いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)

西暦2004年11月−12月分


西暦2004年11月6日 “3号機”

 色々あってAT新3号機のマザボをSUPER MICROのS2DGEに換装。

 TsunamiATXも良かったが、やはりDual CPU構成には勝てなかったという事で(苦笑)。

 ちなみにCPUは私にとって2つ目と3つ目のSlot2ものであるPentium III Xeon 550MHz(実は以前FW-6400GXR用にPentium II Xeon 400MHzを買った事があったが、リテンションとCPUクーラーが入手できず断念した)*2としており、速くはないがL2CがCPUと等速(もっともレイテンシは11とかなり大きいが)で動作する512KBのC-SRAM搭載という事でそんなに遅くもないという、微妙な領域の速度感である(苦笑)。

 実の所、直前の使用CPUがPentium III 550MHzでしかもチップセットが440BXであっただけに、性能差は出にくいのではないかと思っていたのだが、いざ蓋を開けてみるとやはりSMP環境はSMP環境で、バックグランドでタスクを幾つか走らせても問題が無いあたりは誠に頼もしい限りである。

 本音を言えばこれにPentium III Xeon 900MHz/2MBを入れたいところであるが、その予算があればXeon 1.7GHzあたりとマザボを中古で買っておつりが来る(笑)、という話もある(ちなみにPentium III Xeon 900MHz/2MBの発売当初の価格は何と\435,000であった)のでその実現の可能性はかなり低い(苦笑)。


西暦2004年11月7日 “評価試験”

 耐久試験代わりにAT新3号機をメインで使ってみる。

 心配していたPentium III Xeonの発熱は空冷ファン等の手配りのお陰か深刻なレベルではなく、HDDをCheetah 36ESとしたのが効いてレスポンスも悪くないが、やはりメインメモリの不足が厳しい感じである。

 後、グラフィックカードにRIVA TNT、それも低画質な事では当時定評があった(死)CreativeのGraphicBLASTERを入れたのはやはり不味かった様で、解像度を上げると覿面にフォーカスが甘くなる(合掌)。

 最低限、文章書き&ビデオキャプチャ用として実用になる様にするには、やはりもう少しマシなグラフィックカードと、せめて256MB以上の増設メモリは要りそうだ。

 無論、シリアルATAかU160以上のSCSIの大容量HDDやそのインターフェイスカード、それにGbEカードがあればそれに越した事はないのだが(笑)。


西暦2004年11月8日 “寿命”

 母から電話があり、父が使ってきたLDプレーヤーが故障して修理に出したところ、部品がないと修理を断られたのだがどうすればいいだろうか? と相談を持ちかけられる。

 父のプレーヤーはLDP-900というソニーが出した最後のNTSC LD専用機で、MDP-911とMDP-999の間に挟まって出たGシャーシでガラス遅延線による櫛形Y-C分離を搭載する機体だ、と言えばあの頃のLDプレーヤーをある程度ご存じの方にはどの程度の位置付けの機種であったかはお分かりいただけよう。

 ちなみにこの機体、1989年に購入したものだから、実に15年もの間ずっと現役であり続けたと言う事になる(苦笑)。

 あの頃のソニーの上位機種は物量偏重で、スピンドルモーターにせよピックアップにせよ電源にせよ、かなり耐久性が高くしっかりした部品を入れていたのでここまで保った(ちなみに実家のテレビもソニー製でKV21XBR2という86年製のものなのだが、こちらも物量作戦が効いて未だにちゃんと映っている)のだと思うが、故障の症状と「在庫が無い」と言われた修理用部品の品名を聞く限り、手をかけるのが面倒なので修理拒否したに等しい内容であった(怒)。

 ま、通産省の指導に従う限りは製造打ち切りから6年とか8年で製品の機能維持に必要な補修部品の在庫は無くして良い事になっている訳だし、ソニーの修理部門がアレなのは先日嫌という程思い知らされていた訳だが、別の理由をこじつけての修理拒否に近い形をとられると、やはり良い気分のする話ではない。

 そんな訳で、「取りあえずパイオニアのDVL-919でも買えば?」と言っておいたが、こちらを買ったとして果たして何時まで修理して貰えるのだろうかねぇ・・・(溜息)。


西暦2004年11月15日 “リライト”

