いわゆる更新記録(靖間 誠PC日記兼用)

西暦1999年12月1日-12月31日分


西暦1999年12月1日

 とうとう12月だ。

 

 昨日拾ったCRTの配置作業の関係で部屋は大混乱。

 その過程で、新CRTの磁気シールドが皆無に等しい事が判明(泣)。

 何と、隣接してもう1台のCRTであるE57Tやスピーカー(TANNOYのSystem2。ちなみに防磁型だ)を置いたら、それだけで画面の色が変色したのだ。

 そのE57Tは全く問題なく画像表示できているのであるから、これは単純にApple Vision 1710AVの防磁設計がタコだという事なのだろう。

 昨日も書いた通り機能面では絶賛に値する製品だが、こういう所の詰めが甘いのはいかにもApple社らしいと言うべきか。

 まぁ、Power Macintosh 8500/132+Apple Vision 1710AVのいかにも当時の純正な組み合わせでTVが簡単に見られる様になったので、とりあえず文句はないのだが(苦笑)。

 

西暦1999年12月2日

 色々試した末、先日買った5576-001(背面には5576KEYBOARD-1と書いてあったのだが、実際にはこう呼ばれていたらしい)をWindows NT上で106キーボード相当として使う事が可能と判明。

 5576-002/003の設定であれば、キーアサインが少し混乱するものの106相当(但し拡張部分のキーは反応しない)として使う事が可能な様だ。

 実は今、これを書くのに使っているのだが、あのTERADRIVE KEYBOARD 106と比較してさえキータッチの出来の次元が違う事を痛感する。

 正にこれこそがプロの道具なのだろう。 

 SpaceとDeleteの位置がずれるので多少辛いが、この卓越した仕上がりのキーボードが使える事に比べればその位どうという事はない。

 問題があるとすれば、スペアが無い(もう1つ2つ買っておくのだったと反省中)事と、キー配列が世間の標準から大きく逸脱してしまう事位の物だろうか。

 

 部屋の片付け&新CRT導入に伴う再配置が漸く完了。

 こういう作業に終わりはないものなのだが、それでもとりあえずは一区切りが付いた。 

 

 書店に行ったらわかつきめぐみの久々の新刊「わかつきめぐみ傑作集 言の葉遊学」と、紫堂恭子の未完の佳作「ブルーインフェリア」の1巻が“決定版”と銘打たれて出ていた。

 当然両方ともゲット(苦笑)。

 この2人と、佐藤史生の3人の作品に出会って少女マンガという物に対する見識というか認識が変わった、というのがあるので、この3人に関する限りは、これからも新刊が出る度に買い続ける事だろう。

 ちなみに、男性マンガ家だと鶴田謙二と士郎正宗の作品が同じ状況にある(苦笑)。

 

西暦1999年12月3日

 「今回のお言葉」にミスがあったので修正。

 いかんね、うろ覚えで書くと(苦笑)。

 ついでに後輩のI.A.君に指摘されたのでこの日記の11/30分が11/29と表記されていたのも修正。

 

 そんな訳で吉崎観音の「ケロロ軍曹 1」を買って来た。

 何か知らんが周波数が合うのかやたらとウケる(苦笑)。

 ついでに色々雑誌や本を買ったが、当分は積ん読状態だろう。

 

 帰宅したらポストにMicrosoft社からWindows 2000日本語プレリリース版(Release Candidate 2)が届いていた。

 とりあえずPC-98に入れてチェックの予定だが、ちゃんと動くだろうか?

 

西暦1999年12月4日

 家族で県立美術館で開催中の伝統工芸展を観覧。

 前も思った事だが、どうして陶芸はあんなに水準が低いのだろう?

 備前焼の地元という事もあって新聞社は陶芸作品を広く紹介していたが、木工や金工、あるいは着物などのジャンルが到達している水準から考えれば、陶芸のレベルが極端に低いのは自明の事ではあるまいか。

 ほかのジャンルがその自らの技巧やセンスを突き詰め洗練する事でのみ、至高の高みにたどり着けるのに対して、炎のもたらす偶然に寄りかかる事である程度の水準は保証されるかに見える陶芸は、それ故に自らに対して厳しくある事の難しい面がある。

 そして、少なくとも今回の展覧会を見る限り、それは確実にマイナスにしか機能していない。

 ほかのジャンルを見る限り、感嘆する他無い傑出した作品が目白押しだっただけに、それは目立ったし非常に残念だった。

 

