いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)
西暦2000年3月1日−3月31日分
西暦2000年3月1日
昼に何気に学生会館に行ったらS-FANの後輩達が屯していた。
聞けば人手の要る会誌製本作業をするのだそうで、手伝う事にする。
その後、なんやかやと喋ってから後輩で現組長(代表者をS-FANではこう呼ぶ)のI君、同期入学で先々々代組長のK君、それから一年のM君らと夕食に向かい、食後M君とI君の部屋を回って所用を済ませてから私の部屋へ向かう事になった。
所用といってもPC関係のセットアップその他で、ほんの20分程度で済む類の軽い作業だった筈なのだが、I君の依頼で行ったATAのHD増設作業は何分HDの容量が大きくなっていた(13GBの99/11富士通製)のでフォーマットに時間がかかり、終わると午後10時を回っていた。
私の部屋に到着後はひたすらCD-R焼きを行った。
その間、暇なので“PANZER FRONT”をプレイしたり、大昔に北九州にいた頃(93〜94年)に録画した「ヒーローたちの20世紀」というBBC製作の20世紀を回顧する番組を延々観たりした。
当然、というか「ヒーローたちの20世紀」の強烈なBBC流ブラックジョークは大受けした(苦笑)。
ううむ、今更言うのもナニだがクライブ・ジェイムズ(BBCのコメンテータ)の毒舌ぶりはやはり並大抵ではない。
この人の出ている番組を大量に放映してくれるならマジで観るし受信料も払っても良いのだけどなぁ(かなり真剣)。>日本放送協会
西暦2000年3月2日
結局CD-R焼きは昼前迄かかった(爆死)。
総数はきちんと計算していないが、何やかやで20枚前後焼いた様な気がする。
お陰で、というべきか先日某オークションで落札した商品2点(Revolution 3D WRAM 8MB PCIと「関西国電略年史」)は無事受け取れたので、まぁそれはそれで良しとしたのだが。
Revolution 3D WRAM 8MB PCIを入手した事を薙澤君にうっかり話してしまう。
で、何かの弾みで彼にこれを譲渡する事になってしまった(爆)。
・・・結局の所ろくに動作させずにこのカードは我が家を出て行く事になった訳だが、まぁ仕方ないか(苦笑)。
丁度これのAGP版を持っているのでそれと見比べてみると、流石に最初期のAGP対応製品という事か、2枚のカード間には殆ど差が無かった。
無論、x1モードのAGPの場合、ポート形態を取るという以外大差無い訳であるから、基板やチップの仕様上特別な対策は必要無かったのも確かだが。
夕方、腹を壊して便器上でうんうんいっている最中に入り口のベルが鳴る。
結局出たくても出られなかったのだが、もしかしたらアレは約束していたバイトの担当の人だったのだろうか(汗)?
夕食後、薙澤君の部屋を訪問。
Revolution 3Dの引き渡しその他が目的だったのだが、何故かまたもその場の成り行きで(爆)PC133 CL=3の128MB SDRAMを彼から購入。
これで私のPC/AT互換機2号機はメインメモリが384MBになった。
無論NT系OSのメモリ消費傾向の強さを考慮しての増強だが、感覚的には未だ足りないような気もする(爆)。
1980年代半ばに私が最初に手にしたPCであるMULTI 16には(ビデオメモリ込みで)384KBのメモリが実装されていた。
そこから約16年、遂にその1024倍のメモリが私のマシンに搭載される様になってしまった。
ちなみに、その384KBでさえ、当時としては大容量であった(当時当たり前だった8bitCPU搭載マシンの場合、メインメモリ64KBというのが相場だった)事を考慮すれば、当時の相場の実に6144倍(!)のメモリが搭載されている事になる。
ただ、CPUの速度向上も似た様なペースで進んでいる(8bit 4MHz → 32bit 600MHz)訳だが、本当にそれに見合った結果を我々は受け取っているのだろうか? という疑問はある。
要するに、そのハードウェアの進化の分だけOSその他のソフトウェア環境も進化したのだろうか? という事なのだが・・・。
西暦2000年3月3日
今日は特に何事もなく一日が過ぎた。
・・・と思っていたら夕方、TGC先輩から電話がかかってきた。
