いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)
西暦2004年5月−6月分
西暦2004年5月1日 “転籍・転勤”
いきなり会社の転籍(同じグループ内)と転勤が決まってしまいました。
ちなみに任地は横浜の営業所だそうです(汗)。
そんな訳で今月は引っ越し貧乏が後半に待ち受ける事になりそうである(合掌)。
さてどうしたものか。
角川から出た、『PC-9801ゲームリバイバルコレクション』を購入。
例によってMoliceの人の仕込み(苦笑)なのだが、伊東岳彦老師の描く見開き口絵に卒倒。
話には聞いていたが、これ程とは思わなかった。
・・・まぁ、“宇宙英雄物語”をパイロット版からリアルタイムで読み続けて来た世代(それは、コミックだけではなく、あの時代のPCを知っているという事も前提となる)でもなければ、この感慨は正確には分かって貰えない気もするけどねぇ・・・(苦笑)。
西暦2004年5月9日 “サルベージ”
連休中にAT新1号機に2基目のOpteron 240を取り付けてWindowsを起動した所、OS再インストールをしなかったのが不味かったのか、何度か青画面を拝んだ後、事もあろうにシステムの入っているパーティションを吹き飛ばされる(死)。
・・・やべぇ(大汗)。
アプリケーションやらシステムやらは再インストールすれば復元できるが、メールやドキュメント、あるいは掲示板のデータ等を記憶だけ頼りに完全復元するのはまず不可能なので、大いに焦る。
今回不幸中の幸いだったのは、吹き飛んだパーティションのデータを書き出す事が可能な大容量(といっても160GBだが)のドライブが手元にあった事で、節を曲げてATAドライブを導入した甲斐があったというものである(苦笑)。
それはともかく、FinalDataや復元(そういうフリーソフトがある)の使い方が良く分からなくてデータを壊さないように注意しつつ試行錯誤を繰り返し、とうとう連休一杯かかってもシステム復旧に着手出来なかった(涙)。
結局、色々いじって適切なファイル検出設定を見つけたのだが、いざ作業を始めると30GBオーバーのパーティションだったせいで一回作業する度に約4時間を要し、しかもファイル総数が23万に及んだ為、復元ではファイル検出後一回操作するだけでワークエリアがオーバーフローするのか応答しなくなり、一応動作し続けたファイナルデータでさえ操作1回毎に5分以上待たされる(大汗)、という空恐ろしい状態に陥ってしまった。
で、どうにか7日に吸い出し可能なファイルを全て吸い出してしまい、Windowsの再インストールも行ったのだが、正しく最新版デバイスドライバをインストールし、修正アップデータを全て適用した状態でさえ、エクスプローラで吸い出しファイルを納めたフォルダを閲覧しようとするとそれだけでやはり10分以上かかる(爆死)という有様で、何とコマンドプロンプトからの操作だけが実用に足る、という事になってしまった(合掌)。
そんな訳で
G:\(e)\FinalData>copy *.jpeg ..\jpeg
G:\(e)\FinalData>copy *.jpg ..\jpg
といった操作を延々と行い、然るべき後に重複のチェックと整理を行った上で各拡張子毎に用意したフォルダにコピーした各ファイルを本来あったフォルダに格納し直すという、23万のファイルを相手にするには悪夢に近い作業を行う羽目に陥ってしまった。
今日も一日それをやっていたのだが、htmlをIEで保存したものについては画像データや.cssファイルなども正しいフォルダに納めてセットで用意しないと駄目なので、作業がちっとも進まない。
とりあえず、再度DL出来そうなものは極力そうする様にはしているが、転勤に伴う諸作業もあるので、前途多難である。
西暦2004年5月11日 “はじめての・・・”
生まれて初めて携帯電話なるものを購入。
機種はauのA5405SA(三洋電機)で、とにかく軽くて薄くてデザインがシンプルで、しかもかな漢字変換がATOKだった(笑)のでこれにしてみた。
