いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)
西暦2000年10月1日−10月31日分
西暦2000年10月1日
2号機がまともに動く様になったと思ったら、今度は3号機に異常が発生(泣)。
先日2号でも発生していた現象だが、何故かAIC-7896のWindows 9x用ドライバが正常動作しなくて悩んでいる。
何より、何故こんな現象が発生するのかが判然としないというのが一番困る。
Windows 2000では一切こんな現象は発生していないから、恐らくWindows 98のIRQルーティング処理に何らかの不備があるものと考えられるのだが・・・。
それと、Windows NT Workstation 4.0のインストールが途中で必ずコケて困っている。
一体何が悪いのか、青画面が出て止まるのだ。
西暦2000年10月2日
通学途中に、JR山陽本線加古川−東加古川間の高架工事現場で上り線が仮線に切り替えられている事に気付く。
上り線を横断する必要のある下り線の切り替えはまだだが、遠からず切り替えられる事になるだろう。
加古川駅構内の仮駅移設工事も、仮線および仮駅施設群の建設工事がほぼ完了しつつあるし、同地区の高架化工事はいよいよ佳境に入りつつある。
散々悩んだ末に、AT3号へのWindows 98インストールを断念し、まだしも見込みのあるWindows NTのインストール問題解決を最優先する事にした。
そんな訳でWindows NTのインストールを再度始めたのだが、ここでふとネットワークカードの検出→ドライバインストールを習慣で自動的に行っていた事に気付く。
・・・よく考えてみたら、このS1837UANG“Thunderbolt”のオンボードLANコントローラである82559ってWindows NT 4.0出荷開始以降に出たチップじゃなかったか(汗)?
で、良く良く自動検出されたドライバを見直してみると、“Intel 8255x”の文字が・・・(汗)。
つまり、インストーラは判別チェックの結果自分の知っている82557/82558チップだと思ってドライバを入れたけど、当然これは82559には対応していない(内部的に色々小改良されている)ので、エラーが発生していた訳だ。
そこで、インストール途中でネットワークをインストールするか否かを問われた時に、ひとまず「ネットワークをインストールしない」を選択してインストールを完了し、後からIntelの最新ドライバをインストールしてみる事にする。
・・・おお、問題なくインストール完了(喜)。
やはり82559に82557/82558のドライバをインストールしていたのが原因であった。
この後、安心してService Pack 5を入れ、IE5.5を入れ、後は細々としたツール類等をインストールして、作業は完了した。
色々悩まされたが、取りあえずUltra 100は問題無く動作している。
四半世紀に渡って貴重な史資料の発掘/配布に尽くしてこられた、「鉄道史料」誌の定期刊行の最終号に当たる第100号が届く。
多分、「自分は鉄道旅行が好き」イコール「自分は鉄道に詳しい」と思っている類の御仁には全く縁も用も無い様な類の記事が満載の会誌だが、こうして100号分の記事目録を眺めていると、感嘆の声を上げずにはいられない。
鉄道ファンやジャーナル、いや恐らくピクトリアルでさえフォローしない(出来ない)、まるで鉄道趣味界の冥府魔道の奥座敷(笑)みたいなジャンルを守備範囲とするこの会誌の存在に、私がどれだけ影響を受け、そして勇気付けられて来たかについては、到底言葉では言い表せない。
大学時代に、鉄道研究会で長年途絶えたままになっていた(それは、当該時期の先輩方の怠慢と言う他無い)会誌を復刊するに当たって、「レベル的には到底及ばない」事は十分承知の上で尚、あの会誌のスタイルを一つの理想として念頭に置かずにいられなかったのも、「どんなに大した事の無い稚拙な紙面であろうとも、せめて志は高く掲げてゆきたい」という願いがあったからだった。
まぁ、恐らくその辺の想像力の欠如していた当時の、そして今の現役会員諸君には理解を願うだけ無駄というもの(その点について期待出来る人材とそうでない人材の違い位は私にも判る)だろうから、敢えて口にした事は無かったのだが・・・(苦笑)。
取りあえず、今年の岡大大学祭で鉄研が“FIELD TAPPER”の最新号を配布するかどうかで、彼らの継続的な情報の蓄積/共有の場としての会誌発行という行為に対する理解ないしは認識というものが計れる事だろう(笑)。
大学祭で形ばかり発表する為だけの「研究」が後に何も残さない事にはそろそろ気付いても良い筈なんだが・・・。
いや、理解しているかどうかはこの際どうでも良い。
会誌を出し続ける事、彼らがこの事の重要性さえ認識出来ていれば、それはそれで私の6年間に渡る努力に意味があったという事になる。
密かに期待して、大学祭の結果報告を待とうと思う。
まぁ、今更私にはどうでも良い事と言えばどうでも良い事ではあるし、先日復活した岡大鉄研のサイトの状況を見る限り、その辺はかなり望み薄なのだが・・・。
西暦2000年10月3日
機芸出版社の「トラクションブック」を模型店で見つけて購入。
TMS誌上の路面電車/インタ・アーバンの記事+特集記事を集成した本だ。
中でも、各鉄道趣味誌上での宣伝でお目当てだったPacific Electric(パシフィック電鉄)の紹介記事は、非常に濃密で読み応えがあった。
この会社はHollywoodをはじめとするLOS ANGELES一帯に、総延長で東海道線全線を上回る程の都市間連絡電鉄/市内路面電車サービスを展開した事で知られ、同地域の都市圏を「創り、育てた」途方もない大電鉄(その経営ノウハウは日本の関西私鉄において大いに参考にされたという)で、これまでも何度か断片的な形で紹介された事はあったのだが、何しろ米国の鉄道なので、概略でもその全貌を正しく伝える記事というのは無かった様に思う。
まぁ、1961年に旅客営業を全廃しているので、日本の鉄道ファンがこの鉄道の生きた姿を目にする機会が無かった、というのも理由の一つなのだとは思うが、総じて日本の(模型をのぞく)鉄道趣味誌は、欧米の鉄道に関して旅行記は載せても突っ込んだ研究記事は載せたがらない(その意味で鉄道ファン誌の一連の海外鉄道車輛研究記事は評価に値する)傾向があるから、こうして今回纏まった記事が出たというのは一つの奇跡かも知れない(苦笑)。
読んでみると電車好きにとっては素晴らしく魅力的な車輛の宝庫だった事が判るだけに、その辺は残念に思う。
日本車輌の電車が入ったイリノイセントラルにしろ、ここにしろ、そうしてあのベイブリッジを渡っていたキーシステムにしろ、戦前派の関西私鉄系高速電車群に興味のある人間ならば絶対無視出来ない車輛で一杯なのだけどねぇ・・・(溜息)。
取りあえず、これを機会に米国インタ・アーバンの紹介記事が増える事を祈っておこう。
いや、その前に洋書をあさるのが正解か(苦笑)。
本音を言えば、やっぱり生きて本線上を疾駆する実物が見てみたいよなぁ・・・(溜息)。
AT3号機のWindows NT 4.0上でオートシャットダウンを出来る様にする方法がないものかと、あれこれ試行錯誤してみる。
具体的には\WINNT\System32\にあるHAL.DLLというファイル(ハードウェア抽象化階層の定義ファイル)をNT4のマスターCDやService PackのCDとかに収録されているHAL.DLL.SOFTEXとかいう露骨に機能を明示した(笑)ファイルに差し換えて試してみたのだが、その何れもがそもそも起動しないか、それとも動いてもオートシャットダウン機能が動作しないの何れかのロシアンルーレット(爆)状態で、結局オートシャットダウンは不可であるという事が判った。
恐らくACPIを有効にしたりしたのが原因と思うが、Windows 2000でACPI有効にしてある関係上、NT4の為にこれを無効にすると2000が起動しなくなってしまうので、結局諦めるより他無いのだ。
サーチエンジンであちこちのサイトを巡っていたら、偶然ペヨトル工房の解散を報じるページに行き当たって驚く。
この出版社は「銀星倶楽部」や「夜想」といったかなりマニアックな雑誌を出していた事で知られ、ある意味で1980年代の小規模出版社の代表的存在とも言えた所だけに、その解散には本当に驚いた。
一昨年のトレヴィル/リブロポートの解散も大ダメージ(お陰で楽しみにしていたリチャード・コールダーの“ガイノイド”三部作の最終巻が当分読めなくなった)だったけど、浪人時代にそれこそ貪る様に読んでいた本の出版元がこうして次々に潰れるというのは、一つの時代とその文化の終焉を見る様で、何とも辛い物がある。
そういえばあの怪著“鼻行類”を上梓していた博品社もこの七月に潰れたらしいし、岡山の福武(現ベネッセ)も何時の間にやら書籍出版から手を引いた(お陰で、同社が出していたかなりマイナーな、けれども非常に大事な外国文学作品群の翻訳本が入手出来なくなってしまった。マルカム・ブラドベリの「カット!」とか好きな本結構あったのだけどなぁ・・・(溜息))そうだから、こうしてみるとこの不況は、どうにかここまで喰い繋いで来た小出版社群が力尽きて消滅せざるを得ない程に悪化の一途を辿っているという事になる。
無論、その状況は世間の多くの業種に当てはまる事であって、特に出版業だけが悪い状況にある訳では無いのだが。
何にせよ、今のこの国で一番金を持っている世代/層(50代〜70代のいわゆる高齢者)が使途も無いままに小金を握って手放そうとせず、それどころか公的介護の充実だとか何とか言って、財源の当てもないままに国の財政から最後の輸血用資金を毟り取るばかり(それは愚策を通り越して、最早犯罪行為だ)、という状況ではいかなる景気誘導策を実行しても景気が良くなる訳がないだろう。
経済学の始祖たるアダム=スミスに遡るまでもなく、景気、あるいは根元的に市場経済というメカニズムは、消費者の経済活動、つまり市場商品の購入→消費とその代価を得る為の労働力の提供という表裏一体の行動があってはじめて成立する。
つまり、誰かが金を握ったまま手放さないのでは、企業も当然に充分な資金調達が出来ず、従業員に対して労働の代価を支払えなくなり得るし、市場にある商品も、誰も買わない/買えない為に次第にその数を減じて、市場そのものが縮小して行く事になる。
であるならば、その点について考える限り(無論それ以外の要因もたくさんあるとは思うが)、例え政府が突如として有能になったとしても(笑)老人達が貯金を握りしめて全く使わないのでは景気の誘導は殆ど絶望的という事になるのだ。
正直なところ、どうせ握りしめていても死んだら相続税その他で国に没収されるだけなのに、自分の 為に使おうとしないなんて、今の老人達は一体何を考えているのだろうか? と思う。
何しろあのバブル期には、彼らの多くは企業で、そうして行政府で、責任ある立場にあった筈なのだ。
殊更社会貢献するわけではなく、只々他者に介護等での「無償奉仕」あるいは優遇を事実上強要し、あげく何のビジョンも持たずに「死より尚悪い生」に執着する馬鹿な老人達(無論そうでない、本当に尊敬に値する老人がおられる事は承知しているが、そうで無い方が余りに多いと思う)をバスの車中で、電車の車内で、あるいは病院で目の当たりにすると、正直絶望的な気分になる。
年長者である事に対する敬意を払う事を他者に要求するのであれば、逆に自らは敬意を受けるに相応しい人間であり続ける事を求められるのだ、という単純なギブ&テイクの関係が存在する事を、今の老人達は忘れてはいないだろうか?