 先日来遅れっぱなしだった某原稿がどうにか完成。

 他人の原稿の書き直しは、場合によっては自分の原稿を新規に書くより大変だと痛感した(苦笑)。


西暦2004年11月20日 “雷様の復活”

 「筐体+電源+マザーボードのみ」という事で格安販売されていたのを購入したIntergraph ZX10に、色々不足部品を補充して可動状態まで組み立て直す。

 CPUは間に合わせのPentium III 600EBMHz、メモリはPC133 ECC Registeredの128MB DIMM *2(動作報告のあった三星の純正品)、電源はたまたま売られていたのを捕獲したAblecomのSP420-RP(420W SSI-EPS電源)、後は先日バラしたAT新3号機からの流用、といった感じで、本当に動作するのかかなり怪しかったのだが、一通り組み上げたらBIOSで色々警告が出たがどうにか起動する様になった。

 ちなみにこのZX10は、ACPI非対応とかオンボードUSBが使えないとか、かなりの難物として知られるTYAN製Thunder2500のOEM版が搭載されている事で有名だが、SGI(ZX10の部門の売却先)が提供している最新版BIOS(Ver.1.00.08.01)を書き込んだらWindows 2000でもACPIマシンとして認識されるようになったので、BIOSの改良でかなり良くなっている様だ。

 で、肝心の動作状況だが、かなり軽い。

 つい先日までPentium III Xeon 550MHz Dual+440GXだのPentium III 550MHz+440BXだののマシンを使っていたので、それらとの比較(ちなみにHDD等は同じものを使用している)になるのだが、やはりFSBが100MHzから133MHzに向上している事と、メモリがInterleaveアクセスになる事の効果は大きいらしく、僅か50MHzのクロック向上によるものとは思えない程のパフォーマンスアップが実現している。

 取りあえず、これは良い買い物であったとしておこう。


 ・・・等と書いていたら実はFSB100MHzで動作していた事が発覚(汗)。

 どうやらBIOSが「知らない」ステッピングか何かのCPUの場合、強制でFSBが100MHzに設定される様だ。


西暦2004年11月21日 “整理整頓”

 森瀬の人から譲り受けた事務机やラック、それに17吋CRT(何でも事務所を閉じた彼の知人氏からの払い下げ品(多謝)らしい)を部屋の中に配置する作業がようやく完了。

 各機材の接続用ケーブルの有効長との戦いは非常に厳しかったが、どうにか丸く収まった。


靖間の自室内。一応すっきり収まっているが、今後これにLDプレーヤーやX68030、PC-H98、FM TOWNS等が加わる予定なので予断を許さない。
なお、現状でもスピーカーの配置についてはかなりの不満がある。ちなみに机上左端の黒い物体が昨日のIntergraph ZX10である。

 狭い室内での機材再配置は常にパズルめいた様相を呈するのだが、今回はその傾向が特に強く、机と棚の配置を決めるだけでも丸2日を要する有様であった。

 それは、中にどの機材をどの向きで入れるのかについての検証作業を行わねばならなかった為だが、何にせよひどく手間のかかる作業であったのは確かである。

 ともあれ、これで各種機材についてはようやく真っ当な状態への整理整頓作業が完了した。

 後は書籍・雑誌の整理整頓だが、こちらはどうしたものか・・・。


 ものは試しでWindows XPをZX10にインストールしてみる。

 SGIやIntergraph自身はWindows 2000までしかドライバ類を提供していなかったので、動作しない可能性もあったのだが、一応正しくインストールされ、しかもチップセットドライバに関しては2000より余程まともに用意されている事が判明した。


ZX10にWindows XPをインストールした場合のデバイスリスト。Windows 2000
では正しく認識されていなかったServerSetIII関係のドライバが用意されてい
る事に注目。

 現状ではスペック的に難がありすぎるのでこのままの構成では使用できないが、今後を考えると、XPでドライバサポート状況が改善されている事が判ったのは朗報である。

 やはりメモリとCPUは何とかすべきか・・・。


西暦2004年11月28日 “マティス展”

