ、JR西日本が大都市特定運賃区間制度の下で通勤定期について私鉄より有利な立場にある事への言及がないのはいかなる理由によるものであろうか?)していたのでは、今回の事故に至ったJR西日本の背景事情やその経営戦略についての正しい認識が得られるとはとても思えない。

 今回の一件で同社の方針や戦略に大きな間違いがあったとすれば、それは間違いなく乗務員がミスを犯した、あるいは何らかのアクシデントが発生した、といった形での突発的な遅延に対するフォローが出来ないほどギリギリまでダイヤからマージンを削ってしまっていた事(これについては特に福知山線はタイトに過ぎる、との現役運転士達の指摘が出てきている様だ)と、先日も記した乗務員のミスが発生した場合にそれを補完するフェイルセーフ機構(この場合はATS)の改良や整備を怠った事の2点である。

 殊に後者は致命的で、如何にATS-Pの関連機器が高価(地上子とその付帯機器一式が1セット当たり約1,000万円かかる由である)で震災後の同社財政では急速展開が困難であったにせよ(そもそも1995年以前に手早く整備完了していればその議論も存在しない訳だが)、今回のような事故が起きた際にかかる賠償金等の総額や事故による会社のパブリックイメージ悪化等を考えると、少なくとも最高110km/h以上での運転をギリギリのダイヤ編成で実施している線区については他の何にも優先して整備すべきであった。

 JR西日本がその経営モデルとして競合する関西私鉄各社を研究してきた事は良く知られているが、その競合各社が緻密なダイヤ編成を速度照査機能付きATSが完備している(前々回に記した通り、私鉄各社は1967年の運輸省通達でATS設置に当たって多段階速度照査機能の実装が義務付けられていた)事を前提に実施していた事を見落とした、あるいは無視した事は正に痛恨時であったと言う他無い。

 まぁ、その他にも労務管理上色々問題があったらしい事は伺える(発見された運転士の遺体がブレーキノッチを握りしめたままだった、というのはある意味象徴的だし、翌日以降JR西日本管内で毎日オーバーランが続出し続けている事実は一考を要しよう)が、上記2点がクリア出来ていればこの最悪の悲劇だけは防げた様に私には思える。

 起きてしまった事は今更どうにも出来ないが、これを教訓に今後再発防止策を講じる事は出来る。

 被害者や犠牲者の遺族に対する損害賠償は当然としても、それこそがJR西日本が(そして未だATS-B/S系を野放しにしている他のJR各社を含め)最優先で実行すべき償いの道なのだと私は思う。


 ・・・ところで、分割民営化時に私鉄向けに出されていた問題の「自動列車停止装置の設置について」の運輸省通達を都合良く廃止(そうしないとおよそ2万kmにおよぶ旧国鉄線の大半に設置されていたATS-B/S系を全てATS-Pに更新する義務が生じた訳だ)して、その後JR各社で何度もこの旧式ATSに関わる事故が発生していたにもかかわらず充分な対策を講じないで放置していた運輸省→国土交通省とその大臣が、一体何を根拠に記者会見であんな偉そうな態度を取れるのだろうか?

 今回の一件で責任が最も重いのがJR西日本である事はこれでほぼ確定したが、そのJR西日本を監督・指導する立場にあってATS整備について十分な指導機能を果たしてきたとは言い難い(可能な限り補助金を交付してでも整備の促進を図るべき事業であったはずだ)国土交通省も同罪で、彼らにも反省と謝罪の義務があるのではなかろうか?