いささかきつい言い方になるが、この国は未来の為に本当に必要な事にではなく、そうした先の見えた「死んだ方がまだまし」な老人達の為に金を浪費し続けているのだ。
今の日本でタチが悪いのは、その世代の人間が政治の場で権限を握って離そうとせず、後の世代の負担などそっちのけで悪政の限りを尽くしている事だ。
恐らく、今の政権が続く限り、日本の21世紀は絶望的な幕開けを飾る事になるだろう。
そう考えると暗澹たる気分になる。
無論、その事を危険に思うからこそ、投票所には足を運ぶのだが・・・(溜息)。
西暦2000年10月4日
手持ちのIntel PRO/100+(Intel 82559搭載の100BaseTX対応LANカード)を眺めていて、ふとこのカードが5V/3.3V両対応仕様である(カードの誤挿入防止キーの為の切れ込みが両方とも切ってある)事に気付く。
つまり、普通の5V対応PCIカードならば挿せない、SUPER PIIIDMEの64bit PCIスロットに挿して使えるという事で、早速試してみる。
・・・おお、ちゃんと動いた(笑)。
このマザボのオンボードコントローラも82559なのだが、Windows上では両者は正しく“Intel 8255x-based PCI Ethernet Adapter”と“Intel PRO/100+ PCI Adapter”とに区別されてドライバ認識されている。
この辺り、一体何を見て判別しているのか知らないが、いかにもIntelらしい、芸の細かい話ではある(笑)。
西暦2000年10月5日
久々に丸一日休み。
丁度良い機会なので、物置の奥深くで眠っていたAT1号機を引っ張り出して来て、手元に余っているパーツをあれこれ組み付けて動かしてみる。
スペックはこの通りで、何というか如何にも1996年年頃の仕様(笑)なのだが、何故かオールSCSI、しかも重装備マシンになってしまった(苦笑)。
で、調子に乗って一旦MS-DOS 7.1(Windows98のDOS)でCD-ROM認識させてからWindows NT Workstation 3.51をインストールしようとするも、同DOSのロングファイルネーム保護機構に阻まれてあえなく断念。
仕方ないので、まずはWindows 98を入れてみる事にしたのだが、これが又恐ろしく時間がかかって驚く。
・・・俺って昔はこんなに低速なマシンを使っていたのか。
まぁ、Pentium 133MHzでRAM 32MB、HDDは5,400か4,500rpm、それでもってCD-ROMドライブが6.7倍速なのだから、文句を言う方が間違っているのだが、それにしても遅い。
無論、今のメインマシンが爆速なせい(他の部分はともかく、HDDは世界最速級だ)で特に遅く感じているというのもあるとは思うが、良くもこんなモノで我慢できていたものだと思う。
そういえば、後輩で笠岡在住のU嬢の所で現役のFM-Vってこのマシン以下のスペックなんだよなぁ(爆死)。
AT1号機にOSをインストールしつつ、AT2号機で初めて“AIR”をプレイ(笑)。
何故かツボにはまり、暫く笑い狂う(苦笑)。
西暦2000年10月6日
鳥取で昼過ぎに地震が発生したそうだ。
この関係でJRや各私鉄のダイヤは大混乱。
JR西日本だけでも東海道・山陽線系の新快速や特急(“スーパーはくと”と“はまかぜ”)、それに山陽新幹線がストップし、夕方に所用で向かう必要のあった飾磨に、約束の時間に着けないという事態に陥る。
取りあえず、快速は走っていたので超満員の網干行きに乗車したが、これは西明石以西が各駅停車になる上に、朝ラッシュ時の新快速以上の滅茶苦茶な混雑で駅に停車する度に遅れが1〜2分ずつ広がるという酷い有様だったので、意を決して明石で下車し、車窓から見る限りまだしもまともなダイヤを維持していた山陽電鉄の特急に乗り換えた。
多少高くついたが、ダイヤそのものは乱れていても運行速度自体は乱れていなかったので、直接飾磨に辿り着ける事も含めて、こちらの方が圧倒的に速いと判断したのだ。
果たして、明石駅に滑り込んで来た3100系4連による特急は速かった(笑)。
元々山陽電鉄の西半分、つまり明石以西の区間は大正時代の電鉄ブーム初期に、直線主体のルート選定による本格的なインタ・アーバン(都市間高速電鉄)たる神戸姫路電鉄(ちなみに創業者はあの“紫電改”を生んだ川西航空機の創業者である川西清兵衛)として開業した区間であって、所詮は路面電車上がりで曲線の連続する明石以東とは比較にならない位良好な線形なのだが、私を乗せた3100系4連はそこをひたすら全力で力走した。
無論、運輸省の認可の範囲だから新快速の130km/h運転には及ばないが、幾ら最高速度が高くても走らない新快速より、例え最高速度で劣っても今走っている山陽の特急の方がずっと速い(笑)訳で、生まれて初めて山陽電車を頼もしいと思った(爆笑)。
昭和39年の3000系第一次車から5000系5200形まで、実に35年に渡って山陽電鉄の標準電動機として飽きもせずに量産が続けられた三菱電機MB-3020-Sは、原設計が古くは昭和29年の奈良電鉄デハボ1200用のMB-3020-Aにまで遡るカルダンモーター初期の傑作で、あの近畿日本鉄道モ10100系“ビスタカーII世”にも採用されていた程の優れものなのだが、本気でこんなにも飛ばす運用に充当されているのは、今では恐らくこの山陽電鉄本線の特急位のものだろう。
Mc-M'-T-Tcで電動車とトレーラーの比率が1:1となる山陽の4連特急運用は、ランカーブから考えてMB-3020が限界ぎりぎりまで回されるかなりシビアな運用であるのだそうだが、こうしてノッチオフの間もなく立て付けの悪いアルミサッシをガタガタ言わせながら全力で力行運転を続ける様を見ると、訳もなく感動がわき上がってくる(笑)。
いや、何と言うかもう素敵(爆笑)。
結局、約束より遅れてしまったが、それでも遅れは最小限で済んだ(喜)。
ありがとう、山陽電車。全力で走ってくれた君の事は決して忘れないよ(笑)。
西暦2000年10月7日
AT1号機に手持ちのOS/2 Ver.2.11Jをインストールしてみる。
一旦2枚あるブート用FDの複製の2枚目にDC-390F用ドライバをコピーしてCONFIG.SYSを書き直し、このディスクを用いてマスターCD-ROMを認識させてインストール開始、という手順をとるのだが、長い間放置していた為にその事を失念してしまっていて、しばらく悩む(苦笑)。
そういえば、このOS/2 2.11Jは、“体験版がCD-ROMで雑誌付録になった世界初のOS”だった筈で、これが出回ったせいで国内AT互換機のCD-ROMドライブ普及率が急上昇したとさえ伝えられる、曰く付きの一品であった。
つまり、このOSが出た位までは皆OS/2にそれなり以上の関心と期待を抱いていたという事になるのだが、こうして正規版をインストールし、付録のゲームとかをインストールしてみると、当時の人々の抱いた絶望感というのが良く判る(苦笑)。
これやったらMicrosoftのWindows 3.1が素晴らしくハイセンスに見えてしまうやん(爆死)。
というか、誰だよこんなダサダサのデスクトップデザインしたのは(怒)。
このOSについては、マルチメディア拡張プレゼンテーションマネージャー(懐かしい名前だ)の効果音も伝説になりそうな位物凄く寒かったりもする(爆笑)のだが、改めて触ってみてつくづくIBMはこういう部分が駄目駄目だと思った。
まぁ、DOS/Windows 3.1とOS/2ネイティブのプログラム動作のシームレスぶり、とかいった技術的な部分については流石IBM、と唸らさせられてばかりなのだが・・・。
ちなみにこのOSでは当然にIBM 5576-001/002/003キーボードがサポートされている。
西暦2000年10月8日
駅のポスターで大阪市交通局が「鉄道の日」(10月14日)記念という事で10/7〜9の間、普段非公開の市電保存館を一般公開している事を知り、足を運んでみる。
市交1号線から本町で3号線に乗り換え、北加賀屋で下車。
後は徒歩で緑木の検車区に併設された保存館を目指したのだが、途中どうしたものか道に迷って交番で尋ねたりした後、どうにか辿り着いた。
この市電保存館は元来市電廃止時に交通局が永久保存を約した筈の10輛の電車(当然、識者によって各時代・各技術を代表する車が選ばれた)を保管する為に何処だかの公園の一角に設けられていたものなのだが、区画整理だか何だかでそこを追い出され、地下鉄の検車区となった森ノ宮車庫に一旦収容された後で保存車輛数の削減(怒)が行われて3輛(貨10・600形・3000号)の解体処分と、801号の市交研修施設への移設が実施された後、再度この緑木に建設された保存館に残る6輛が移動されたという経緯を辿っている。
流石に、4輛の犠牲を強いただけあって、もうこれ以上削れない位凝縮したコレクションになってしまった訳だが、少し薄暗い保存館の中で対面出来たこれら6輛は、果たして素晴らしい電車ばかりであった。