実際、これは非常に軽量コンパクトで、ワイシャツの胸ポケットに入れていてもほとんど気にならず、むしろ質量不足でバイブレーション機能の動作に気づきにくい程である(苦笑)。
現時点では機能を有効に使いこなせているとはとても言えない様な状態だが、それは追々フォローして行くとしよう。
ちなみにこれ、実は購入理由がもう一つあって、鳥取派遣の仕事で私が生産に関わっていた、とある部品がこの携帯電話に搭載されていた為である(笑)。
ま、だからといって特に有り難いというものでもないのだが・・・。
西暦2004年5月16日 “YOKOHAMA”
本日横浜到着。
確か92年の横浜国大前期日程受験以来だから、実に12年ぶりの横浜である。
姫路から新横浜までは初めて700系“のぞみ”(JR東海のC3編成だった。それにしても姫路から“のぞみ”に乗車出来る様になった事には感慨が深い)に乗車したが、車中では前日までの引っ越し荷物の整備・梱包・搬出に関わる諸作業に伴う過労から、下車まで殆ど眠って過ごした。
新横浜で横浜線(6扉のサハを1輛含む205系)に乗り換え、東神奈川で京浜東北線の209系に乗り継ぎ、そして横浜の営業所で部屋の鍵を受け取ってから東海道線の211系15連で戸塚に向かったのだが、道中併走する京浜急行や横須賀線の電車が馴染みのない造形の車に置き換えられているのに愕然としたり、横浜駅構内がみなとみらい線開業やら桜木町へ向かう高架線の廃止やらで様変わりしているのを見たりして、12年という時間の経過に感慨にふけった事であった。
戸塚区にある社員寮(便宜上そういう事になっているが、実態は会社で借り上げたアパート)は北九州にいた頃に似た間取り(と言っても、あの1年を知る人間は片手で足りる数でしかないから説明に困るが、要するに普通のごくありふれた間取りである)のワンルームで、使い勝手の点ではこれまで大阪・北九州・岡山とこの手の部屋で過ごしてきた私には特に扱いに困る事はない。
強いていてば水洗便所の水タンクの弁が緩んでいて水が常時わずかずつ漏れていてうるさいのがナニだが、それは申し出れば直してもらえるだろうから根本的な問題という訳でもないだろう。
ともあれ、これで新生活の第一歩は踏み出した。
果たして何時までここで過ごす事になるのかは定かではないが、当面は戸塚在住という事になる。
西暦2004年5月22日 “CD-Rドライブ”
昨日森瀬の人に召還(ヲ)されて彼の所に行っていたのだが、その帰りに秋葉原で往年のヤマハを代表するCD-Rドライブの名機の一つであるCDR400tx(1998年2月製)とメルコのCDRW-S8220/USPをゲット。
ちなみに前者は元箱付き、というか一体どこから湧いて出たのか付属品類未開封の新古品(!!!)で、後者は派手に日焼けしていたが、筐体を分解してみると内蔵されているPX-W8220TiがTLA#0101(大喜)だった。
これらは世間的にはどのような意味においても今時のモノでは無い(苦笑)のだが、個人的にはこれはこれで満足なお買い物であった(笑)。
なお、ついでに書いておくと現時点で手持ちのプレクスター製CD-R/CD-RWドライブは
PX-R820Ti (TLA#0201)
PX-R820Ti (TLA#0203)
PX-W4220Ti (TLA#0101)
PX-W8220Ti (TLA#0101)
PX-W8220Ti (TLA#0201)
の計5台という事になる。
後はPX-R412Ci、PX-W124TSi、PX-W1210TSi、それにPX-W4012TSiを用意すれば同社の一般向けSCSI CD-R/CD-RWドライブはコンプリートになるが、余程の事がない限りはそれは実現しない事だろう(苦笑)。
まぁ、揃えるのが難しい方から順番に手に入っているから後は簡単と言えば簡単なのだが、実用上メリットの多いW1210TSiやW4012TSiはともかくW124TSiやR412Ciを買ってどうするのだ? という気にはなる。
西暦2004年5月23日 “Discommunication”
NTTの116担当受付嬢との意思疎通が成立していなかった為に、電話回線開通が月末までずれ込む事が確定(死)。
こっちの理解不足もあったかも知れないが、向こうの説明が致命的に足りていなかったのは確かである。