西暦2005年5月1日 “2型60号”

 2型60号、竣工。

 “ストレージコントローラー雑感”の“PCIバス対応SCSIカード”に“N8103-65 / NEC (INI-A101U2W / Initio)”を追加。

 また、“PCIバス対応SCSIカード”のメニューをメーカー・搭載コントローラ別に再編し、REX-PCI34について知らずに嘘を書いていたのを削除し、その他SCSIカード関連ページについても色々追補訂正を実施。

 前回からの間に他にもいじっていた様な気もするが、忙しいので取りあえずはこの辺がメインという事で。


西暦2005年5月9日 “疲労困憊”

 世間では昨日まで黄金週間という事になっていたらしいが、その間の殆どの時間を鉛の箱に缶詰にされた様な状態(厳密に言えば完全監禁拘束状態よりはずっとマシだったが)で原稿を書いたり、面接に行ったり、歯医者に行ったり、それからトラブルで危うくデータ(その中には書きかけの原稿も当然に含まれていた)やハードを吹き飛ばされかけたメインマシンの大規模メンテナンスを行って過ごしていた。

 お陰でかなり疲労困憊というか相当にガタガタなのだが、まぁこれは多分今日一日でリカバリ出来るだろう。

 ちなみに、「殆どの時間」と書いたのは、関東在住の岡大S-FANOB・OG+1と何年かぶりに川崎で会って飲ませて貰った(爆)為であったりするのだが、今回会ったPzi先輩(+1の人。ちなみに「生まれて初めて」ゴールデンウィークに帰省中だった由である)や同期のAmir君(出向先の大和郡山から横浜に戻ってきたらしい)、それに後輩のEmu君や行雲流士嬢は皆変わっていなくて何よりだった。

 ちなみに今回一番驚いたのは皆目縁のなさそうな行雲流士嬢の口から「Alpha Server」という単語が飛び出したこと(いや、Pzi先輩の勤務先のT機工で人員整理に伴う希望退職が実施され、先輩が6月で退職して関東に戻られるという話ももちろん驚いた)だったりするのだが、何でも勤務先(光学機器大手のN社)の半導体ステッパー製造ラインの最後の工程で行われる光学的なキャリブレーションで1995年以来Alphaマシンが稼働し続けていて、それのメンテナンスを上司から命ぜられた由であった。

 ご存じの方も多いと思うがUNIXの揺籃となったPDP-11で歴史に名を残した旧DECがその技術力の粋を結集して開発したAlphaプロセッサは、DECの解体→CompaqやIntelによる事業部門吸収合併で開発母体を喪った事、その過程で主なアーキテクト達がAMDへ移籍した(先に吸収合併したNexGenが開発していたNx686を基本とするK6から大きく飛躍した、K7=AthlonがEV6というAlphaのバスプロトコルを流用していた理由がこれである。ちなみに、この様な経緯もあってAMDには旧NexGen出身者と旧DEC出身者が多数在籍している)事、それに何より身売り先であるCompaq自身がHewlett-Packardと合併し事業を整理統合して行く過程でHP本流のPA-RISC→Itenium搭載機と競合するAlpha搭載サーバ部門がお取り潰しにされてしまった事から、今やほぼ完全に過去のアーキテクチャと化している(合掌)。

 お陰で最近では情報収集がかなり大変(Webサイトを見る限り、Hewlett-Packardは余程の遺恨があったらしくAlphaに対してかなり冷淡である)なのだが、正直今回の彼女のケースのように会社の過去資産の継承とかでもない限り、初心者は手を出すべきではないし、手を出しても得られる物はそれ程多くないだろう。

 まぁ、この辺は電脳ぺんぎん氏のHMX.NETの過去日記をご覧になればかなり詳しく書かれていると思うので、興味のある方はそちらなどを参考にされたい。


西暦2005年5月14日 “さよなら、DVD-RAM”

 最近常用してきたDVDメディアの入手が困難になってきた事、バックアップでの使用頻度が上がってドライブ書き込み速度の遅さが無視出来なくなった事、それにたまたま状態の良い出物があった事から、Plextorの最新作であるPX-716A(それも最新のTLA#0304)を中古で購入。