聞けばDVD版「THEビッグ・オー」を観ていたらコマ落ちに耐えられなくなった(ドロシー登場シーンでそうなるのはまた味がある(爆死)との事だったが・・・)のでPCIでDVD再生支援機能の付いたグラフィックカード(Savege4 PRO Plus搭載でVRAM 32MB)を買ったが、そもそも認識されないのだがどうすれば良いのか? という質問で、とりあえず明日時間があるので見に行きましょう、と約束する。
あのマシンはどちらかと言えばまずメモリ増設を優先した方が正解だと思ったのだけどなぁ(苦笑)。
まぁ、メモリ増設したとてDVD再生がより完全になる訳では無いから、DVD支援機能有りのグラフィックカードを増設したくなるのも判らないではないのだけど。
西暦2000年3月4日
2型2号の為の記述作業に勤しむ。
忙しくて更新を怠っているが、決して作業そのものを中断している訳ではないので念の為。
結構な分量について改変作業が進行中なのだが、見かけが大して変わらないのが少々悲しいかも知れない(苦笑)。
夕方になって約束通りTGC先輩宅を訪問。
問題のグラフィックカードとご対面(笑)。
これはI-O DATA製のどうという事のないSavege4 PRO Plus搭載カードで、今時珍しいPCI物というのが最大の特徴かも知れない(苦笑)。
問題はBIOS設定をマニュアルの指示通りに切り換え、基板上のジャンパを入れ替えた上でWin98を起動し、正しくドライバを入れただけで解決した(苦笑)。
察するにBIOS設定が正しく出来ていなかったのがトラブルの原因の様だ。
これで内蔵グラフィック機能は殺せる様になったので、その為に占有されていた8MBのメモリが解放され(つまり今まではメインメモリ容量が64-8=56MBだった)、その分スワップの為のHDアクセスが減り、しかもDRAMのアクセス待ちも減った事で格段にパフォーマンスが改善された様だ。
無論、元が元なので大した事は無いが、それでも随分違う。
その後、私の所で余剰を来していたYMF-724B-V搭載のPCIサウンドカードを差し上げて取り付け。
これでPCIスロットは標準搭載のモデムを合わせて3本とも全て埋まった(苦笑)。
こちらのサウンドカードは内蔵midi音源の品質が、マザーボード上のチップセットにビルトインされている物と格段に、というかあからさまに違う(何しろヤマハのSY-XG50、いや、SY-XG100とほぼ同格の音源だものなぁ)ので大いに驚かれた様だ。
まぁ、あのSiSのビルトイン音源は論外なんだけど・・・(苦笑)。
とりあえずは派手に驚いてくれた事で良しとしよう。
西暦2000年3月5日
TGC先輩とは結局朝方まで語り明かした。
非常に面白い話を色々したので楽しかったが、少々疲れた。
そんな訳で今日はほぼ一日泥の様に眠って過ごした。
西暦2000年3月6日
今日は教習所で教習。
構内で車庫入れその他を訓練した。
所用で私の部屋を訪れた後輩のI.A.君と引っ越し時の不要物の処分について話す。
とりあえず洗濯機と本棚の行く先は決定した。
その後、前回頼まれていたファイルを焼いたCD-Rを渡したり、士郎正宗の“BLACK MAGIC M-66”のLDを観たりしてから別れた。
西暦2000年3月7日
朝から自動車教習所で学科教習。
終了後、岡山の街に出た所で岡山電軌3000形が久々に日中の通常運用に充当されている姿に出くわす。
号車番号は3005だった。
よく考えてみると、岡山に引っ越してきて以来6年間に稼働している3000形には何度か出会ったが、その何れもがこの車だった様な気がする。
で、今後3000に乗車するチャンスはどう考えても無さそうだったのでこれに乗車し、特に用は無かったが(笑)東山へ向かう。
ワックスが染みこんで油臭い木製床、工芸品的な形状の複雑さが目を引く白熱灯のグロ−ヴ、それに2枚の扉が同方向にスライドする連接扉の複雑な動作腕群。
そういった、今時の車には見当たらない造作の数々は、確かに古くさいが何処か新鮮なところがあって見飽きない。
思えば7000形登場の頃以来だから本当に久しぶりの3000形乗車だったのであるが、さすがにこれだけ時間が経つと物の見方や感じ方が随分変わっていて、物凄く新鮮に思えた訳だ(苦笑)。
何しろ20年ぶりだものなぁ(苦笑)。
普段に何気に目的無く列車に乗る、というのはかの阿房列車の大先生以来の伝統(笑)だが、たまにはこういうのもいいだろう。
私は所謂葬儀屋(廃止等のイベントにだけ現れて散々騒ぐ手合いの事)ではないが、だからといって日常の中に潜むこういった“特別”を見逃すつもりはない。