 多少なりとも時間の余裕が出来たので、上野の国立西洋美術館で開催中の「マティス展」を観覧。

 ・・・話には聞いていたが、これ程凄い展覧会だとは思わなかった。

 何というか、その凄まじい質と量にただただ圧倒されて言葉もないままに、会場を後にした事であった。

 マティスの作品は、大原美術館所蔵の「画家の娘−マティス嬢の肖像」(そういえば今回出品されていて、小さいながらも同じ壁で展示されている他の大作に負けない存在感を発揮していた)等で慣れ親しんできたのだが、今回はフランスのポンピドゥー・センター国立近代美術館の全面協力で実に50点以上の優品が貸し出されていて、それらは私にとってこれまで実物を目にする機会がなかったものばかりで、何というか非常に新鮮かつ感動的な展覧会であった。

 今回の展示で何より素晴らしかったのは、同一主題に基づくさまざまなバリエーションを続けて展示するという、主催者側の言葉を借りれば「「変奏(ヴァリエーション)」と「過程(プロセス)」という視点」で展示全体が首尾一貫して体系立ったものとなっていた事で、いかにマティスという人が「変奏」に当たる作品群を大量に製作していたにせよ、その膨大な該当作品を揃えてこれだけの展示にまとめ上げるには、個人を含む多数の所蔵先との交渉に筆舌に尽くし難い苦労があったものと思う。

 その「変奏」で驚かさせられたのは、この人が具象と抽象にこだわり無く表現の方向性を模索し続けていた事で、彼が真に「描ける」熟達者であったが故に「描かずして描く」という超絶的レベルのアブストラクトされた表現を実現していた一方で、「描く」という方向性も必ず問うて、その方面でも凄まじいハイレベルな解を得ていたというのは、色々な意味で考えさせられる事実である。

 実際、今回出品された中にも「コリウールのフランス窓」(1914)と題された、普段の華やかかつ鮮やかな印象のある彼の作品からは想像もつかない様な、具象であるのに抽象にしか見えない、どちらかと言えば1930年代以降の抽象絵画の優品と並べても全く遜色ない、ひどくモダンな印象の作品が含まれており、恐らく彼にとっては具象も抽象も区別無く表現上の選択肢の一つ程度の認識でしかなかったのではないかと思う。

 恐らく、今後四半世紀は日本国内でこれ程の「マティス展」にお目にかかる機会はもうないだろう。

 実を言うと、これほど会場から立ち去り難い展覧会というのは本当に久々であった。

 何しろもう一度見に行く事を自室への帰路に算段し始めたのだからかなりナニな話だが、その位良い展覧会であった。

 正直、関東にやってきてからこの方、本当に「良かった」と思えた事は皆無に等しかったのだが、今回ばかりは「東京に住んでて良かった」と思った事であった(苦笑)。


西暦2004年12月5日 “疲労困憊”

 2日続けてひたすら睡眠。

 風邪引きもあって、気がつくとマティス展どころではなくなっていた(苦笑)。


 それでも、運転資金捻出の為には動かなければならない訳で、秋葉に出て結局2台買ったZX10の内、片方に搭載のThunder 2500を売却。

 ここ1週間でいつの間にか稼働中のZX10の中身が格安出物のTiger MPに置き換わっていたのは秘密である(笑)。

 ま、64bit PCIが山程付いているのは同じだが、オンボードSCSIやLAN、それにサウンドが無くなったので64bit PCI対応のGbEカード(3C986-T)を調達したりChanpon3-PCIでお茶を濁したりする羽目に陥っており、財政面から考える限りはあまり幸せではない(合掌)。

 この換装によってCPUパワーが全然違ってくる(何しろAthlon MPであるから単発の最低でも1GHzは保証される)事は考慮せねばなるまいが、それにしてもずいぶんな遠回りをしたものである。

 先日森瀬の人と話していて、「Tiger MPとMPXを使ったからにはやはり一度はThunder K7系が欲しい」という話が出たのだが、こうしてThunder 2500とTiger MPを入れ換えてみると、確かにSCSIオンボードのモデルならば欲しいかも知れない、と思った事であった(苦笑)。

 もっとも、ご存じの方も多いかと思うが、Thunder K7/K7Xは電源として専用のATXGES(「GES」はThunder K7の開発コードに由来する)タイプのものが必須(但し、SSI-EPS12V→ATX-GES変換ケーブルというものが海外では市販されているらしく、それがあればSSI-EPS12V電源が流用できる事になる)という制約があってマザーボードと電源を一緒に買わねばならず、しかもその電源は事実上マザボと一蓮托生(合掌)という、大変に厳しい道のりを歩む事を強制される一品なので、迂闊に手を出せない。