 購入予算捻出の為にこれまで愛用のDVR-iUH2(GMA-4020B)を売り飛ばしたのは秘密だ(涙)。

 書き込み性能も重要だが、ディスク検査ツールとしての機能や付属ソフトも結構重要(Pzエンジン搭載のDrag'n Drop 4 CD+DVDがライティングソフトとして付属する)で今回の選択となったのだが、実はこのドライブ、GMA-4020Bだと問題なく動作していたSiI3611搭載ATA-SATA変換モジュール(SD-SA2IDE-A1 / SYBA)を介してのSATA接続でDrag'n Drop 4を動かすと幾つかのケースで書き込みに失敗するという想定外の大問題を抱えていて、現在改善策を検討中である。

 まぁ、ATA経由での動作は全く無問題なのでそちらで使えば良いという話もあるが、何となく嫌な感じではある(苦笑)。

 ちなみに肝心の書き込み性能についてだが、ファームウェアを最新のVer.1.07にしてから使った事もあってか「DVD-RAMが読み書き出来ない以外はほぼ完璧」というレベルで、非常に満足である。

 なお、私はCD/DVD系メディアに関しては以前バイトで色々焼いてみてげんなりした事もあって基本的には国産至上主義者(ヲ)、応用的にはTDK/太陽誘電/マクセル原理主義者(爆)なので、海外の糞みたいな安物メディアを焼いてどうのといったテストは基本的に行わないし、速度よりも品質重視なので最速設定で書いてどう、というのもあまり気にしてはいない。

 よって、上記の評価はその辺の事情も含めてのものである事を念のためにお断りしておく。


西暦2005年5月15日 “JM20330”

 SD-SA2IDE-A1に代わるATA-SATA変換モジュールとしてJMicron TechnologyのJM20330を搭載するGIGABYTE GC-SBPを購入してみる。

 ・・・駄目だ、PlexToolsが正常に起動しねぇ(涙)。

 どこに原因があるのか判らないが、ともかくPX-716AのSATA変換はかなりの難物であるようだ。

 やはりここは素直にPX-716SAを探して買った方が正解だったのかなぁ・・・(溜息)。


西暦2005年5月20日 “第一種接近遭遇”

 現在W県で公務員をやっているA君が山梨での会議だか何だかのついでに東京方面にやってきているという事でAmir君やEmu君と共に飲む(というか銭が無いのは相変わらずなのでAmir君に飲ませて貰った(謝))。

 A君は相変わらずで何より。

 その後Emu君と別れて3人で引っ越し直後のAmir君の部屋(横浜市内某所にある)へ転がり込み(何しろ帰る電車が無かった。横浜方面からだと午後10時以降にウチの部屋まで電車利用で夜の内に経済的に戻るのは困難である)、彼のマシンのセットアップを行ったり何故かセガサターンのゲームを遊んだりしたのだが、彼のマシンに入っているRADEON 9600PRO(ATi純正の128MB版)がフルカラー時にカーソル描画にノイズが出るという謎の症状を抱えていてかなり悩む。

 恐らくVGA BIOSやマザーボードのBIOS、あるいはチップセットの相性という事になるのではないかと思うが何とも気味の悪い症状で、結局一晩を費やして色々検証した末、Windowsのグラフィックアクセラレーションを1段落としてカーソル描画のアクセラレーションを殺して一応解決としたが、何とかならないものか。


西暦2005年5月21日 “M君との遭遇”

 本日はAmir君の家から新横浜までA君を送っていった後、一旦横浜へ出てじゃんぱらで何故か「メガドライブジョイパッド用」と書かれた紙の貼られたIF-SEGA/PCI(カードのみ)を格安でゲット。

 5V専用なのでAT新1号機では使えないというか挿すスロットが無いが、セカンドマシンに挿せばそれはそれで幸せになれるだろう。

 その後京急の快特で自室に戻る事にして品川解結の新1000形4連をぶら下げた600形8連に乗車。

 この快特が文字通り快調に飛ばして品川で後ろ4両を切り離し、都営線に入った頃、携帯にメールが届いた。

 それは面接の為にこちらにやってきている後輩のM君からのもので、「今は蒲田に来ています。どこで会えますでしょうか」との事であった。

 京急蒲田だったらついさっき通過したよ(汗)。

 そんな訳で、急遽浅草橋で下車し、彼に京急に乗ってこちらまで来るように連絡。

 しばらくしてやって来たM君は相変わらず元気そうで何よりだった。

 かくしてその後翌日まで地獄巡りが続いた(M君スマン)のだが、その顛末は諸事情により秘密である。桑原桑原。


西暦2005年6月2日 “模範解答”