というか、日常の中でこういったチャンスを捉えてお別れを済ませる分、どうしても最終日に騒ぐ手合いに対する憎悪/嫌悪の念が強くなってしまうのだ。
もしかしたら、そこには非常識な行為に対しあまりに無自覚な彼ら“葬儀屋”と一括りで“鉄道マニア”と呼ばれるのが厭なだけかも知れないが(苦笑)。
話を戻すが、この時期に運用中の3005に乗車出来たのは幸運であった。
何故なら、このサイトに置いている岡電関係のページに色々ミスや誤認があった事が確認出来たからだ。
やはりフィールドワークは大切、という事か。
なお、ここで重大な事実を確認した。
それは、これまでの文献記述に無かったのであるが、3005が履いているKS-40J台車が実は7300/7700のそれと同様にIKF製ローラーベアリング装着仕様へ改造されていたという事で、実質的に運行される3000形が3005限定であった理由が納得出来た。
そんな訳で、今回の調査結果は次回の更新に反映しておこう。
西暦2000年3月8日
夕刻1800に教習所に向かう途中で交通事故に遭う。
自転車で高島−東岡山間の新幹線沿いの道をゆっくり走っていたら、雄町の両備プラッツ(スーパーマーケット)の駐車場にいきなり確認もせずに進入しようとした、若いご婦人の運転する軽四とぶつかったのだ。
幸か不幸か最低速で走行していたので一見大した事にはならなかったが、警察を呼び、病院に行って診察を受ける段になって左腕手首のあたりの骨に亀裂がある事がレントゲン写真で判明し、ギプスで親指を含む左腕を固定された。
突如として大事になる(泣)。
ほぼ100%向こうが悪い、という状況だったので保険etc.の面ではまぁ何とかなるだろうが、重い荷物を上げ下げせねばならない引っ越しの迫ったこの時期にこれは痛い。
ついでにいえば、このままでは当然自動車の運転など出来る訳はないから、引っ越しまでに自動車学校を卒業するという当初計画も瓦解した(号泣)。
まぁ、生きていてとりあえず五体満足なだけでも良しとすべきなのかも知れないが、この理不尽な運命という奴については何か納得が行かない。
西暦2000年3月9日
朝から昨日の事故の加害者であるご婦人の夫君が迎えに来られて病院と警察に行く。
病院では診察を受けたが、再度レントゲン写真を撮ってもいよいよ鮮明に亀裂が写っていた(泣)ので、大事を取って全治(最低)一ヶ月の骨折と宣告される。
次に向かった警察署では昨日の担当官氏から調書を取られた訳だが、予測を上回る私の被害状況を見て、一緒に取る予定だったご婦人の方の調書は後回しにする事が決定し、私だけという事になった。
聞けば、これでは完全に人身事故なので加害者側の調書においては精密な作図が要求される為との由。
何やらいよいよ大事になってきた。
事後、教習所に赴き窓口で今後について相談。
いずれにせよ、このままではどうにもならないので、とりあえず学科教習を終える事と養生して治ってから路上教習の残りをこなす事を勧告される。
それについては是非も無いという事で受け入れ、学科の残りの一つを受講して帰る。
夜になって久々にW.T.先輩から電話。
排ガス規制前に、その影響を受けそうなバイクを買いたいので98を売りたいのだが、という相談を受ける。
で、その過程でいつの間にか私の手持ちの32MB ECC-EDO SIMM 2枚と先輩の64MB ECC-EDO SIMM 2枚を差額交換する事となった(爆)。
何か間違っているような気もしなくはないが、98がメモリ不足だったのは確かなのでこれでOK。
西暦2000年3月10日
2型2号、一応竣工。
不完全な部分も残っているが、とりあえずuploadしておこう。
今回の改善点は、テキストエディタを用いた全面書き換えによる各ページの軽量化の推進(笑)がメインで、僅かずつではあるが現状に合わせた内容修正も行っている。
教習所に行く前に大学の学生会館に顔を出したら、S-FANの面々が屯している中で、同期のK嬢に久々に会った。
彼女には今後の私の進路と、ついでに左腕の怪我の事を聞かれた(苦笑)。
とりあえず腕のコレは交通事故で、来月からは大阪の会計/簿記の専門学校に通う予定だ、と答えたのだが、そうしたら何か奇妙な物を見るような目で見られた。
その反応が余りに奇異だったので真意を質すと、「そういえば靖間さんって経済だったっけ」などと言われてしまった(爆死)。
・・・一体何学部に見えていたんだろーか(汗)?