 まぁ、今は財政的にそれどころではない訳なのだが・・・。


 そんな状況下であるにもかかわらず、出物があったのでつい、PX-R820Ti(TLA#0403)を1台ゲット。

 いわゆる「当たりロット」の代表格として知られる最終期のTLA#の機体だが、メルコ向けOEM版なのでちょっと物寂しい感じではある。

 無論、TLA#0403が入手出来たという事実の前ではその辺は本当に些細な事でしかないのだが、それでも、贅沢を言えばトレイのフロントパネルに「PLEXWRITER 8/20」と青で記された純正品が欲しいのは確かだ(笑)。


西暦2004年12月20日 “はじめての”

 何やら泥縄式というか芋蔓式というか、そんな感じでこの夏から秋にかけてやっていた仕事が形になり、単行本として上梓(爆)。

 手違いで筆名の読みが間違っているとか、最終稿として渡した筈のファイルの内容が色々あって全然反映されていない(汗)とか色々あったが、そもそもこっちの都合でとても書けないような恐ろしいスケジュールになってしまっていた(死)ので、文句が言えない(苦笑)。

 一応、増刷分(そう、何故か不思議な事には発売前の段階で増刷が決まっていたりする(滝汗))でいくらかは改善される予定になっているが、筆名はどうにもならないので今後そっち方面はそのまま行く事になりそうである。


西暦2004年12月23日 “風邪”

 相変わらず風邪を引いてダウン中。

 そういえば、今月のRail Magazine誌で鉄道廃止後33年に渡って、とある愛好家が保管してきた旧頸城鉄道の車輛群(DC92・ホジ3・ハ6・ニフ1など。消息が気遣われていたDB81は、残念ながら廃線時に解体されていた事が最近判明している)が保管場所の六甲山中某所から頸城村(今後合併で村名が無くなるらしい)某所へ運ばれた、という奇跡の様なビッグニュース(ネット上でもここで経緯が説明されている)が掲載されていたが、これを読んでいてふと、井笠の保存車輛を思った事であった。

 井笠は自社で記念館を持ち、そこに1号機関車・ホハ1・ホワフ1の3車輛を保存しているが、それ以外にも結構沢山の車輛が残されていて(本当はもっと沢山の車輛が残されていたが、保管場所であった旧鬮場(くじば)車庫が莫迦者の放火で全焼した結果、それらは全て喪われてしまった)、この種の鉄道としてはかなり幸運な部類に入る。

 だが、それぞれの現状を考えるとかなり厳しいものがあって、正直記念館でさえ一体何時まで続けられるのか怪しい部分がある。

 頸城の場合は百間町の2号機を核として保存鉄道か何かを作る方向性の様だが、やはり井笠の場合もそういった施設が必要なのではないかと思う。

 井笠の場合、機関車・気動車・客車・貨車と種類が揃っており、特に機関車(1〜3・7・9の5輛)と客車(少なくとも10輛以上)は全て揃えればもう一度営業できそうな数が残されている(笑)上、産業考古学的な意味での価値が高いものが多い(特に戦前の梅鉢鉄工所製気動車は現存例がここのホジ9しかない)だけに、まとめて保存する意味は充分ある。

 不景気な昨今、資金を集めるのも大変だが、何とかならないものだろうか。


西暦2004年12月26日 “機器更新”

 諸事情で大分マズい状態になっていたAT新1号機のパーツ更新を実施。

 結局メモリがSanMaxのSMD-51228WH-D(PC3200 CL=3 ECC-Reg. 512MB)2枚に、HDDはST3160023AからST3160827SAに更新と相成った。

 HDDは容量が以前と同じなので純然たる交換という事になるが、SATA2規格の内、NCQ(Native Command Queuing)をサポートするドライブへの交換という事で、この機能をサポートしているSATA2RAID-PCIX搭載のSiI3124(当然PCI-X接続)と組み合わせて使う分にはそれなりに幸せになれそうだという事で交換に踏み切った。