まぁ、オリジナルがとうの昔に遺失していた為に形だけ(それでもかなり頑張って)造った5号二階建て電車(本物はP.へルブラント社製台車(現物は1台宝塚ファミリーランド電車館に残っている)を履いていたのに対して、J.G.Brill社製Brill 79E低床2軸単台車を履いている等、マニア的には不満が多い。但しそれはそれで残存例が少ない部品で一杯なので決して馬鹿には出来ない)はともかく、それ以外の5輛については、ひょっとすると現役時代より綺麗な状態に維持されているのではないか?という位綺麗に整備されていて、感動の余り声も出なかった。
ああ、それにしても何という宝の山だろうか(感嘆)。
今では見る事も稀になってしまった、General Electric社製K-9A/B-18A直接制御器にBrill 21E/79E2軸単台車、それに何より国内現存唯一のBrill製マキシマム・トラクション台車(2軸ボギーで、駆動軸の車輪を意図的に大きくしてトラクションを稼ぐタイプの台車)。
電鉄発達史に関心のある者に取っては、如何なる宝玉にも勝る機器の数々が、そこにはあった。
それだけでも充分感涙ものなのだが、国内では完全な形をとどめる現存唯一の散水電車(未舗装の道路に水をまいて埃を抑える為の電車。かつては岡山にもあった)や、素晴らしく美しい姿を留める、和製PCC車の傑作3001形の最終車である3050号等を見ると、書籍でその存在や仕様等は知っていても、それだけでは決して感じ取る事の出来ない何か、言ってみれば存在感とでもするべきものがひしひしと伝わってきた。
ああ、来て良かった。
心の底から、そう思った。
だが、真打ちはその後に待っていた(笑)。
一見ダサダサで、おまけに物凄く地味な格好をした、いかにも昭和初期の電車といった態の1644という半鋼製大型ボギー車が保存されていたのだが、間近によってこの車を観察してみると、これが実はそのぱっと見からは想像もつかない位ハイレベルな電車である事が見て取れたのだ(驚)。
正直言って、この車の履く住友金属製大阪市電形台車には心底驚いた。
これまで間近で観察する機会が無くて知らなかったのだが、この台車はサスペンションは原始的な重ね板バネが当たり前であった時代にオールコイルバネ化を実現し、ショボイ見かけからは想像もつかない位複雑で戦後の最終形である3050号の履くそれと比べても全く変わりの無い、そうして当時としてはあまりに先進的に過ぎる、まるでオーパーツの様な機構をごくごく自然に実現していたのだ(驚愕)。
実はこの台車は市電廃止時に広島電鉄等に払い下げられた車に大量に付いていったので、近年まで車体を渡り歩きつつ現役で稼働していた例が結構あったのだが、成る程これ程までに簡潔且つ高度な機構を備えていたのならば、その長寿にも納得が行くというものだ。
で、やはり現物を見ないと判らない事があるものだよなぁ、とか思いつつこの車の車内に入って、私はもう一度絶句させられた。
ゆ、床が大きく波打っている(爆)。
何と、乗降時に楽に上り下り出来る様に、出入り口付近だけ床が意図的に下げられて、一種のスロープ状になっていたのだ(驚)。
最近になってバリアフリーがどうのという事でステップレスの低床車やこういったスロープ構造を持った路面電車が話題となっているが、恐るべき事には大阪市電は、例え荒削りな構造とは言え、昭和一桁の時点で既にそれを実行していたのだ(爆)。
・・・つまり、今ある路面電車の祖形の殆どはこの1600形の時点で完成していたという事だ。
成る程、大阪市交通局がよりにもよってこの地味な電車を永久保存対象に選んだ理由が、これで漸く納得できた。
この電車は後世に誇りうるものとして、選ばれるべくして選ばれていたのだ。
だが、私の驚きはまだ充分ではなかった。
私の驚きは、更に奥に入って行って、運転台に達した時に真のピークに到達した。
・・・この電車、コントローラがKR-208だ!!
非常にマニアックな話題で申し訳ないのだが、私がいた岡山にある岡山電軌をはじめとする国内路面電車でもっとも普遍的に用いられる制御器に、三菱電機が開発したKR-8というモデルがある。
これは力行8段(直列4段+並列4段)、電気制動7段の直接制御器という奴で、日本車輌製造のNKR-8や日立製作所のDRBC-447等、国内各社が遠慮なく(笑)コピー品を量産したせいで業界標準(爆笑)になってしまった(もっとも、このKR-8自体が元来イングリッシュ・エレクトリック社系のDB1-K?シリーズのパクリなんで偉そうな事は言えないのだが(笑))という、とんでもない代物なのだが、流石に本家の三菱はいつまでもパクリで済ませる事に不満があったらしく、この製品をベースに、ピンアサイン(笑)や操作性の互換性を維持しつつ多段化を図った(そうすれば加速・減速がスムーズになる)モデルを設計していた。
それがこのKR-208なのだが、力行を倍以上の段数にして、直列10段+並列8段で18段にした(但しノッチの刻みは半分ずつで直列5段+並列4段となっており、ついでに10段ある電制段もノッチは5段刻み)このモデルは元のKR-8と同じサイズのケースに納める為に恐ろしく細密な電気接点(この写真のコントローラの電気接点を倍密にするのだと考えて貰えば宜しい)とせざるを得なかった為に各社の保守担当から嫌われたらしく、結局東京都電のごく限られた車輛と、ここ大阪市電位しか導入されなかったという曰く付きの逸品であった。
力行18段というのは、ノッチ間に内部的に設けられた複数段を自動的にステップアップする間接自動加速制御器ではそれ程珍しいモノでは無い様だが、こういった600Vの電流を直接ON/OFFするタイプの国産直接制御器用としてはかなり珍しい(もっとも、広島電鉄に入った旧ドルトムント市のデュワグカー(70形3車体連接車)を見ると大型で超多段の直接制御器が実装されているから、ヨーロッパではそれ程珍しくないのかも知れない)部類に入る。
それだけに最早現物は一つも残っていないのではないかと思っていたのだが、よもやこんな場所で出会おうとは考えてもみなかった。
恐らく、このコントローラの希少さを理解していた方が当時の大阪市交通局におられた(私の推測では後に鉄道史資料保存会の初代会長となられた宮本氏あたりの判断ではないかと思うのだが・・・)のだと思うが、本当によくぞ残していてくれたものだと思う。
全くもって素晴らしいの一言に尽きる。
去り難きを忍んで保存館を辞去し、3号線→大国町乗り換え→1号線で難波へ。
そこからポン橋へ出向いて中古屋でAT1号用のSound BLASTER AWE32を1枚ゲット。
今更という気もするが、96年仕様マシンにこれは欠かせない(笑)。
基本的にはSB16PnP+Wave BLASTER I/II相当だが、カード上に実装された2本の30ピンSIMMソケットがナイスだったので買ってみた。
ついでに、IBM 5576-B01キーボードも一つゲット。
メンブレンゴムスイッチの品だが、一度も買った事がなかったので、比較の意味で買ってみる事にした。
一撃で何か嫌だなぁ、って気分にはなったが、まさか店頭で分解する訳にも行かないので、取りあえず買って帰ってばらしてみるのが正解かと(苦笑)。
帰宅後、分解してみた所、果たして私の嫌いなミツミOEM品だった(笑)。
何が嫌いかと言って金属フレームのエッジを立てたまま放っておく手抜き加減(合理主義という事だろうが、この辺はALPSキーボードでは必ずといって良い位丁寧に仕上げられていた)が嫌いなのだ。
ほら見ろ、分解した拍子にエッジで指の皮を切ってしまったではないか(怒)。
これだからミツミは嫌なんだよなぁ・・・(溜息)。
何と言うか、「安かろう悪かろう」という感じで(嘆息)。
実際安く(今回は中古価格\300(税抜))買っているのだから文句を言ってはいけないのかも知れないけれども、こういうモノがスタンダードとして出回っているというのはどうかと思う。
ちなみに、肝心のキータッチだが、クリック感の最後にゴリッとした感じのあるミツミ系メンブレンゴムスイッチ特有のもので、正直な感想としては、同じメンブレンゴムでもALPS DOS/V-KB Model KB001の方が条件的には厳しいのにタッチが良好だった。
やはり、かけた手間の分だけのモノしか出て来ないという事か・・・(溜息)。
西暦2000年10月9日
帰宅途上、新快速の車中より明石海峡を眺めていると、ふと落日の照り返しで、宙に浮かぶ雲が得も言われぬ絶妙な色を帯びているのに気付く。
まるで、ターナーか誰かの風景画にでも出てきそうな、淡く微妙な色合いの雲。
そんな、19世紀的光景と20世紀の土木技術の粋を尽くした大橋の、一瞬の邂逅。
もしかしたら、疲れているのかも知れない(苦笑)。
西暦2000年10月10日
AT1号のOS環境の整備。
何しろ大昔のOSを入れているので、設定ノウハウを綺麗に忘却し尽くしてしまっていてかなり苦労した。
そもそも、Sound BLASTER AWE32なんて現役時代には馬鹿馬鹿しくて(ひどく高価な上に音が悪かった)買おうともしなかった様なモノだものなぁ(苦笑)。
そんな訳で、Creativeのサイトからどれが要るのかさえ定かではない様なファイル群を幾つもDLしてきて組み込んでいるのだけど、これ、本当に使う事あるのかなぁ(笑)?