そんな訳でかなり大ダメージを喰らいつつ教習所行きのバスに乗った。
今日も学科教習。
後一コマで終わりだ。
西暦2000年3月11日
2型2号の新規追加項目が一部竣工。
Keyboard尽くしを新設した。
昼前に最後の学科教習を受けに教習所へ。
とりあえず恙なく終了。
つくづく事故が恨めしい。
夕刻、紀伊国屋書店でOh!X最新号を購入。
相も変わらずスゴいとしか言い様の無い、凄まじいクオリティと量の記事群には圧倒されてしまう。
夜半にTGC先輩来訪。
借りていた物の返却等。
先日来のアレのお陰で当方が自転車に乗れないので、わざわざ来ていただいたのだ。
やはり朝方まで延々と怪しげな話をした様な気がする(苦笑)。
西暦2000年3月12日
今日は昼から姫路の両親がやって来て、梱包済みの荷物をどんどん搬出した。
怪我のお陰で、指図する以外何も出来ないのが辛い。
結局夜まで、そしてワゴン車(初代アヴェニール)のカーゴルームが一杯になるまで延々梱包/搬出のサイクル運動は続いた。
両親の帰宅後、後輩のM君を召還(苦笑)。
無論、今の私には無理な重量物(A3ページプリンタとか、3ヘッドカセットデッキとか)を移動するのを手伝って貰うのと、不要物を渡すのが目的だった訳だが、何かの弾みで一緒にTHE ビッグオーや∀ガンダムのヴィデオを観たりもした(笑)。
その∀だが、無闇に面白い。
正直言って、こんなに面白い話をやっているとは思わなかった、という位には素晴らしく面白く刺激的な話をしている。
この話をリアルタイムで観られなかった(岡山/香川県エリアのTV局はV以降ガンダム物をリアルタイムで放送していない)事が物凄く悔しい。
西暦2000年3月13日
M君は朝10時頃、我が部屋を発った(すまぬ)。
その後、2時間ほど寝てから両親がやって来たので起きて引っ越し作業を再開。
寝不足で半死半生といった体だったが、そうも言っていられない。
引っ越し自体は20日の予定だが、何しろ荷物が無闇に多い上、PCを筆頭に精密電子機器がやたらあるので引っ越し業者に任せっきりという訳に行かないのだ。
昨日同様夜までかかって荷物を積み、両親は帰って行った。
その後、隣室の後輩であるS君が来訪。
色々なモノをCD-Rに焼いて欲しいとの事だったが、その大半が既に箱詰め済みだった(爆)。
もっとも、それでも探せば結構出て来るもので、色々焼いてみた。
S君が帰ってから、機器群の再編を実施。
4台のマシン(X68030、PC/AT互換機2号、PC-9821Xv13/W16、Power Macintosh 8500/132)とLANのHUB、2台のモデム、2台のCRT、2台のmidiシンセ、AVセレクタ、2台のヴィデオデッキ、そしてアンプが複雑に絡み合ってジャングル状態になっていた背面部配線群を一旦全て外し、最後の日まで残す機器とそれに必要な最低限のケーブルだけを再接続した。
深夜、薙澤君からTel。
色々と胡散臭い話をした(苦笑)。
西暦2000年3月14日
今日も引っ越し作業。
いい加減厭になりそうだが、止める訳にも行かないのがアレだ(苦笑)。
流石にこういう生活を3日続けると、疲れが蓄積する物なのか、両親帰宅後そのまま寝てしまった。
お陰で連絡すべき相手に連絡出来なかった。
西暦2000年3月15日
今日も引っ越し作業(泣)。
・・・なのだが医者に行くのが優先順位1なので、親の車で山陽本線高島駅近くの整形外科に向かう。
各方向から左腕手首のレントゲン写真を撮られる。
全治1ヶ月から1ヶ月半の骨折という見立てに変わりはなく、当分はギプス固定状態の不便な生活が続きそうだ。
病院を出て高島駅まで歩き、115系電車で岡山へ。
そこからバスで大学に向かい、I.A.君に会って要件を伝えた。
西暦2000年3月16日
漸く卒業確定。
長かった。
というか、少なくとも1年は自分に原因の無い所で無駄にした気分で一杯だ。
卒業出来た事は無論嬉しいが、過去の大学当局の不手際による単位取得上の問題(我々06年次入学生については学制改革とやらのしわ寄せが全て集中して、必須カリキュラムがバッテイングするなどとにかく無茶苦茶だった)や、怠慢あるいは無計画の誹りを免れない様な認定作業の遅延による卒業の先送りがあった(単位的には私は前期卒業出来た)事を考えると、素直には喜べない。
経済学部学生課については慇懃無礼な上に態度がやたらと横柄な係官が多かったので、正直余り良い印象が無い。