 まぁ、ST3160023Aについては8ヶ月びっちり酷使してそろそろ潮時か、という気分があった(基本的に私はATA系ドライブの耐久性に信頼を寄せる習慣は持ち合わせていない。高価な代わりに良いモーターや軸受が奢られているSCSIのドライブならば相応の安心感があるが、見るからに安いATAのHDDにそれを要求するのは酷というものである)事と、将来を考えてSATAに切り替えておくのも悪くない、と判断した事もあって今回の仕儀と相成った。


 新1号機だけでなく、ZX10も諸事情で更新。

 何と、CPUがOpteron 140となり、これに併せてマザーボードもSocket 940対応のWinFast K8NW Proになった。

 セールで安売りされていたのを買ったといえばそれまでだが、CPUをOpteronで、RAMをRegisteredのDDR SDRAM DIMMで揃える事による運用上のメリットは計り知れない。


西暦2004年12月29日 “はじめてのコミケ”

 昨日までのバイト先である某社のうるにゃん氏(かつてアルシスソフトで「スタークルーザー」や「ナイトアームズ」を作った偉い人)のお手伝いでビッグサイトへ。

 そう、氏の同人誌(ちなみにスタークルーザーもの)の販売を手伝う為にいわゆるコミケへ出向いたのである。

 スタークルーザーといっても88/98/68の時代のPCゲームをご存じない方にはピンと来ないかも知れないが、当時としては珍しい、3Dポリゴン描画を用いたハードボイルドの薫り高いSFゲームの大傑作で、メガCDにも移植されたので或いはそちらをご存じの方もおられるかも知れない。

 実の所、筆者は高校時代から大学時代にかけて氏の作品やOh!X誌上で発表されたMAGICと呼ばれるX1用3Dグラフィック描画パッケージにかなり感動したクチ(結局MAGICは使いこなせなかったが(合掌))なので、手伝ってくれないか?と問われて一も二もなく承諾の返事を返した訳だが、正直まさかこんな形でコミケに行く事になろうとは夢にも思わなかった事であった(苦笑)。

 コミケ自体についてはとにかく人が多かった事と雪でエラく寒かった事以外には特に書く様な事は無いのだが、折角なので行った記念にUGSF DRAGOONとR-GRAY1&2のペーパークラフト(のPDFデータが収録されたCD-R)を購入した。

 実は両方とも私がPlayStationを買う理由になったゲーム(つーか、この2本が出ていなければPANZER FRONTが出るまできっと買っていなかったんじゃないかと思う)の自機だけにかなり嬉しかった、というのもあるが、ざっと見て回った限りこれら以外に物欲をそそるアイテムが無かったというのも確かである。

 問題が一つあるとすれば、これらを作るにはプリンタが無いと出力できないという事だが、さてどうしたものか。


 さて、本年の更新はこれで打ち止めである。

 この2004年という年は、転職に次ぐ転職に関東への引っ越し、それに初の自著の上梓、と1年前の今頃にはとても想像もつかなかった様なイベントの連続で埋め尽くされ、遂にはコミケへの初参加で締めという事になってしまった(苦笑)。

 この様な状況下では来年の今頃果たして自分がどの様な状態であるのか、正直考えるのも恐ろしいのであるが、来年のこの時期にもこうして変わらず日記が打てる状況にある事を切に願いたい。


 それでは皆さん良いお年を。


西暦2004年12月30日 “帰省”

 夜行バスで東梅田へ到着。

 増発分という事で4列座席かつトイレ無しの、およそ夜行に適するとは言い難いひどい車(これでちゃんとした3列座席の車と同じ運賃というのは幾ら何でも客をなめてないか?>近鉄バス)であったが、この際関西方面へ安価に移動する事には代えられない。

 半年ぶりの大阪であったが、早朝着(それでも事故による渋滞と積雪による徐行で1時間程遅延した)という事で、そのままJR大阪駅から223系2000番台の新快速に乗車し、姫路へ直行。

 ここで、223系を筆頭とするJR西日本の車輛群が備えるアコモデーションのクオリティが抜群に高い事を今更の様に痛感する。

 関西圏に在住していた頃はそれが当たり前であったので特に意識する事は無かったのだが、いざこうして関東圏に半年も住んでみると、221系や223系、あるいは207系は突出したクオリティである事が良く分かる。

 実を言うと戻る前はE231をそこそこの出来だと思っていたのだが、こうして207や201の更新車(103の更新車もそうだったが、更新前とは全くの別物で、更にこちらは台車がDT-46系なので車体幅以外は207に全く見劣りしなくなった)を眺めていると、アコモデーション面での東西格差は全然埋まっていない気がしてくるから不思議である(苦笑)。