 今のバイト先に某P社の営業の人が来て新製品紹介をしてくれていたので、色々質問するついでにPX-716Aで使えるATAPI-SATA変換アダプタは無いのか?と尋ねてみる。

 これに対する返答は「Marvellのチップだと上手く行く」との由で、JMicronのチップ(実はPX-712SAにはこれが使われているそうだ)やSiliconImageのチップだと問題があるとの事であった。

 ・・・盲点であった。


西暦2005年6月9日 “起動不能”

 ここしばらくの多忙となにやら凶悪な症状のアレルギー性鼻炎およびこれに起因する湿疹等の併発で無惨にもダウン。

 鼻炎対策の薬品で体力をかなり奪われているのも悪影響を及ぼしている様なのだが、起きあがれないほどひどいというのは久々で、今年の花粉症はひどいという話を今更の様に再認識した(合掌)。


 ふと思いついて、ナムコが現在開発中のRTSゲーム“NEW SPACE ORDER”のページを覗いてみる。

 このゲーム、去年の夏位から高田馬場と新横浜(そう、先日泊めてもらったAmir君の部屋のすぐ近くだ。ちなみに最初のクローズドβの運用はここだけだった由で、開発が行われているナムコ横浜クリエイティブセンターに近かったために選ばれたらしい)のナムコ直営ネットカフェでテスト設置中のままずっと推移しているのだが、実はRTSというジャンルがどうのという以前にUGSF=民主連邦ゼビ語を使う軍事帝國ゾルギアを兵器とする神聖宗教国、それから宇宙船が櫂を漕いで進む封建王朝国と戦うという、とんでもない設定になっており、しかもあのAce Combat 3の世界の延長上にUGSFが存在する(そのためUGSFはゼネラルリソースとニューコムが牛耳っていて、スターブレードのジオソードの後継機種であるジオキャリバーは実はゼネラルリソース製であった)ことが明らかにされるなど、古くからのファンにとっては本当にエラい事になっている(苦笑)。

 つまり、RTSというジャンルはともかく、シューティングゲームメーカーとしてのTAITOと並んで俺の好きなゲームメーカーであるナムコが俺の好きな自社SF作品の世界観を寄せ集めて作るステキゲーという事で、恐らくWindows版となるであろう製品版が出たら買わないわけには行くまい(爆)。

 何より、「航宙機母艦II型」の解説で「ドラグーンIDSを搭載。全国家中、最も優れた艦載機。」などとドラグーンシリーズに対する愛に満ち溢れた一文を読まされると否応なしに期待が高まろうというものだ(笑)。

 何しろ私はギャラクシアン^3とレイストーム、それからパンツァーフロントのためだけにPlayStationを買った様なものなので、これは避けて通れない道なのだ(合掌)。

 もっともこの作品、いつどの様な形で正式に発売されるのか、公式サイト開設からそろそろ1年が来ようとしているが未だ発表されておらず、正直不安が募りつつある今日この頃である。

 ・・・本当に一体何時出るのかねぇ?