何というかてめえらクビだクビ!って感じだったのだ。
その他、今日は引っ越しに伴う事務手続きその他に忙殺された。
電話・ガスの停止の手配をしたのだが、引っ越しの時期という事で電話の方は受付自体がそもそもパンク状態で、ひどく長時間待たされた。
そりゃまぁ、各地の支店等を合理化等で廃止して窓口を絞ったのだから、ピーク時の対応が良くなる筈がないのだが。
にもかかわらず、電話代は相変わらず高いままだ。
一体何をどう合理化しているというのだろうか?>みかか
今日は来なかった母に電話で卒業確定を伝える。
流石に嬉しそうだった。
この時、4月以降について幾らか話をしたのだが、事によると自宅でのインターネット接続そのものが出来ない可能性がある事が判明した。
最悪でもこのサイトは存続すべく努力するが、もしかすると日記の更新やメールを読む事さえ困難になるかも知れない。
恐らく、良い悪いを別にして1年後には状況は変化するとは思うが。
西暦2000年3月17日
早朝、というか深夜に後輩のO.Y.君襲来。
彼には2つの棚(カラーボックス)とオーブントースター、それに電気釜を譲った。
で、その搬出後に彼が持ってきたDoGAのアマチュアCGAコンテストのベスト版ビデオを観た。
・・・ううむ、流石にベスト版だけあってどれもかなり粒が揃っているなぁ。
流石にベスト5はどれも良かったが、それ以外では総合奉仕事業団の「荒野のからくり侍」が一番ウケた(笑)。
個人的にこういうからくり系のガジェットによる過去SFもの(例えばあの「ロボット・カーニバル」の大傑作「明治からくり文明奇譚 紅毛人襲来の巻」等もこのジャンルに含まれる)は滅茶苦茶好きなのでアレなのだけど、こいつは次回予告にあった「宇宙のからくり侍」を是非観たいなぁ、って思う位にはイカした逸品であった。
メルコがノートPC用の300MHz版モバイルMMXペンティアムを搭載した「K6系CPU不可のSocket5/7マシン用CPUアクセラレータ」を出したそうだ。
要はあの「黄金戦士」の高クロック/メルコ版という事だが、これが今この時期に出て来るという事には何やら非常に政治的な臭いが感じられる。
無論、こういうアクセラレータを求める声が前々からあったからこそこうして製品化されたのだろうけど、それだけでは新規に設計するにはリスクが大き過ぎる訳で、この新設計パーツを流用できる目処が立ったからこそ製品化に踏み切れたのではあるまいか。
察するにモバイルK6-2+/K6-III+を積んだFSBマルチプラー搭載のSocket5/7用CPUアクセラレータを出すつもりがある、という事なのだろう。
何れにせよ、今後モバイル向けに限定される事になる予定の高クロック版K6系CPUがPC-9821系マシン等で使用出来る可能性は高くなってきたと言えそうだ。
深夜に愛媛のW.T.先輩が来訪。
2人してCGAヴィデオを観たりする。
第12回大会分のテープを観ると、果たして総合奉仕事業団の新作があった(喜)。
とりあえずは「からくり侍」じゃなかったけど、やはり面白かった。
技術的な事は今一つ良く判らないが、切実に表現したい映像、あるいは物語のある人間は強い、と思う。
西暦2000年3月18日
今日も両親がやってきて引っ越しの作業を行った。
で、どうも実家に戻って以降当分はInternetにアクセス出来そうに無い事が確定した。
しかも、今夜中にPCを片付け、梱包する事を厳命されたのでこれが恐らく3月最後の書込となる。
それ故、急遽作業中だった幾つかのページの更新を完了し、Uploadする事にした。
主な更新点は、MULTI 16関係資料発掘に伴う、記憶違いによるミスの訂正(複数)と98のページ更新の未完成分の完成など。
そんな訳で本日竣工の2型3号をもって当サイトは当面更新停止という事になった。
恐らくアカウント自体は維持出来ると思うのでサイトの消滅だけは免れられそうだが、当面はこの日記を含め更新打ち止めという事で了解願いたい。
とりあえず、さよならは言わない。
が、これまでアクセスして下さった方々には無上の感謝を捧げたい。
有り難うございました。
西暦2000年3月19日
本日、遂にPCを完全梱包。
これで当分Internet環境は使用不可となった。
例によって日中は引っ越し作業に終始したが、夕刻になって両親、W.T.先輩、同様に岡山に遊びに来ておられたPzi先輩、後輩で現組長のI.A.君、それに同じく後輩で1年のM君の6名と共に某カレー屋に向かい、夕食を取った。