1週間単位でのネット環境からの断絶というのは3月の鳥取行でもあった事だが、最初からそれが織り込み済み(というか覚悟して行った)だった鳥取の場合と異なり、こちらは双方の意思疎通が正しく出来ていれば遙かに早く解決していた筈の事なので、非常に腹立たしい。
でも、済んでしまった事は本当にどうにもならないので、後1週間はひたすら辛抱である。
西暦2004年5月24日 “CDU948S再び”
横浜の某ショップでLaCieと称する米国メーカー(?)のがっちりしたスチール製の筐体に収められたSONY CDU948Sをゲット。
一昨日のYAMAHA CDR400txといい、時代遅れもはなはだしい4倍速書き込みのSCSI CD-Rドライブを何台も購入してどうするのだ? と言われそうだがこれは予備として2台目が欲しかったドライブであり、しかも以前神戸の祖父地図でこのドライブを搭載したLogitech LCW-7408の出物を見送って悔しい思いをしていたので、(ジャンク扱いとはいえ格安で)入手が叶ったのは本当に喜ばしい。
なお、CDU948Sについてはその高精度/高音質な書き込み品質(元々がCDU920S・924Sに続くPlayStation用納品マスター作成用として設計されたドライブなのだからある意味当然の話かとは思うが)故にあちこちで賞用(というか後継となるべきPLEXMASTER-01/02が出たにもかかわらず、業務用として未だに愛用されている)されていて、その辺について解説したサイトも多数あるから今更私が付け加える事は殆どない。よってこのドライブに興味とご関心がおありの方にはgoogle等の検索サイトで“CDU948S”をキーワードにそれらのサイトをお探し願いたい。
実際、私が何を書いても蛇足にしかならない程度には優れた研究/実践を行っておられる方が多数おられるので、このドライブについてはマトモに書く気になれない程なのだ(苦笑)。
ともあれこれで、TLA#の問題はあるがCDU948S x2・PX-R820T x2・PX-W4220T x1・PX-W8220T x2・CDR400tx x1と合わせて8台の4〜8倍速級CD-R/CD-RWドライブが揃った。
こんなに沢山用意して何に使うのか? という話になるかとは思うが、ま、半分以上はコレクション(笑)という事で。
ちなみにこの中で本当に実用に供しているのは実家に置いたAT2号のPX-W8220T(TLA#0201)とPC-9821RvII26/N20のPX-R820T x2の内いずれか1台位のもの(双方ともバックアップ用途だ)で、それらにしても本音を言えば両方ともGMA-4020B/GSA-40xx系のDVD Multi(+)ドライブで置き換えてしまいたい所ではある(苦笑)。
まぁ、98についてはインターフェイスの問題が付いて回るし、DOS用ASPIドライバの無いINIC-1060PでもDOSで使えるドライバが用意されているという他に無いメリットもあるから、完全な置き換えはかなり難しい(もっとも、RvIIには標準でAIC-7860Pが積んであるからそれにつないでDOS ASPIドライバを使う、という手も勿論ある)のだが・・・。
西暦2004年5月28日 “33 years old”
本日は33歳の誕生日であります。
ま、だからと言って特に良い事など有りはしないのだが。
何もせずに腐っていても虚しいので、S2885のBIOSを先日公開が開始されたばかりのVer.2.02に書き換えてみる。
・・・素晴らしい(喜)。
これまでのこの日記をご覧の方ならばご存じかと思うが、S2885はBIOSがVer.1.02以前の場合、BIOS ROMを搭載するディスクインターフェイスカードを1枚でも挿すと必ず何某かのトラブルが発生する(例えば、それとは別にサウンドカードを挿すと途端に起動しなくなる、とか)というある意味非常に理不尽な仕様になっていたのだがこれが改善され、複数のBIOS搭載ディスクインターフェイスを挿した場合最初の1枚分しかBIOSを認識しない、といった症状は出るが少なくともマシンは起動するし、ASC-29320+MTV3000W+DELTA Audiophile 2496 FOR PCI-Xという構成(ここまではオンボードのSATAを完全に殺せば起動した)でAudigyを追加すると起動しなくなる、という不可解な症状も姿を消した(喜)。