西暦2005年6月11日 “AUDIOPHILE 192”

 諸般の事情でHammerfall DSP 9632を売却し、M-AUDIOのAUDIOPHILE 192を中古で購入。

 一聴して厳然たる「格の差」というものを痛感した事であった。

 ま、サウンドカード無しでこれ1枚に音関係を集約できるのは確かにメリットだし、このクラスでは出色の出来ではあるのだが・・・。


西暦2005年6月14日 “惨敗”

 予算的に厳しく、体調やらメインマシンの調子(気温が上がったせいか予約録画に失敗したり、青画面が出たりしている)やら色々大変な状況下で、システムトークスのSUGOI ADAPTER SATA(SATA-TR150APS)を中古で買ってテスト。

 以前書いたMarvellの変換チップを搭載したSATA-ATA/ATAPI相互変換アダプタだが、実際にPX-716Aに挿して確認してみたところ、Thunder K8WのオンボードSATAコントローラ(SiI3114)だとそもそもデバイス自体が認識されない、という最悪の状況になることが発覚。

ちなみにこのアダプタ自体はジャンパ設定を変更してマザボのATAコネクタにつないでSATAのBarracuda 7200.8につないだら正常動作していて、デバイスとしては正常に機能する事が判明しているので、どうもSiIのコントローラとMarvelの変換チップの間のATAPIデバイスの扱いに関する相性問題という事になりそうである(号泣)。

 そうなるとMarvelのSATAコントローラを搭載し、しかもPCI-Xに対応するカードとかでないとウチのマシンでは増設が出来ない(そうでないと色々犠牲が大きすぎる。また、これをやって解決するという保証も全く無い)から、当分この問題を棚上げするか、さもなくば節を曲げてUSB 2.0かIEEE1394で変換して接続する必要がある。

 こうなってくるとUSB 2.0変換でも構わない気がするが、以前使っていたGMA-4020B(I-O DATAの外付けモデル)で色々面倒な事になった経験や、これをやるには32bit PCIスロットにでもUSBカードを挿さねばならない(Thunder K8WにはUSB 2.0はオンボード搭載されていない。というかAMD-8000シリーズにはUSB 2.0サポートは無い(涙))事などを考えると、どうも気が進まない。

 何か良い知恵無いものかねぇ・・・(溜息)。


西暦2005年6月18日 “頭痛肩こり”

 このところひどく顎部というか歯茎が腫れて困っていたのだが、原因が判明。

 どうやら極度の肩こりが回り回って影響を及ぼしていたらしく、肩のツボをついて揉みほぐすと痛みが大幅に軽減され、腫れも引く事を確認した。

 まぁ、色々肩こりの要因には事欠かない毎日であるから、これも致し方ない事か。


西暦2005年6月20日 “マザーボードの死、OSの死”

 先日来AT新3号機に入れて使っていた、ATXコネクタが焦げたTiger MPXが機能停止。

 ・・・ある意味予想通りの展開なので腹も立たないし、そもそも元々ジャンク状態で入手した怪しい代物なので、原因を調べて修理を試みる気にすらならない(苦笑)。


 そんな訳で、あっさりマシンを解体してCPUその他を中古屋に売却。

 で、その際出物でOpteron 242があったので速攻ゲット(爆)。

 資金難の折だが、幸い売却に伴って得た金がそこそこあったので思い切って購入を決断した。

 ま、世間でもデュアルコアが流行っているし、AT新3号が使えなくなった分だけAT新1号機に回る仕事量も当然に増える訳だから、このくらいの投資は行っておいても罰は当たるまい。

 もっともデュアルコアCPUについては、今のAT新1号に入れてあるThunder K8Wの場合、リビジョンの関係で搭載不可(血涙)であることが判明しているので、積みたくとも積めないのだが(合掌)。


 そんなこんなで自室に帰還後、買ってきたOpteron 242を装着して新1号を起動したところ、Windows起動途中に突如リセットがかかるという恐ろしい現象が発生し、再起動後NTのカーネルが見つからない旨エラー表示が出て一切Windowsが起動しなくなってしまった(滝汗)。

 そこでOS再インストールをそのまま行おうとするも、これも途中でリセットがかかってしまい、色々原因究明に努めた結果、電源容量が不足しているのが原因である事が判明した。