その後、両親が帰ってから5人で暫し話をしていたら同期の薙澤君から電話がかかってきた。
先だって依頼していた小容量SCSI HDD3台を持って行きたいのだが如何? との事で、すぐに持って来てもらう事にした。
待つ事暫し、やって来た彼が携えて来たのはQuantumのFireball SE(2GB)2台と富士通のM1606(1GB)1台であった。
今更この時期の5400rpm級ドライブを購入するというのもかなりアレな話なのだが、様々な条件を勘案した末にこれらを購入するのが正解だと判断した。
まぁ、最悪X68030やMacに回せば良い、という含みもあった訳だが(苦笑)。
薙澤君来訪後も暫く話していたが、眠くなって来たのでお開きとなった。
西暦2000年3月20日
とうとう引っ越しの日となった。
早朝から起き出して最後の大荷物となったオーディオラックを分解したが、ネジの頭が馬鹿になっていて大変難渋した。
漸く分解が終了した直後に親がやって来て引っ越しの最終段階に突入したから、ぎりぎりの所で間に合った事になる。
10時頃にやって来た日通の2tトラックに残る荷物を積んでもらい、6年お世話になった大家さんに最後の挨拶をして、長年住み慣れた岡山市伊島町のアパートを後にした。
姫路の自宅に帰ってからはもう戦争だった、と書こうかと思ったのだが、左手を骨折していて戦力外通知を受けた私に出来る事は何もなかったのであった(爆死)。
そんな訳で部屋の隅でおとなしくしていたらいつの間にか眠り込んでしまっていた。
それはそれで疲れていたという事か。
西暦2000年3月21日
今日は大阪は西中島南方にある某簿記専門学校へ入学相談に出向く。
223系2000番台の新快速に乗って新大阪に向かったが、あまりの高速走行ぶりに驚愕する。
そうか、そういえば130km/h運転になったんだったっけ(苦笑)。
岡山−姫路間を約1時間半ほどかけて走る115系鈍行と同じ運賃で、より短時間、より快適に、そしてより遠くへ、行く事が出来る近畿圏の電車事情の驚異的な良さを痛感させられた気分だ。
シャレにならないのはこれが同じ会社の隣接する区間で生じている格差だという事で、姫路−岡山間には競争がないのが原因と考えられる。
つまり、経済学で言うところの市場における競争のメカニズムが機能し得ない状況にあるという事で、この区間における事実上唯一の運輸事業者であるJR西日本はめでたく独占企業の特権を行使しているという訳だ。
実際、あの区間については厭でも新幹線に乗らざるを得ない様な、クソみたいなダイヤ編成になっているものなぁ(溜息)。
話がずれたが、大方7年ぶりに訪れた新大阪駅周辺は殆ど変わっておらず、妙な安堵感を憶えた(苦笑)。
無論、細部のディティールは結構変化している筈なのだけど、街としてのカラーは相も変わらず妙にクールだったのだ。
用事を済ませるとすぐに帰路に就いた。
帰りの新快速は223系1000番台だったが、安造りが過ぎない分、2000/3000番台よりもこちらの方が好ましい気がした。
行きも気になったのだが、姫路駅周辺の連続立体交差化事業がかなり進行しつつある。
次第に高架橋を支えるコンクリート製の支柱群が姿を現し始めつつある他、仮線設置の為と考えられる線路配置変更の準備工事が行われており、高架完成の日もそう遠くはないと思われる。
夜になって家でやっとPCを稼働させられる状態になった。
で、これまでこの家でインディペンデントに動作させていたPC/AT3号機と、岡山から持ち帰った愛用の2号機をLANでリンクした。
ちなみにこの時3号機には貰い物の3comのISA 10Base-T LANカードを挿し、空いていたAGPスロットにこれまた貰い物(というか労働報酬)のRevolution 3Dを挿した。
これで使い勝手は随分良くなったが、いずれはLANカードを100Base-TXのPCI物に変えたいところではある。
西暦2000年3月22日
今日は事故による怪我(左腕手首骨折)の治療で岡山の高島にある某整形外科へ。
ここで115系電車の出来が良くない事を再確認する(苦笑)。
個人的な忍耐の限度は115系3500番台(旧117系)だ。
というか、今時エアサス無しのあんな粗悪なアコモデーションの車をJRが走らせている事自体、既に犯罪行為だと思うのだけどどうだろう?