ついでに、IBMのサイトを覗いてみると、流石と言うべきか、同社がこれまで発売した各OSの修正ファイル群がFix Packという形で無償提供されていた。
それも、驚いた事にはPC-DOSの旧バージョンの2000年問題対策パッチまで用意しているらしい(驚嘆)。
何というか、ここら辺を見ると流石はビッグブルーだな、と思う。
そこからは、サポートというのはここまでやってこそ本物だ、という同社の矜持が伝わって来るかの様でさえある。
未だにMS-DOS Ver.3.3や5.0A、あるいはOS/2 Warp V4(!!)等のPC-9800シリーズ用OSを販売し続け、なおかつサポートし続けているNECもそうだけど、自社オリジナル規格のPCと、そのマシンの為のOSを開発していた会社というのは、やはりここまでやってナンボ、という事なのだろう。
無論、この2社は当然の様に独占者として相応の収益を得てきた訳だけど、その一方で、社会的な要請で課された義務をちゃんと果たして来たのだから、それはそれで大したものだと思う。
何処とは言わないが、お義理程度で自社独自規格マシン用にWindows 95は出したけど、あろう事かWindows 98発売時にMS社との契約が切れたから、とか言ってさっさとそのWindows 95の販売を打ち切ってしまった(激怒)不届きな会社もあった事を思うと、この2社の仕事ぶりには、不覚にも感動さえ覚えてしまう(笑)。
幾ら自社製品が事実上国内標準規格と化していた、という事情があるにせよ、15年以上前に出したOSをメンテナンスし続け、しかもパッケージ版の在庫を持って販売し続けるというのは、本当に並大抵の手間では無い筈なのだけどなぁ・・・>NEC
西暦2000年10月11日
帰宅途中、満員の新快速電車の車内で「非常用」と大きく赤字で明記された窓を、事もあろうに走行中に開けた馬鹿者に遭遇する。
一見サラリーマン風の親爺だったが、自分さえ良ければ何をしても良いとでも思っているのだろうか?
一応、注意したら何やら言い訳を呟きながら閉めたけど、幾ら自分が走って来て(駆け込み乗車だ)暑いからと言って、非常用窓を開くか、普通??
223系2000/3000番台の非常窓が非常開閉に限定されているのには必ず理由がある訳で、それを自分勝手な理屈で開けてしまうその傍若無人ぶりは、何ぼ何でも大概だぞ(呆)。
なる程、こういうオッサンが自分の都合だけで手前勝手な事を繰り返して日本経済を傾けたのだな、などとふと思ったりした。
帰宅後、夜になってアップロードしたファイルのチェックの為にこのサイト上のコンテンツをブラウジングしていたら、カウンタが5000を越えている事に気付いた。
但し、その内何パーセントかはこうした自分自身のアクセスによるものが含まれているのが明白なので、素直には喜べないのだけれども、ともかく約1年と2ヶ月でここまで辿り着いた。
正直な所、S-FAN関係者と鉄研関係者についてはある程度予想が付くものの、それ以外は一体どんな方がこのサイトのどのページを御覧になっておられるのか、全く想像も付かないのだが・・・。
まぁ、関係者については、その90%以上は基本的にこの日記しか目を通していないのではないか? という話もある訳だけど(苦笑)。
何しろここ暫く日記更新をサボったら、てきめんにカウント上昇速度が鈍ったものなぁ(爆笑)。
西暦2000年10月12日
先日来、後輩のM君と交渉してきた、Hot Rod 100 PROの売却が決定。
何しろウチでは使えない(一応、1号機のGA-586HX2はAWORD BIOSなので動いたけど、正直、あのマシンに大容量ATA HDDを入れる気にはなれない)モノなので塩漬けにして置いておくより、彼に渡して活用して貰った方がカードにとっても幸せだろう。
そんな訳で、早速発送の為に梱包したのだが、ついでにオマケを一つ入れる事にする。
何かと言えば、「一応動くものの、駆動音が激しく怪しいVikingII 9.1GB」だ。
まぁ、色々扱い辛い所のあるドライブなのだけど、7,200rpm級Ultra Wide SCSI HDDの教材には丁度良いだろう(笑)。
チェックを兼ねた物理フォーマット&論理フォーマットの後で、色々怪しげなデータやツールを仕込んでおいたけど、果たして彼がこれに気付くかどうか(苦笑)。
無論、気付いても破損していて読めない、というパターンもあり得るが、多分これなら無事届くだろう。
・・・彼のマシンに良いビットが流れます様に(爆死)。
電車の中吊りで「自虐的史観を批判する」だのどうのという内容の本の広告を目にしたのだけど、この時、ふとある疑問を抱いた。
朝日新聞に代表される様な多少左寄りの人々の主導する歴史観を指して「自虐的」と言うなら、それを否定して否定してひたすらにあげつらう、産経新聞とかこういった本を書く様な連中の歴史観は何というのだろうか? と。
で、暫く考えて思い付いたのが、やはり「自虐」の反対の概念、という事で「他虐的史観」(核爆)ではなかろーか、と(笑)。
つまりマゾ的史観とサド的史観という事ね(笑)。
そう考えれば、「他虐的史観」の連中が「自虐的史観」の連中を執拗に批判する理由が良く判る(笑)。
何しろサドだけに、マゾを見るとしばき倒すのは本能だから仕方が無い、という訳だ(爆笑)。
・・・お後がよろしい様で(笑)。
鉄研OBで、某SY電鉄社員のY先輩からこの日記についての感想のメールを頂く。
・・・そうか、読まれていたのか(苦笑)。
中身は、先日書いた鉄研会誌“FIELD TAPPER”の話についての感想etc.だった。
実は、この日記は現在の所、一旦大学ノートに0.3mmのシャープペンシルで書き付けてから、それを読みつつWindows 2000のノートパッド(笑)上で手動HTML変換(爆笑)して打ち込んでおり、その過程で当初書いてあった内容をどんどん付け足したり削ったりしている。
基本的に、社会的にマズい話は無条件で削っているし、つい書いてしまった他人の悪口等も、個人的なモノについては気付いた範囲で全部削ってアップしているのだが、もしかするとY氏にはアップした日記の行間に潜む、意図して削除した部分が見えてしまったのかも知れない。そんなメールであった(含笑)。
西暦2000年10月13日
岡山のM君にブツを発送。
無事に届きます様に(祈)。
ちなみに発送は時間の都合で早朝、姫路駅前のローソンでクロネコヤマトの宅急便を用いたが、ここで一つ非常に不愉快な事があった。
一体何を考えているのかは知らないし、知りたくもないが、ローソンでは「割れ物」の発送を取り扱わない。そういうモノは直接クロネコの営業所へ持って行ってくれ、などというふざけた台詞を言われたのだ(激怒)。
馬鹿野郎、それをする時間がないからここで頼んでいるのだろうが。
そう怒鳴る寸前まで行ったが、人目を忍んで取りあえずは自制した。
岡山のファミリーマートでは、それこそPower Macintoshを送ろうが何を送ろうがそんな事は一度も言われた事が無かっただけに、このローソンの、如何にも責任回避と自己保身の権化の様な、硬直化した官僚的対応には呆れてモノが言えない。
仕方が無いので、梱包が完全である事を懇々と説いて引き受けさせたけど、成る程、親会社がああだから子会社もこうなるのか、それとも逆なのか、何れにしろこんな事を通達として上が流す様では、ローソンは先が長くないな、と思った。
とりあえず、客の利便性よりも自分の都合を優先する様な、客を馬鹿にした真似をするコンビニは、潰れた方が世間の為だ。
ああ、セブンイレブンでもファミリーマートでも良いから、あの糞忌々しいローソンを駆逐してくれ(願)。
私はもう、あの青い看板を見るのも嫌だ。
暫く前に同期のAmir君に依頼して送って貰っていたFDを漸く確認する。
・・・成る程こりゃひどい(謎笑)。
取りあえず、彼にはお礼をせねばならないのだけど、その前に住所録発掘せねばならないなぁ・・・(困)。
少なくとも私の環境では、OS/2 Ver.2.11J+Milleniumは鬼門に近い事が確定。
やはり日本語ドライバが無いのは辛い。
もしかしたら何処かにあるのかも知れないけど、英語版だとエラーメッセージが文字化けして宇宙からのメッセージ(核爆)と化してしまうので、どうにも対処の仕様が無い(苦笑)。
やはりデフォルトでドライバのあるS3の古い目のチップを積んだカードを用意するのが正解なのかなぁ・・・(溜息)。
西暦2000年10月14日
今日は鉄道の日。
ハーバーサーカスの祖父地図で中古CPU関係のショーウィンドウを眺めていたら、「K6-2 400MHz」と書かれた札の貼られたI-O DATA社製CPUアクセラレータ(PK-K6HX400/98)の箱が、\5980で売られていた。
いい加減、MMX Pentium 233MHzで98を動かすのが辛くなり始めていて、中古CPUを物色していたので気付いたのだが、この製品、どうも様子がおかしい。
札にはK6-2 400MHzとあるのだが、古い記憶をひっくり返して当該製品のスペックを思い出してみると、確かこれはK6-III 400MHz搭載の品だった筈なのだ。
で、じっくり箱を観察してみると、果たして「K6-III 400MHz搭載」の文字が記載されていた。
つまり、店側が何を思ったか勘違いしてK6-2 400MHzの札を張ってしまっていた訳だ(苦笑)。
こういう場合、「これはK6-III搭載ではないのか?」などとうっかり店員に尋ねようものなら、「あ、値札間違えていました」とか言われてさらっと値段をつり上げられてしまうのがオチ(実例多数)なので、黙って速攻でレジへ(笑)。