 無論、接客面の格差だけではなく、尼崎の各列車の離合に代表される緻密かつ巧妙なダイヤ編成や、それを支える130km/h運転対応の車輛・施設など、全てが揃っているからこそ、ここまで際だって見えるのも確かだが・・・


 転勤前にはまだ未完成だった加古川駅の高架ホームに、何というか非常に派手な塗装を施された加古川線の103系電車が停車しているのを眺め、そういえば同線は年末に電化完成したのだったな、などと散文的な感想を抱く。

 一時は路線廃止さえ議論されていた同線が逆に電化までされたのは、10年前の大震災で壊滅的打撃を受けた山陽線の迂回路として非常に重要な役割を果たした事が最大の理由であろうが、周囲が電化された状況で気動車用設備を維持し続ける為のコスト増も無視できないのでは無かろうか?

 いずれ老朽化が表面化するキハ40系(私以上の年齢の鉄道ファンにとっては新型という感覚が未だあると思うが、冷静に考えてみると、この系列の第一陣が登場してから既に四半世紀が経過しているのである)の更新やメンテナンスにかかる費用を考えると、いっそ思い切って電化してしまった方がトータルではお得、という議論があっても何ら不思議ではない。

 実際、播但線の電化の時にはかなり老朽化していたキハ58系とその搭載機関である厄介なDMH-17系ディーゼルエンジンが一気に淘汰され、ダイヤ面でも大幅なスピードアップが実現したのであるから、路線存続さえある程度確約できるならば電化した方が各方面で大きなメリットがあるのは確かである。

 姫路周辺で言えば、加古川線の他に姫新線と播但線の北部が未だ非電化で残っているが、播但線は特急の問題もあるので電化がほぼ確定、姫新線も飾西の方に移設された検車区などはあからさまに電化を前提とした施設となっていて、沿線の学研都市へのアクセス路線として徐々に重要度が増しつつある様だから、後20年以内には兵庫県内を走るJR西日本の路線は全て電化される事になるのではないか。


 そんな与太話めいた妄想をこね回している間に列車は姫路へ到着したので、神姫バスに乗り換えて実家へ。

 半年ぶりに会う両親は健康そうで、何よりであった。


西暦2004年12月31日 “遠い奈良”

 例年通り、新年を過ごすべく家族3人で奈良へ。

 が、いきなり山陽道と中国縦貫道が積雪の為に閉鎖(爆)されていて、姫路バイパス−加古川バイパス−第二神明−阪神高速3号−阪神高速5号ー阪神高速16号−阪神高速13号という回避ルートを走行する事を余儀なくされる。


 ここ10年以上山陽道−中国縦貫道−近畿道−阪神高速16号ー阪神高速13号−第2阪奈という最短ルートで一度もこの様なトラブルが発生した事が無かったので「地球温暖化の影響なのだろうか?」などと3人で話していたが、初めて通った5号湾岸線は非常に良く空いていて、しかも何というかかなり日本離れした雄大な光景だったので、ちょっと得をした気分になった(笑)。

 で、結構良い気分で阪神高速の天保山ジャンクションから16号を経由して水走(みずはい)の向こうにある第2阪奈の西石切ランプへ急いだのだが、よりにもよって13号および近畿道とのジャンクション直前の電光掲示板で第2阪奈も積雪で閉鎖との表示が現れ、慌てて近畿道にハンドルを切り、松原から西名阪道へ。

 ここまで来ると呪われていると言う他無いが、本日最大の罠は最後にやって来た。

 よりにもよって、奈良へ最短の天理ICで接続している名阪国道(R25)がやはり積雪の為に閉鎖になっていて、料金所を出てから一般道へ下りるまでの約1kmが渋滞したせいで、ここを通り抜けるのに約1時間以上を要してしまったのだ。

 かくして、実家から奈良ホテルへの到着まで通常1時間半の所が4時間強かかってしまい、3人ともへとへとになってしまった事であった。


 2004年は我が家にとっては大波乱の1年であったが、ある意味これはその締めくくりに相応しい出来事であったと言っても良いかも知れない。

 願わくは、来年が平穏な年であります様に。



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