もっとも、それでも下には下がある(笑)もので、この区間には103系通勤電車という最悪の電車が走っていたりする(笑)。
西暦2000年3月23日
今日は飾磨にある行きつけの散髪屋に行って久々(3ヶ月ぶり)に髪を刈ってもらった。
短めにしてもらったので頗るすっきりした。
今回は行きは電車で、久々に山陽電鉄初の冷房車であった3050系初期車による各停阪急三宮行に乗車した。
車内をつぶさに観察し、低い位置にある冷房の風洞が天井内装板(側板部から曲げて巻き上げてある)とツライチに、しかもその接合部がひどく丁寧且つ綺麗に仕上げてあるのを見て、時代を感じる。
でも、それでも蛍光灯は灯具カバー無しの剥き出しなんだよなぁ(溜息)。
西暦2000年3月24日
今日は先だって訪れた某専門学校へ赴き、入校手続き。
行きは223系1000番台で、帰りも223系1000番台8連基本編成(しかも大阪方先頭にクモハ223 1001を連結した同番台の第一編成)と2000/3000番台4連付属編成による12連だった。
手続き終了後に多少色気を出して(苦笑)、某専門学校大阪本校最寄り駅である阪急京都線南方駅から阪急梅田まで5300系各停に乗車。
ここ暫く阪急には乗車の機会が殆ど無かったから、実に3,4年ぶりの乗車であった(笑)。
92年に大阪は中津にある某予備校の寮で受験浪人をしていた頃はこのあたりが主たる生息エリア(笑)だったので、勝手知ったる何とやらなのだが、それでも流石に8年も経つと多少ならず変化が見られた。
梅田駅の佇まいは相変わらずだったが、阪急ファイブ(ご存じの方はご存じだと思うが、ここはかつて京阪電鉄が梅田延長を企図した際に取得した、城東線(現在のJR西日本大阪環状線の一部)が地上線だった時代の線路敷跡地の一部であり、戦時中の京阪神急行電鉄成立前後から戦後の京阪分離独立までのごたごたの中で阪急側の手に落ちた土地であった)の建物の上に大観覧車がそびえ立っているのを見た時には流石に呆然とした。
・・・一体何を考えてこんな所に観覧車を設置したんだろーか?
まぁ、ランドマーク、というか何処か地味な印象のあった阪急ファイブが存在を主張する手段としては間違っちゃいないとは思うけど(苦笑)。
久々に旭屋書店を訪れ、「THEレイル No.40」などを買い求める。
マッハ模型の撤退後何度か店内改装があった同書店だが、恐らく大阪地区随一の存在である鉄道書コーナーが多少縮小気味となっているのは多少気にかかった。
その関係か知らないが、本当は買うつもりだった「THEレイル No.39」が品切れだったのは残念だった。
入るまで待つか、それとも卒業式で岡山に行った際に岡山模型で探すか、どちらにしようか?
西暦2000年3月25日
今日は昼から延々夜10時前まで父のアトリエ(兼倉庫)で岡山から持ち帰った荷物の整理。
諸般の事情で書籍を処分する事を強いられ、断腸の思いで結構な数を廃棄/売却する事にする(涙)。
・・・畜生、俺未だあの本読んでいなかったんだぞ(号泣)。
西暦2000年3月26日
今日も「整理」と号した書籍の処分作業。
父の監視下での作業だったのでひどくモチペーションが低下する。
作業効率を上げるには父がいない状態となる事が一番有効なのだが、それを理解してもらえず窮する。
・・・作業を進めたいのか邪魔したいのか、どちらかにして貰いたいと切実に思う。
西暦2000年3月27日
今日は大学の出所式もとい卒業式(苦笑)。
姫路から新幹線で岡山に向かったのだが、時間の関係で新幹線利用となり、たまたま「ひかりレールスター」が最適な時間帯だったので790円余計に出資して2+2列配置の指定席車に乗車してみる事にした。
ところが、よりにもよって7号車(パンタグラフ付きである為、トンネル突入時や対向列車との行き違い時に発生する横方向の蛇行動が他車より大きくなる)になったため、岡山までの約20分間(速くなったものだ)に渡り多少不快な気分になる。
内装そのものは300系より格段に落ち着いた感じの、昨今のJR西日本スタンダードアコモデーションの豪華版とでも言うべきものであって、相当好感が持てた(いや、やっぱりあの先頭部デザインはアレだとは思ったんだけどね)だけにその点は残念だった。
この点については更なる改善を希望しておこう。
この西日本仕様の700系は東海仕様と異なり500系と共通設計の台車を履いており、縦方向の揺動特性や横ロールの感じは結構良かったと思う。
ちなみに降車時に判明したのだが、実はこの列車、自由席は新しもの好きの乗客で文字通り満員だったらしい。
つまり、指定席を取ったのは大正解だった訳だ(苦笑)。