仮に前所有者がK6-IIIからK6-2へ換装などという面倒な作業(電圧は違うし、そもそもこの手の製品は確実に密着させている関係でクーラーが外しにくい)をしていたとしても、この値段ならまぁ腹も立たない(これと同等の下駄とクーラーを新品で買うと確実に\8000位する)ので買ったけど、祖父地図のこの手の商品は判らないからなぁ・・・(苦笑)。
で、不安半分で帰宅後、早速98を分解してMMX Pentium 233MHz+怪しげな下駄を外し(長い間ご苦労様)、買って来たアクセラレータを挿してみる。
子細に観察すると下駄の裏面のチップ抵抗に半田付けの跡があったりして、怪しさ満点だったのだが、CPU判別の意味を兼ねて外付けのキャッシュモジュールを挿したままで(この辺の98ではBIOSの関係で、K6-IIIにして無加工のキャッシュモジュールを挿したままにすると、PCI SCSIカード等からの起動に失敗する事が多い)電源を入れると鋭くピポッと鳴った後、ブートシーケンスが進行し、SCSIカードのデバイスチェックで停止した。
これはイケるかも知れない、と思いつつ電源を落として今度はキャッシュモジュールを引き抜き、再度電源を入れてみると、果たして今度は無事ブートメニューが出てドライブ選択画面まで進み、Windowsを入れたドライブを指定すると、それこそするする起動し、あっという間にデスクトップ画面が出てしまった(喜)。
そこで、WCPUIDを起動してCPU機種を確認してみると、やはり正真正銘のK6-III(Stepping 5-9-1)が入っていた。
もうけもうけ(笑)。
その後、あれやこれやと設定してからHDBENCH 3.22で性能測定をしてみる。
・・・ううむ、やはり今ひとつ伸びないなぁ(苦笑)。
まぁ、Windows 2000では充分実用になる程度の速度は出ている(1152*864フルカラーでトータル8500も出たら、取りあえずは充分だろう)のだが、Windows 98では何故か同じドライブ(DDRS-39130W)なのにRead/Writeの値が3MB/s程度しか出なくて(2000ではRead 12MB/s Write 10MB/s程度)、かなり悩んだ。
結局良く判らないので、取りあえずは放置しておく事にしたけど、何故なのだろうか・・・?
悩んでいても始まらないので、98から外したMMX Pentium 233MHzをAT1号機に回す。
おお、流石にPentium 133MHzよりは格段に速いなぁ(笑)。
まぁ、性能に影響の大きいL1キャッシュが倍増(16KB→32KB。ちなみにK6-IIIは64KB)して、ついでにクロックも1.75倍なのだから、速くなっていなければ嘘というものなのだけど(苦笑)。
西暦2000年10月15日
酒見賢一の「聖母の部隊」が何故かハルキ文庫から出ていたのでゲット。
本編も凄いが、何より今回は「文庫版あとがき」が一番凄い(笑)。
・・・何でSF論の筈がPC-98版「YU-NO この世の果てで恋を唄う少女」(elfがPC-9800シリーズ用MS-DOS版18禁ゲームの時代の末期に出した、恐らくは18禁アドベンチャーゲームの最高の到達点の一つ。Desire→EVE(共にC's Ware)と進化してきたマルチサイトシステムによる、シナリオライターたる剣乃ゆきひろの最高傑作でもある)の礼賛で埋め尽くされるかなぁ(苦笑)。
まぁ、言っている事自体はどれも非常に正しいと思う(断言)けど、そうかそうか、酒見氏って実はPC-98用DOS版18禁ゲームをやり込んでいたクチなのね(笑)。
相当数をこなして、しかも少なからぬ数のクソゲーを掴まされた事が無ければ絶対に出て来ない様な言葉が連なっているあたり、誠にほほえましい(微笑)。
取りあえず、1994〜1996年頃の98用DOS版18禁ゲームが最後の輝きを放っていた時期にそういうゲームにどっぷりハマりこんでいて、しかもSFな人間には(多少異論・反論はあろうが)必読の一文と言っておこう。
AT2号機のWindows 98環境でCD/DVD-ROMドライブのアナログケーブルを使わないで済ませる(直接CD-DAをデジタルデータとして読み出して、サウンドチップにそのまま送り込む)為に、YMF-754のドライバを通常のドライバから、最新版のWindows 98/2000共用WDMドライバ(Ver.5.12.01.2228)に置き換える。
これでSB互換は使えなくなったけど、そんなモノ、未だかつて使った事が無いので、これでOK(爆笑)。
斯くして“AIR”のCD-DA BGMをEsoteric D-2経由のクリア且つハイクオリティな音(まぁ、YMF-754からの出力時に44.1KHz→48.0KHz変換されてしまうので完全ではないけど)で楽しめる様になった(笑)。
要するに、あの忌々しい程にチープなCD/DVD-ROMドライブ用サウンドケーブルがWindows 98/2000環境に限定すれば不要になった訳だ(笑)。
西暦2000年10月16日
ふと思い付いて、準備だけはしておいたPC-9821Xv13/W16の水晶発振器を標準の約14MHzのモデルから、16.000MHz品に交換してみる。
計算上、これでちゃんと動けばFSBのクロック周波数が約75MHzに上昇し、今入れてあるK6-IIIは大体450MHz程度で動作する事になる筈だったのだが、果たして無事動いたWindows上での測定結果もその通りの値となった。
実の所、この手のクロックアップ、特にチップセットのクロックアップはマザーボードの寿命に響くのであまりしたくなかったのだが、今の所このマシンのK6-IIIのクロック耐性を測る手段が他に無い事から実行に踏み切ってみた。
取りあえず、期待した程度の耐性は確認出来たので元に戻したが、どうもこの石はパッケージの様子から考えて(Windows 98 2nd Edition出荷開始以降の製品だった)かなり耐性が上がってからの製品らしいので、MelcoのN4/NV4系下駄と組み合わせれば500MHz以上での動作も期待出来るかも知れない。
無論、今の私にはその予算も暇も無い訳だけど(苦笑)。
尚、実験終了後、その結果に満足しつつFSBクロックは元に戻した。
確かにこの改造でマシンが速くなるのは事実だけど、そのリスクに見合う成果が出ているとは思えないからだ。
正直、今となってはオーバークロックマシンを常用するのは勇気がいる(苦笑)。
西暦2000年10月17日
オーバークロックよりはまともな性能向上策という事で、K6-III搭載に伴って外していたI-O DATA製512KB COASt規格準拠キャッシュモジュールを、モジュール上の容量告知用チップ抵抗を1つ外した上で搭載する。
こう書けばTriton HX搭載のXa??/W・Xv??/W系X-mateでK6-IIIを搭載している方には恐らく何の事かお分かりいただける事だろう。
そう、HXCC.EXE(Triton HX搭載98用キャッシュ制御ツール)を使う事にしたのだ。
本当はWindows NT/2000対応化されたシェアウェア版のVer.2.0を使えば良いのだが、まずはチェックという事で手元に残っていたフリーソフト版(但しDOS/Windows 9x専用)のVer.1.0を使ってみる。
・・・ベンチ結果が軒並み向上した(驚)。
幾らCPUの1/6のクロック周波数で動作していると言っても、それでも通常のDRAMと比べれば遙かに高速な、外部キャッシュ512KB(K6-III内蔵の2ndキャッシュの2倍の容量だ)がもたらす性能向上は無視出来ないという事か(苦笑)。
AT1号機用にAT-ATX電源コネクタ変換&専用電源スイッチユニット付きケーブルを購入。
早速200W級ATX電源(元々はXv13内蔵の品)を入れてみる。
別段これで性能が良くなったり電源管理が可能になったりする訳では無いのだけど、今後の部品交換時の調達容易性を考慮して、交換してみた。
もっとも、AT電源を要求するGA-586HXが果たして何時まで使えるのかは、およそ知れたものでは無いので、本当に転ばぬ先の杖、という奴なのだが(苦笑)。
小野不由美の「十二国記」シリーズのリニューアル版最新刊二冊をゲット。
改めて読み直して、つくづく良くもこんな凄い作品をX文庫ホワイトハートなんかでやっていたよなぁ、と思った。
あの頃から何か居心地が悪いというか何というか、エラく場違いなモノが出ているなぁ、と思っていたのだけど、こうして本流の講談社文庫版として、読みやすさ優先でひらがな化されていた部分を元の原稿の通り漢字に直して出されたモノを読むと、あの怪しげなX文庫WHで出ていたのが何かの冗談の様に感じられてしまう(苦笑)。
まぁもっとも、冷静になってこのシリーズ各作品のあらすじを検証してみると、それらが皆、見事なまでに少女小説の王道を突っ走っている事に気付かさせられるのだけども(笑)。
その辺の絶妙と言って良いバランス感覚があればこそ、このシリーズはあれだけヒットしたのだろう。
改めて、そう思った。
西暦2000年10月18日
酒見賢一の「陋巷に在り 11 顔の巻」を購入。
流石にこれだけ長丁場の話になると、既にして冒頭の方の話の筋は忘却の彼方(笑)なのだけど、こうして途中から読み始める様な形になってなお、これ程までに面白く読めてしまうのはどうした事か(笑)。
何より、悪役の造形・描写の見事な事はどうだろう。
その個性あふれる彼らの行動は、主役である筈の顔回や孔子の存在感を軽々と吹き飛ばしてしまう程の強さを秘めており、予断を許さない。