 そこで、止む無くマシンに入れていたSCSI-HDD2台を取り外し、ストックしていたCZ-6MO1(大昔のシャープ製5インチMOドライブ)の筐体に入れて本体側電源の負荷を軽減する事にしたが、基本的には電源は大容量のものに買い換えるのが正解だろう。

 問題は、その予算が捻出出来るかどうかなのだが・・・。


西暦2005年6月22日 “追悼”

 6月20日にICの生みの親、ジャック・キルビー氏が81歳で亡くなられた事を知る。

 無論、直接の面識があった訳がない(苦笑)が、今こうしてPCでネットブラウジングをし、携帯で通話し、そうしてIGBTやGTOサイリスタによるVVVFインバータ制御や四象限チョッパ制御で走る電車で通勤する我が身を思うと、彼と故ロバート・ノイスの業績の大きさを、彼らの発明がその後の世界にもたらした影響の大きさを痛感せずにはいられない。

 ここに両氏が成し遂げた偉大な功績へ最大級の賛辞を送ると共に、今回亡くなられたキルビー氏の冥福を祈る次第である。


西暦2005年6月23日 “消費電力”

 AMDのサイトでAMD Opteron プロセッサ クイック・リファレンス・ガイドを眺めていて、自分が使っているCGコアのOpteron 242の消費電力が82.1Wもあった事に気づいて絶句する。

 ・・・そういや、Pentium 4程じゃないにしろ、Opteronも結構消費電力が大きいのだった(汗)。

 ちなみにCGコアの石は130nmのSOIプロセスで製造されているのだが、理屈上シュリンクされた分発熱が小さくなる筈の90nmプロセスで製造されるE4コアの242は85.3Wと消費電力が増大している。

 これはOpteronの場合3チャネル搭載されているHyper Transportが800MHz駆動から1GHz駆動にクロックアップされ、しかもSSE3対応で使用トランジスタ数が増えた事によるものらしく、この事や同じCGコアでもHTが1chのみのAthlon 64の場合はコアが2.4GHz駆動の4000+でHTを1GHz駆動しても消費電力が89Wに収まっている(ちなみにこの値はCGコアで2GHz駆動のOpteron 246と同程度である)事から、K8系CPUではHTインターフェイスが結構な大電力消費デバイスである事が判る。

 それはともかくとしても、Opteron 242双発はそれだけで164.2Wも電力を消費するという事で、道理でマシンが安定しなかった訳である(苦笑)。

 とりあえず、こんな事もあろうかと用意しておいた連動電源化キット(ATX電源に接続して、PC本体に入っているメイン電源から給電されると電源がオンになるようにする)とPC-9821Ra300に入っていたDELTA製200W級ATX電源(DPS-200PB-67)を組み合わせて当座を凌ぐ事としたが、ここはやはり余裕をみてMAX600W級のちゃんとした電源が欲しい所ではある。


 とある理由でVHSビデオをMPEG2ファイルとしてキャプチャする必要に迫られ、これまで常用してきた三菱HV-V700を使用しようとした所、トラッキングが完全に狂っていて使い物にならない事が判明(滝汗)。

 昨年夏には使用できていた事は確認しているものの、録画が完全にPC上へ移行した関係もあってそれ以後さっぱり使っておらず、単純にアナログ地上波/BSチューナーとして使う分には全く問題がなかったせいで気付かなかったのだが、どうやら約1年で経時劣化が進行してどこかに問題が生じている様だ。

 恐らく、通電中の発熱でケミコンの電解液が蒸発し、規定性能を発揮出来なくなっているのが原因と推測されるが、前回(2000年8月)にヘッド交換を含む修理を依頼した際には\36,000かかっているので、これはもう新しいデッキを買った方が得策だろう。

 むしろ、1994年4月の購入以来11年と2ヶ月の間、良く持ったと言うべきか。

 現在D-VHSデッキを中心に代品を検討中だが、DVDレコーダ全盛の昨今、まともにS-VHSの再生が出来そうな機種が少なくて悩んでいる。

 もちろん、予算捻出でも頭が痛いのだが・・・。


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