まぁ、これで漸く世間並み、と言ってしまえば身も蓋もないが、ここまでの地獄めいた状況を思い返すとめでたい話ではある。
西暦2004年6月1日 “Breakdown”
ここ半月の無理が祟ったか、風邪を引いて寝込む。
熱と下痢でおよそろくなモノではない(合掌)。
どうこう言っても実家だと負担が軽減されていた事を今更の様に痛感した。
漸く部屋のADSL回線が開通した。
実家だと光で上下共に実質30Mbps以上出ていたのが、上り方向が1Mbps、下り方向でも3Mbpsしか出ず、結構辛い。
額面上は最大24Mbpsとの事だが、収容局がJRの駅で2つ先の保土ヶ谷では利得が減衰するのは当然で、まぁこんなモノなのだろう。
何より、そんな代物でもアナログモデムで48Kbpsとかいうのに比べれば天国みたいなものである訳だし(苦笑)。
西暦2004年6月5日 “2型52号”
2型52号、漸く竣工。
多忙にまぎれて2ヶ月放置していたが、とりあえず。
主な更新内容は、PC関連各項目の追補訂正(何をどうしたかもう覚えていない(汗))と、S2885ANRF-T Thunder K8W・RADEON 9800PROの項の新設、各項目分類の再編など。
西暦2004年6月6日 “P6 Project”
諸事情で久々にPC-9800シリーズのPCを購入。
機種はPC-9821Rs20/B20。440FXチップセット(といっても98なのでノースブリッジ部分だけだが)搭載でSMP動作に対応するPentium Pro(P6)マシンである。
Mate Serverという愛称が物語る通りサーバ用に提供されていた機種で、基本はPC-9821Rv20/N20だが、筐体フロントマスクのベイの部分に鍵付きの扉が設けられていてここを開けないと筐体内部にアクセスできなくなっていたり、謎のサーバボード(Cバススロット#1に挿してあって、後述のサーミスタ等からのケーブルが引き込まれている)搭載でサウンド無し(WSS-PCMボードを挿す為のPCIスロットと同じコネクタを用いるCバススロットは用意されているが、筐体の開口部が閉ざされていて(というか最初から穴が開いていない)標準ではビープ音以外音が出ない)、CPUその他の周辺に温度監視用サーミスタを搭載、そしてグラフィックは3本あるPCIスロットの1本に「抜いちゃ駄目」カードでTGUi9682とμPD95177GNを搭載(流石にこれだけはオンボードにμPD95177GNを積んでPCIスロットには汎用のグラフィックカードを挿す形式にしておいて欲しかった)、とかなり特化した仕様となっているのが特徴である。
まぁ、それ故この機種は汎用性の高いRv20と比べると明らかに不人気(PCIスロットが実質2本しか使えないというのはやはり痛い。但し今だとChanpon3があるからそこまで致命的でもないが)で、探すのもそれほど難しくはない。
それ故今回の購入と相成った訳だが、Chanpon3とグラフィックカード(GA-VDB16/PCI)と増設メモリ(60ns FPパリ有り32MB*6。本当はECC-EDOの方が望ましいが一応これでも動く)は手元にあったもののHDDは予備が無かった(いつもぎりぎりで運用してるからねぇ)ので、中古屋で富士通MAM3184MC(SCA-2だが変換アダプタも付いていた)を買い、そこでLVDのケーブルも足りない事に気づいて急遽USER'S SIDEでSUPER●のCBL-034-U320を購入。
当然ながらこちらはAT互換機(何しろU320のアダプタとHDDを入れている)に使って、トコロテン式で追い出されたLVDケーブルをRs20に回した。
西暦2004年6月7日 “Timer Trap”
Rs20にMAM3184C、Chanpon3、32MB SIMM *6、PL-Pro/II(改造済み)+PL-Neo/T+今日買ったCeleron 1.2GHz、それにGA-VDB16/PCIを組み込んでWindows 2000をインストール。