本当に続きが気になる(今回も恐ろしく先が気になる所で切れている)作品なのだが、最低でも半年は待たねば単行本が出ないのだよなぁ・・・(溜息)。
西暦2000年10月19日
この日記のHTML記述追加作業を行う。
・・・ようやく10/5分まで打ち込み完了。
もう十月も2/3が終わったというのに(涙)。
Windows 2000上でのユーザー管理の実験をしてみる。
個別にデスクトップやMy Documentsフォルダ等が生成される仕組みである事は承知していたのだけれども、具体的にユーザーのアカウントの権限を限定した場合の挙動や設定方法までは把握していなかったので、あれやこれやと悩む。
・・・Windowsってやっぱり世界最悪のアドベンチャーゲームだよなぁ(爆死)。
西暦2000年10月20日
唐突にDarwin 1.02に手を出す。
あのNeXTSTEPの傍系の嫡子で、動作環境にPower Serge系Power Macintoshが含まれ、しかもこれが同系列のマシン用でApple社が関わる最後のOSになりそうな雰囲気とあっては、やはり無視出来ない(苦笑)。
取りあえず、Emacsが動作するならGUIが無くても何とかなる(爆)。
まぁ、BSD4.4相当の機能実装がなされているという話だから、その内X-Window位は動く様になるだろうとは思うが(笑)。
ちなみに、目下最大の問題は、配布されているバイナリのアーカイブサイズが130MBもある事だ(大汗)。
Power PCのコードだけなら、どう考えてもこんなにもサイズが膨れる筈は無いのだが? と思って調べたら、やはりというか、i386系CPU用のバイナリコードを抱き込んだFATバイナリ仕様だった(笑)。
つまり、ひょっとしたらひょっとするかな(謎笑)? という期待もある訳で、こうなるともう、地道にDLするしかない訳だ(苦笑)。
でも、冷静に考えてみたら、DLの必要があるのはバイナリだけではなく、当然リコンパイルに必要なソースコードも一式落とさなければならないのだよなぁ(溜息)。
このDarwin受け入れの下準備で、Fireball ST2.1S 1台をPower Macintosh 8500/132に移設。
今まで1+1.2=2.2GBで済んでいた(それもOSを2パーティションにインストールして、だ)という事は、本当にこのマシンは(E57TでPlay Stationの映像を見る為の)NTSC→RGB変換器としてしか使われていなかったという事であるな(苦笑)。
無論、このサイトのコンテンツがMacのブラウザ上でどう見えているのかをチェックする、という使途もあるけど、それ以外ではMPUのパワーが不足し、しかもメモリが決定的に足りない現在のこのマシンでは何を動かすのも辛い、というのも事実だ。
・・・やはりPM8600/250のMPUカード付きマザボか、それともG3/G4 MPUカードでも買って入れ替えるのが吉か。
西暦2000年10月21日
Power Macintosh 8500/132のS映像出力端子にケーブルを繋いだままにしておくと、内蔵ディスプレイコントローラが自動的にRGB出力画面とNTSC出力画面の2画面マルチモニタモードに切り替わる事に、今更気付く(苦笑)。
幾ら3D機能が無い時代の代物とは言え、僅か4MBしかないVRAMでこんな使い方をしてどうするのだ? という疑念はあるが、どうやらRGBモニタ(編集機能操作用)とNTSCモニタ(動画再生確認用)を並べてQuick Timeコンテンツの編集をする、といった使途を前提とした機能実装であった様だ。
もちろん、そういう使い方をするのが目的でデザインされたマシンであったからこそ、これ程AV入出力周りの作りがしっかりしている(音声入出力がステレオミニプラグではなく、ちゃんとしたRCAコネクタであるというのはPC用では珍しい部類に入る)訳だけれども、それにしてもS端子の自動終端検出機能をこういう形で利用しているとは思わなかった(苦笑)。
まぁ、この辺はマニュアルを見ると一目瞭然の話の筈なのだけど、何しろ中古購入であってそんな立派なモノは付属していなかった(泣)から、今の今まで知らなかった、等という悲しい事態に陥ってしまっていたのだ。
・・・この分だと、他にもまだ私の把握していない未知の機能が幾つか眠っているのかも知れない>Power Macintosh 8500/132
この事実が発覚した(笑)記念として、Fireball ST2.1Sをもう1台Macに組み込む。
この際、元々入れてあったApple純正品のFireball 1.2GBと富士通製M1606は取り外してFireballはそのまま保管し、M1606だけAT1号機に組み入れ直した。
そんな訳でMacのHD容量は2.1*2=4.2GBという事になったのだけど、いやぁ、Fireball STって実は速かったのね(笑)。
正直、起動時のアイコンパレードがこんなに高速化されるとは思っても見なかった(苦笑)。
前にDDRS-34560Wを入れていた時はメモリが今以上に少なかった(何しろ32MBだ)から、せっかくの高速ドライブも効果が無かったのだけど、それなりにメモリを積めば(只今88MB)、例え旧式でもドライブの速度差が大きく影響を示し始めるという事か・・・。
かつてPzi先輩に話を伺った際に、Power Macintosh 9600でもFireball STで特に不自由を感じない、との事だったのだけど、なるほど、これなら確かにそういう話になるかも知れないなぁ。
つまり、無論の事ながらHDDは速いに越した事は無い訳だけど、その速さにマシン側が追従出来ない/必要としないのでは、ある一定以上の性能のドライブを入れても意味が無い、という事になる。
取りあえず、この辺についてはもう少し考察の必要がある様だ。
西暦2000年10月22日
延々とこの日記を打ち込む。
だが、なかなか捗らず、苛立つ。
DarwinのDLも遅々として進まない。
こちらも量が余りに多い為だが、同時に回線速度が低い事にも原因がある。
嗚呼、ISDN回線が欲しい・・・。
必要を感じてパソコンショップでPC-9800シリーズ用キーボード延長ケーブル(8ピンMini DIN)と同マウス延長ケーブル(9ピンMini DIN)を探してみる。
割と当たり前にある品物、という意識があったのだが、姫路駅周辺のPC関連商品を扱っている店では見当たらず、かなり焦る。
今すぐ必要という物では無くともこういったPC-9800関連の機器やパーツ類は、今後機会を逃さず戦略予備を確保しておく必要がありそうだ。
姫路駅前のタワーレコードでFILMS(70年代後半から80年代初頭にかけて存在した、テクノポップバンド)の唯一のアルバム“MISPRINT”が復刻されているのを見て、驚く。
それも、私が持っているCD(LP発売から10年目に出た代物だった)では収録されていなかった同バンドの2nd シングルの曲がボーナストラックとして収録されており、これでこの不遇のバンドが残した全ての公式音源がCD化された事に気付いて更に驚く。
かなり欲しかったが、予算の都合で今日はパス(涙)。
ちなみにこのCDは日本コロムビアが保有するテクノポップ系音源の復刻シリーズの一環として発売された物らしく、それならば、と店頭の検索端末でチェックしてみたら色々面白い事が判った。
この検索端末はミュージシャン/バンド名とかでキーワード検索するシステムなのだが、気になるキーワードをあれこれ入れてみたら、予想外の、あるいは予想以上の結果が返ってきたりして、結構面白かった(笑)。
取りあえず、ここではその詳細は省くが、一応検索したキーワードは並べておこう。
「アーディ(Adi)」、「エイトハーフ(8 1/2)」、「フェビアン(Fabian)」、「カラク(KARAK)」、「ケッジ(KEDGE)」、「くじら」、「スクリーン(SCREEN)」、それに「シショーネン(Shi-Shonen)」。
・・・何やら取り留めもない無節操な並び(笑)だけど、これだけで音楽趣味の傾向はかなりバレバレだなぁ(苦笑)。
西暦2000年10月23日
谷甲州の「戦闘員ヴォルテ」が徳間のデュアル文庫で再発されていたので購入。
読み直してみたのだが、どうも細かい部分がかなり微妙に違う(笑)。
で、後書きを見ると全面改稿したとあった(苦笑)。
この作品を最初に読んだのは確か高校生になりたての頃(銀河英雄伝説の10巻が出た頃(笑))だったと記憶するが、違いが判る位精密に記憶していたあたり、当時の私がいかに熱心にこの手の本を読んでいたかが良く判る(苦笑)。
実際、神林長平と谷甲州、それから当時の田中芳樹(爆)の作品は本当に貪る様に読んだものなぁ・・・(笑)。
愛媛のW.T.先輩から久々にメールが届く。
InitioのUltra 2 Wide SCSIコントローラである、INIC-1060Pを搭載したカードで大量のデータ転送を行った時にエラーが多発して困っておられるとの由であった。
私の所のASC-39160のAIC-7899もそうだけど、プラパッケージのLVD SCSIコントローラって熱暴走が出やすいのかなぁ・・・(溜息)。
ThunderboltにオンボードのAIC-7896も、IOI-A100U2W(これもINIC-1060P搭載)も、ウチで使った分では一度もそういう問題は出なかったのだけど、冷静に考えてみるとこの2つはLVD SCSI機器を一つとしてつながずに終わっている(泣)から、もしかしたらLVDデバイス接続時の、つまり内部的に低電圧差動で送られたデータを通常のTTLレベルの信号に変換する部分が熱暴走に弱いのかも知れない。
それとも、先輩の所のケースでは別の問題なのだろうか?