卒業式そのものはどうという事もなく、恙なく執り行われた、と言いたいところだが、途中で椿事と言う他無い事態が発生した。
最も厳粛であるべき証書授与の途中で、何故か式場(岡山県体育館)の場内アナウンスシステムに外部(恐らく場外の案内系か?)の音声が混入して、結構長時間に渡って物音や人の笑い声などがスピーカーから流れ続けたのだ。
ま、偉そうに言ってみても所詮は茶番劇みたいな式である訳だが、あそこまでその本質をさらけ出す事態が出来しようとは思わなかった(苦笑)。
その意味では一生忘れられない式となった(爆笑)。
その後、諸手続を終えてから学生会館へ向かい、後輩達と暫し歓談。
何故かガンダムネタの話が多かったが、時期から言ってもまぁそんなものか。
後輩のK.Y.君と行きつけの某カレー屋と紀伊国屋書店を巡ってから別れ、一人で岡山模型店へ。
ここは後楽園の東側(つまり旭川東岸)の住宅街の真ん中(判る人に判るように言えば、旧西大寺鉄道線の後楽園駅と森下駅の間、森下駅直前の急カーブの近辺)に所在し、路面電車のZパンタやナベトロが店外に散乱するという如何にも怪しい感じの店なのだが、実はその鉄道模型・鉄道関連書籍の在庫量は尋常ではなく、在学中入手難の鉄道書が出る度にお世話になっていた店だった。
で、例によって入手難(大阪の旭屋で探して無かった)の書籍(レイルNo.39)が出たので最後の頼みとして(笑)縋ったのだが、流石というか何というか、ちゃんと3冊在庫していた(喜)。
こいつは当然有り難く購入させていただいたが、ついでにここの棚を眺めていたら持っていないシリーズ本(西尾克三郎 ライカ写真集V)があった事に気付いたので、これもGet(笑)。
・・・そういえば金が無くて買っていなかったんだっけ、この本(苦笑)。
余談になるが、この店の御主人は赤木さんとおっしゃるのだが、実は西尾克三郎氏(故人。日本を代表する鉄道写真の大家の一人)の直弟子の一人なのだそうで、店内には同氏の撮られたダゴールのレンズ+ガラス乾板による国東鉄道2号機(アメリカの製材所から入手したとかいう、怪しげな中古機)のプリントが飾られていたりする。
ここではいつも結構長い時間話し込んでしまう傾向があるのだが、今日は何故か最後に店の奥の自宅部分に上がらせて貰って、赤木氏のPCの設定調整を行う事になった。
・・・それにしても、幾ら本業(模型製作販売)の関係で板金加工が得意だと言っても、外付けMOドライブを板金加工してそのままPC筐体の5インチベイに入れてしまう(爆死)なんて乱暴な事するかなぁ。
PCの筐体内にAC100Vのケーブル引き込んじゃったマシンなんて初めて見たぞ(苦笑)。
・・・ええ、そりゃ連動電源に繋いでいる訳でもないのですから使いにくいでしょうよ(苦笑)。
とりあえずSCSIバスの再認識(Windows 9xの場合、コントロールパネル→システム→デバイスでのSCSIアダプタの再認識によってシステム起動後に電源を入れたSCSI機器の再認識が出来る)の方法を教えて差し上げたけど、所詮は対症療法なんだよなぁ。
西暦2000年3月28日
今日は倉庫兼父のアトリエ(モノリエともいう(笑))で堆く積み上げられた持ち帰り荷物の整理と分別廃棄の処理を行う。
予想していた以上に作業が大変で、難儀する。
西暦2000年3月29日
今日も荷物の整理。
次々に発掘される出土品(爆)の数々に頭を抱える。
・・・これ、どう処分しようか(爆死)。
西暦2000年3月30日
今日も整理。
混沌と法外な物量の支配する空間に一人いて、黙々と荷物の開封と分別、そして再梱包を繰り返す。
段々厭になってきた(苦笑)。
PM-750Cが引っ越し時の輸送中に破損していた事が判明。
やむなく修理に出す。
まぁ、拾った時点で不調だったのでそれはそれでOKなのだが。
西暦2000年3月31日
整理の一環で、PC-9821Xv13W16をモスボール状態にする事が決定。
それ故、このマシンに高速なDDRSを入れたままにしておくのは勿体ないという事で先日調達したFireball SE 2GBの2台を98に入れて置き換えておく事にした。
作業は98の内部拡張電源やその他のケーブル類の制約からかなり面倒だったが、どうにか完了。
この時、思いついたので同じく98に挿してあったSP-402D(YMF-744搭載サウンドカード)も抜いておく。
今回抜いた機材は全てAT2号機に組み込んだ。
これでやっとHDが合計18GBになった。
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