ブートシーケンスの最初の部分でしばらく(30秒程か)固まってかなり焦ったがこれはどうもCPU判定で迷う為らしく、それをクリアしてしまうと本当にするするとインストール作業が進む様になった。
だが、あるステップに来ると何をどうしても作業が進行しなくなってしまい、かなり悩ませられる羽目に陥った。
結論から言うとこれはしばらく通電せずに放置されていた98特有の、内蔵時計が暴走状態にある時に起きるトラブルで、時計やカレンダーがすさまじい勢いでカウントアップする(そして表現可能な上限に達した段階で振り出しに戻る)せいで、インストール作業上必要なタイムスタンプ管理が滅茶苦茶になって正しく動作しなくなっていたものであった(合掌)。
これは以前、98にEnsoniqのES1370(Audio PCI:デフォルト状態でATで使用できているポートが、98では内蔵タイマ制御に用いられている為、サウンドカードのドライバが何かしようとする度にタイマが暴走する)を搭載するサウンドカードを挿してNT系OSをインストールしようとした時にも出た症状で、それ故に今回は早い段階で気づく事が出来たが、あの時やっていなかったらきっと問題解決までに相応の時間を要したものと思う。
ちなみに、Celeronと言っても今回のはTualatinコアでL2C 256KBだから実質的に同クロックのCoppermineコアPentium IIIに匹敵するかそれ以上の性能が出せ、実際FSB 66MHzの下で約800MHzで動作するこの石を搭載するRs20は、HDDとして搭載したMAM(世代的にはCheetah X15 36LPと同期で、15,000 rpm駆動+キャッシュ8MB搭載なのでRvIIに入れていた初代X15よりもずっと速い)の洒落にならないアクセススピードのおかげもあって、98とは思えない様なキビキビした動作が実現している。
で、そんなこんなで高速性を楽しんでいた時、ふとある事実に気づいた。
何とこのマシン、RvIIやRvと異なりBIOSレベルでAPICが常時有効設定(つまりMPSユニプロセッサPCとして動作する)になっていて、これが固定である為に98用DOSアプリケーションのかなりの数が正常動作しないのだ(大汗)。
・・・道理で安かった訳だ(合掌)。
そんな訳で、今後是非Rv20が欲しいと思った事であった。
西暦2004年6月14日 “Retire”
横浜に来てからこっち、体調が滅茶苦茶になってなかなか治らず、またこれ以上頻繁に病欠を繰り返して会社に迷惑をかける訳にも行かない、という事で勤めていた会社を退職した。
なお、あくまで自主退職であるので念の為(苦笑)。
ま、昨夏に行っていた所が見栄えの良い社名とは裏腹に会社の体を成していなかった(事務処理や各種規則類の滅茶苦茶さ加減は筆舌に尽くし難かった)のと異なり、こっちの会社はごくごく真っ当な会社だった(笑)お陰で手続きがスムーズに進んだのは幸いであった。
なお、今後についてであるが、取りあえず森瀬の人の所(一応、「書庫」と彼が呼ぶ部屋に広がる混沌の海に秩序を打ち立て、そうする事で空いた空間に寮から追い出される私の荷物を当分の間置かせてもらう、という事で話が付いている)に転がり込んでアレとかコレとかソレとか色々する予定である(爆)。
西暦2004年6月16日 “退却戦”
日曜にアパートを引き払う為の片付けに勤しむ。
元々横浜の会社の方で営業所に近い所に移る、という話があって、極力姫路からの引越時の梱包を崩さない状態で維持していた為、作業の総量を考えると大した事は無いのだが、いざ始めてみるとそれでも洗濯その他結構雑事があるものである(苦笑)。
特に契約したばかりのライフライン関係の解約/休止手続きは相手の営業時間内に全部こなさねばならないので結構面倒である。
西暦2004年6月20日 “撤収”
本日をもって戸塚のアパートから撤収。
・・・ま、縁が薄かったという事だな(苦笑)。
ちなみに引っ越しに当たっては搬出作業やトラックの運転等で森瀬の人の知人であるOkd氏に色々手伝って頂いた(大感謝)。
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