この辺は、本当に現物を見ない事にはなかなか解決がつかないのだが、取りあえずチップの冷却を推奨する旨、返信を出しておいた。
夜に久々にレPなIRCチャネルに接続してみたら、珍しくMoliceな人がいた(笑)。
色々怪しい話をしたが、先日ここで書いた、「酒見賢一によるYU-NO絶賛」の話を書いたら彼は大ダメージを受けた様だった(苦笑)。
・・・そんなにおかしな話じゃないと思うのだけどなぁ(笑)。
西暦2000年10月24日
今日位に出ているはずのDVD版“ロボットカーニバル”(初回限定版。ちなみに発売延期時に予約を入れた)を求めてポン橋へ出向く。
が、どの店を見ても並んでいない。
不安になって予約した店で尋ねてみると、「ああ、アレは延期になりました。11/25発売予定です」との無惨な答え(号泣)。
大ショック。
で、傷心のままにポン橋をうろつく。
某中古屋でPC-9821RvII26とPC-H98 model 105を見かける。
・・・成る程、RvII26ってかなり特殊な仕様の電源(筐体背面から大型ファンが突き出しており、Xv/W系ではシリアルポートのあるあたりも電源が占拠している。ちなみに追い出されたシリアルポート*2はSCSIポートと共にCバススロットの上に並べられている)だったのか。
道理で、NECがさっさと生産打ち切りをした訳だ。
こういう特殊仕様のパーツって、調達も難しいものなぁ・・・。
又、ケーブルの取り回しを考えるとノイズ対策も大変な筈で、この辺を考えるとあのマシンが高価だった理由も納得が行くというものだ。
別の中古屋でPC-9821Xa/Xv/Xt系マシン用FDDを2台、ジャンクで購入。
恐らくその店が下取りした中古マシンの内、使えなかったマシンから取り外したものと思われる。
取りあえずは保険のつもりで購入したが、使わずに済むならそれに越した事は無い。
ついでに、同じ店で#9のImagine 128 Series II VRAM 4MBを1枚購入。
もちろんAT1号機用だ。
前に持っていて薙沢の人に譲った分には、マスクバッファ用512KB DRAMが挿してあったけど、流石にこちらには挿さっていなかった(苦笑)。
但し、異様に状態が綺麗だったので買ってみたのだ。
#9のカードには、かつてとても手の出ない超高級品であった為もあって、どうしても思い入れというかあこがれみたいな感覚を覚えてしまう。
Imagine 128 8MBとか、Revolution IV 32MB AGP/PCIとか、あの会社のオリジナルチップを搭載したシリーズのハイエンドモデルは、使う使わないとは別の次元で、今でもやはり欲しいものなぁ・・・(溜息)。
無論、PCI版の場合、画質のかなり優秀なセカンダリグラフィックアダプタとして使える、という動機もあるのだけど(苦笑)。
帰宅後、AT1号に買ってきたImagine 128 Series IIを挿して起動してみる。
うむ、Milleniumだと幾ら8MB版と言ってもあまりイカした感じはしなかったのだけど、Imagine 128 Series IIに交換すると、俄然格好良くなってきた(笑)。
・・・こうなって来るとSCSIカードがSymbiosチップのDC-390Fなのが如何にもダサい。
やはり米国メーカーであるAdaptecのカードが欲しいよなぁ(笑)。
まぁ、その伝で行くと、マザボも同じくBaby ATフォームのTriton HXものでも、TYANとかAMIとかの高級デュアルCPUモデル(爆)が欲しくなってしまうのだけど。
そういえば訂正事項を一つ。
以前、大阪市交通局の保存車の事を書いた時に、「永久保存を約した筈の10輛の電車」と書いたけど、1台抜けていた事に気付いた。
和製PCC車(President's Conference Committeeという米国の団体が開発した、高性能電車の国産コピー品およびその技術応用で建造された高性能電車の事)の試作車である3000号の簡易量産車として、本格量産モデルである3001形に先行して生産され、後に大阪市交初のワンマンカーとなった2201形の1号車(つまり2201)が抜けていたのだ。
まぁ、車体が2601形(市電末期に最大勢力を誇った旧型車の機器流用による車体更新車。市電廃止後は、広島電鉄や鹿児島市交通局に大量譲渡された)や3001形と共通デザインだから仕方ないのだけど、何というかかなり影の薄い形式ではある(苦笑)。
・・・これってどう見ても、足回りはそれなりに凄いのに、吊り掛け駆動であるという只それだけで損をしているって感じだよなぁ(笑)。
あるいは、この2201と3001が1輛ずつ残された事こそが、試作車である3000号の保存指定解除→解体処分の原因なのかも知れない。
車体だけ見たら全く代わり映えのしない車が3輛並んで屋内保存というのは、頭の固いお役人には理解出来ない事だったのだろうか・・・(溜息)。
まぁ、それを言ったら戦後すぐの市電復興を支えた1751形や1801形、あるいは大正期を代表する大型車である1081形等、もっと保存すべき車があった筈なのだけど。
それでも、何はともあれ8輛の保存車が、それも分散しているとはいえ屋内保存で残された大阪市電は、東京都電とかに比べれば、まだしもマシではある。
何しろ東京都電は、あれ程の規模を誇ったくせに記念館の建設どころか、数少ない保存車の維持さえまともに出来ていないものなぁ(溜息)。
やはり、交通局の幹部クラスに保存行為に対する理解のある人物が居たかどうかが分かれ目だったという事か・・・。
西暦2000年10月25日
学校の窓からJR東海道線を走るヨーダンパ取り付け工事施工済みの221系を見下ろしていて、ふと一つの事実に気付いた。
221系へのヨーダンパ取り付けに当たっては、何故か一部車輛でダンパを取り付けていない台車があって、不思議に思っていたのだが、今回編成全体を上から眺めて漸くその意味が分かった。
何の事は無い、自重の重い電動車(クモハ221−モハ221やモハ220)については1輛につき4ヶ所、つまり2つの台車の両サイドに1つずつヨーダンパが装着されているのだが、自重の軽い制御車や付随車については、1輛につき2ヶ所、つまり片側面につき1つずつしかダンパが装着されていないのだ。
恐らく、それだけ電動車とトレーラーとでは揺動特性に差があるという事なのだろうけど、正直言ってJR西日本の合理主義がここまで徹底しているとは思わなかった(苦笑)。
PM-750Cで久々にカラー出力してみたら、何故か非常に前衛的な色使いの画が出てきて驚く。
・・・色が正しく噴射されていないぞ、これ(汗)。
仕方が無いので、正しくテスト印刷できるようになるまで、延々とクリーニング印刷を繰り返す。
この辺の問題は、速乾性インクに頼らざるを得ないインクジェットプリンタの宿命といえば宿命なのだけど、どの位使っていないかというのは、プリンタ内に時計を内蔵してログを残せば判る(ついでに、何日使わなければインクが固まるのかについても、ちゃんと実験すれば統計的に計算出来る様になる)事で、それに応じて起動時のクリーニング回数とかを自動可変する様にすれば解決出来る筈なんだけどなぁ・・・(溜息)。
ちなみに、クリーニング後、正しく色設定とかを調整してから印刷し直したら、正しく印刷されたから、カラー印刷での失敗を減らすには、やはりこのクリーニング関係の最適化が重要なのではないだろうか。
AT2号機の冷却系の大幅見直し。
色々実験を繰り返した末に、HDDマウンタの取り付け位置の変更と、ファンの向き等の最適化を図る事で、3台内蔵していた8cm角のファンを2台に削減する事に成功した。
理屈上も実際的にも空気の流れが目に見えて良くなっているのが判る位だから、これによる冷却能力の低下は殆ど認められないものと思う。
何より、これで大幅に動作時騒音を引き下げられたのだから、仮に多少冷却力が低下していたとしても、充分目をつむれるというものだ(笑)。
もっとも、Cheetah X15にASC-39160、それに何よりIntel 840チップセットと、強制空冷を要求するデバイスが多いので、流石にこれ以上の削減はかなり難しいのだが(苦笑)。
西暦2000年10月26日
鉄研HPの掲示板で、後輩達が会誌を作っているらしい事を知り、少し安心する。
アレだけは本当に継続しなければ何の意味もないモノなので、音沙汰が無い事に不安を覚えていたのだが、どうやら現会長のT君が編集作業を担当している様だ(ご苦労様)。
まずは一安心、といった所か。
笹本祐一の快作シリーズである「星のパイロット」の最新刊「ブループラネット」を購入。
・・・いやぁ、やはり宇宙開拓モノはエエのう。
実は、最近パシフィックエレクトリックがらみでカリフォルニア州の地理を調べていたので、この作品中に出てくる地名の位置関係が一瞬で図示出来てしまった(笑)。
やはり勉強は怠っちゃ駄目だね(笑)。
まぁ、現在のロスアンジェルスという都市圏は、P.E.が開拓し、育てた後で、ハイウェイとその上を走る自家用車の群やグレイハウンド(と呼ばれる都市間高速バス。そういえばこの作品にも出てくる)が散々食い散らかしたようなモノらしい(その辺のいきさつについては、諸悪の根元となった自動車メーカーのGM社(P.E.社を敵対的買収して、インタアーバンサービスを壊滅するようにし向けた)を相手取って起こされた反トラスト法裁判と、その研究書に詳しい)から、かつてのP.E.のターミナルやジャンクションが置かれていた土地が今なお重要な土地であり続けている事はある意味当然なのだけど、こうして何気ない形で小説の舞台とかに用いられると、洋の東西を問わずインタアーバンが大好きな私としては、何というか感慨深いものがある。
西暦2000年10月27日
乏しい予算をやりくりして、機関車史研究会(日本における蒸気機関車研究の西の横綱であられた、故金田茂裕氏が主宰されていた機関車研究団体)の「クラウスの機関車 含陸軍双合機関車の全貌」と「J.A.マッファイの機関車 カー・ステュウアトの機関車追録」を購入する事を決意し、鉄道史資料保存会(今年10月末まで約一年間、同会刊行物を委託販売)に送金する。
財政難の折りであるが、こういう出費は致し方ない。
本当は「コッペルの機関車」とかも欲しいのだけど、如何せん1冊1万5千円は今の経済状態ではとても出せない(泣)。
・・・やはり鉄道趣味は金を失う道である事よな(溜息)。
思えば小倉時代(1993年)からこのかた、天王寺方面(鉄道史資料保存会の所在地)には本当に沢山のお金を送金した(苦笑)。
何しろG4 Cubeを1台買ってお釣りが来る位、あそこには貢いだものなぁ・・・(爆死)。
もっとも、その事には全然後悔も反省もなくて、むしろあそこの出版物には感謝や感激、驚愕、それに感動といった正の感情で一杯なのだけど(爆笑)。
Graphic Acceralatorについての逡巡にPower Window 928IILBとMillenium G200/SGを追加。
そろそろ2型11号として正式更新しても良い様な気もするけど、後一つ二つ大物の更新作業が残っているので、多分10月中は2型10号のままという事になると思う。
西暦2000年10月28日
ハーバーランドの祖父地図へ出掛けたら、何故か#9のRevolution 3DのSDRAM 4MB搭載PCI版が何枚も中古コーナーに並んでいて驚く。
一体何が起きたのだろう?
Revolution系やImagine 128系といった#9オリジナルチップを搭載したグラフィックカード、中でも特にPCI版(Imagine系はPCIしか無いが)は、Windows NT系限定とは言えPC-98で動作するから、その高画質故に割と人気があって、なかなか中古でも見かける機会が少ない(あってもすぐ無くなる)。
まぁもっとも、Revolution系で言えばこのSDRAM 4MB版は最下位機種だから、どうせ買うのだったら以前持っていたWRAM 8MB版(出来たら増設8MBモジュールがあると尚良い)か、Revolution IVの32MB版が欲しいという話になるのだが(苦笑)。
手持ちのMOを整理していたら、以前薙沢の人にスキャナで取り込んでもらっていた、岡山電軌の1994年現在の在籍車輛竣工図のデータが出て来た。
・・・そういえばこんなモノもあったな(苦笑)。
で、折角だからサイト上で公開しようかと思ってチェックしてみたのだけど、サイズが1000*800もある結構大きなデータな上に、一部については肝心の諸元の部分が切れてしまっている(諸般の事情でスキャンしきれなかった)ので、どうやって公開したものか悩んでいる。
縮小して、jpegに変換とかしたら記入されている文字が読めなくなってしまうしなぁ・・・(溜息)。
竣工図を格納していたのとは別のディスクから、以前書きかけた岡山電軌関係の原稿が出土(笑)。
驚いた事には、現時点で公開しているページでは書き忘れていた事柄(岡軌7000以降の搭載冷房装置について)を記してあった。
そこで関係する岡山電気軌道関係の各ページの内容を追加訂正。
ついでに、なるべく読み易くなる様に文章の整理・組み替えを実施してみたが、自分のあまりの文章構成力の無さに絶望的気分に陥る。
西暦2000年10月29日
加古川駅高架化工事に伴う仮線移設工事の中でも一番大がかりな作業である、加古川駅自身の仮駅(かつての加古川線ホームや加古川機関区等のあった、駅北側への)移設工事がいよいよ佳境に入った様で、切り替え点に作業員が集結し何やら作業を行っているのを目撃する。
切り替え点の枕木と枕木の間に白い袋の様な物を入れてあった事から推測するに、恐らく遅くとも2,3日中には切り替え工事が実施されるのだろう。
帰宅したら、父のレコード趣味その他の知人である、岡山大学医学部のO教授がお越しになっておられた。
で、取りあえずは私は関係無い筈だったのだが、訳の良く分からない内に引き込まれて(苦笑)、2人してPCの話題で盛り上がる(笑)。
この先生は困った事に、事あるごとにNeXTを人に勧めて回る(事実S-FANのI先輩(医学部所属で、当時ガチガチの98ユーザーだった)はこの先生から「君、PCに詳しいそうだね。NeXTを触ってみる気はないかい?」という、まるで自衛隊か何かの様な勧誘を受けた由である)という困った性癖の持ち主(無論、Cubeのturbo、それもDimentionボードを挿したマシンを2台と、Stationを所有する、筋金入りのベテランユーザーだ)だったのだけど、今回何年かぶりにお会いしてもその辺は全然変わっておられなくて、開口一番の台詞は「Mac OS X Server(NeXTのOSであるNeXTSTEPの直系の子孫)は凄く使いやすくて良いよ」だった(苦笑)。
このあたりの首尾一貫ぶりというのも凄いと思うが、更に驚かされたのは、私がMacのADBキーボードをUSB変換してAT互換機で使っていた、という話をした時に「NeXTのADBキーボードもUSB変換できないかなぁ」と言われた事だ。
・・・先生、アンタそこまでNeXTでなければならんのか。
触った事のある方はご存じかと思うが、ADBになってからのNeXTのキーボードは、正直あまりタッチが宜しくない。
というか、アレははっきり言ってどうしようもないヘタレキーボードだ。
で、その事を尋ねたら、「いや、英語キーボードだから使いたいんだ」との由で、少し安心した(笑)。
正直、ここで「NeXTだから」なんて非論理的な回答があったらどうしようかと思ったのだ(苦笑)。
下手をしたらそーいう事を平気で言いかねない先生だからなぁ、この方は(苦笑)。
鉄研OBのY氏から電話。
何か知らないけど、岡山関係の話の多い日だな(苦笑)。
鉄研の現状について色々聞いて、色々話した。
が、話す内に「もうこれは終わった事なのだ」と冷静に判断する自分がいる事に気付く。
そう、あれはもう終わった事だ。
少なくとも、私にとっては今ではない。
所詮彼らとは道が違った、只それだけの事なのだ。
西暦2000年10月30日
加古川駅の仮駅移設が実施された。
切り替え地点では無闇に沢山の作業員が待機して、固唾をのんで私が乗った列車の通過を見守っていたから、恐らく早朝の列車が途切れる時間帯(それとも途切れさせたのか?)に人海戦術で一気に実施した物と思われる。
この関係で、加古川鉄橋を半分渡った所で列車が急減速する様になったが、この辺のダイヤ上の遅延はどうやって吸収するのだろうか?
今の新快速のスジだと、とてもそんな遅延を容認出来やしない筈なんだけどなぁ・・・。
ついでに言えば、これまで加古川駅はホームが対向式1本+島式1本で2面3線分あって、線路自体は5線分あった(まぁ、ここ半年程見ていた限りでは北寄りの1線はあまり使っていなかった様だったが)のが、島式2本でそれを抱き込む様に3本の線路がWあるいはMの字状に分岐する様に配された、かなり圧縮されたレイアウトに変更されたので、貨物列車の通過時や加古川折り返し快速の処理など、ダイヤ編成上の自由度がかなり下がった筈なのだけど、この辺はどう対処するのだろうか?
その辺については少し疑念が残る。
やはりというか、RDRAM普及で凝り固まっていたIntelがDDR SDRAMへ鞍替えする事を発表した。
Intelは820チップセットの失敗以降、まるでMCAに拘泥して自滅しかけた、かつてのIBMの如くかなりヤバい方向へ突っ走っていた(事実としてシェアもかなりAMDに食われている筈だ)のだが、ギリギリの所で踏みとどまった格好だ。
さて、これからどうなりますのやら(苦笑)。
西暦2000年10月31日
昼に帰宅する途中、東灘のヤードを通過したところでDE10牽引の川重兵庫からの甲種回送列車に出会う。
貨物の内訳は、恐らくはJR東日本向けの701系等の地方向け電車と思われる、ステンレス製3扉車(カラーリングが施されていなかったので形式は不明)が1輛分、それから4+4で8輛編成を構成する京浜急行電鉄2100系電車1編成を中央で分割し、先頭車同士が編成中央で顔をつきあわせる格好に組成し直した8連(先頭車は電気連結器付きの密着連結器を装備しているので、自動連結器が必須となるJR本線上での甲種回送時には、これらを編成両端に出すと連結器を全面交換する必要がある)の合わせて9輛で、一瞬の出来事だった為、標準軌間向けである2100系が履く仮台車の形式は確認出来なかった。
京浜急行の2000系→2100系への置き換えは、先日の最後の2000系2扉車編成によるさよなら運転で明らかな通り、既に完了しているから、この時期のこの増備車投入は、京浜急行が2扉転換式クロスシート車によるサービスを拡大する意思の表れなのだろう。
帰宅後、「クラウスの機関車」と「J.A.マッファイの機関車」を受け取る。
一読して、その余りに圧倒的な内容に絶句する。
1983年〜1984年の段階で、これ程の内容を備えた本を自費出版していた人がいる、その事実が一番衝撃的だった。
・・・これは覚悟して読む必要がありそうだ。
2型11号暫定竣工。
いつまでもだらだら更新するのもアレなので(苦笑)。
主として鉄道系のコンテンツメンテナンスがメインだが、やはりというか山陽電鉄には手を付けられなかった(泣)。
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