 県立美術館を出てからオリエント美術館へ。

 2階で開催されているオリエントの染織品(実は我が父の寄託品の初公開だったりする)の展示がお目当てだ。

 総じて絨毯というのは、置かれた空間によって大幅に表情や佇まいの変化する性格のあるモノなのだが、それにしても実家の狭苦しい部屋に広げて眺めていた時と、あの美術館の天井の高く広々した部屋に敷かれたのを眺めるのとでの印象の差というのは、正直言って驚異的な程だ。

 やはり、場所なり部屋の格に見合った使いこなしがある、という事なのだろう。

 

 夜になってIntelliMouse TrackBallを購入。

 慣れるまでは結構大変だったが、慣れると通常のマウスの様に動かす場所が要らないので非常に便利だ。

 

西暦1999年12月5日

 早朝に薙澤君からSeagateのST34501Wという10000rpm級4.5GB UltraWideSCSI HDとMatroxのMillenium II 4MB PCI版を購入。

 前者はDDRS-34560Wと交代でAT互換機2号に、後者はBIOSを書き換えてPower Macintosh 8500/132に入れる為に買った訳だが、後者はあっさり作業が進行し、めでたくデュアルディスプレイ化を実現したものの、前者の作業中に大変な事が発生した。

 なんと、ここ2ヶ月程のメールデータを吹き飛ばしてしまったのだ(号泣)。  

 おかげでWindows NTWS4/98を含む大がかりなシステム再構築に地獄をみた(泣)。

 そんな訳で業務連絡。

 この2ヶ月、特にここ1週間以内に靖間に対してメールを下さった方は、申し訳ありませんが再送信してやって下さいませ。

 何しろ受け取って読んだものの、返事を出そうにも肝心の返信用アドレスが分からなくなってしまったメールもありますので・・・。

 

 夜になって後輩のO.Y.君襲来。

 システム仮復旧が大体終わった頃に彼は現れた。

 ちなみに、この段になって実はメールだけじゃなくてIRC/草の根BBSのデータもロストしていた事が判明(泣)。

 で、2人して“THE ビッグオー”の放映済み分全話と“カウボーイ・ビバップ”の21話以降を観る。

 ううむ、ビッグオーの後に観るとビバップの後半がいかにシビアな話を連発していたかが良く解るなぁ(苦笑)。

 いや、別にビッグオーの話が甘いとかそういう訳ではなくて、単純にベクトルの向きがまるで違うというだけの話なんだが。

 

 ここでこのサイトのインデックスページにメール喪失の告知を掲示。

 当然ながら、これは更新履歴上カウントはされない。

 

西暦1999年12月6日

 O.Y.君とは早朝に24時間営業のカレー屋に一緒に行って食事をした後で別れた。

 というか、彼に車で送ってもらったのだが。

 

 HDを入れ替えたので、朝からあれやこれやとテストしてみる。

 ・・・やはり1万回転ドライブは速い。

 正直言って、13MB/sを読み書きともに叩き出すとは思わなかった。

 ちなみに、このドライブ上に2GBの作業用パーティションを確保してCD-Rを焼いてみたのだが、今までだと問題が結構出ていた(DDRSでは失敗が頻発して、リスクが極めて大きかった)8倍速書き込みにも問題なく成功した。

 このあたりを考えると、次にHD購入を検討する時には色々検討すべき問題が多くなるのかも知れない。

 

西暦1999年12月7日

 HDを玉突きで配置転換。

 ATに入れてあったDDRS-34560Wを98に入れ、98のViking 4.5SCAをPower Macintosh 8500/132に回す。

 作業の効率とかを考えるとMacintoshに直接DDRSを入れてしまう方が簡単だったのだが、SCSIの内部配線の都合や放熱、それからHDの性能差(同じ7200rpm級UW-SCSIドライブであるが、VikingはDDRSより確実に遅い)などを考慮してこの様な配置と相成った。

 この2台のマシンは共にCPU/MPUが非力である為、どちらに速いドライブを入れても差は無い様なものなのだが、Windowsの実効速度が実はCPUもさることながらHDの性能に大きく依存している事は経験上明らか(それに対しMacintoshのシステムの実効速度はMPU性能に対する依存度が高く、HD高速化のメリットは通常使用の範囲では出にくい様だ)なので、98を優先した訳だ。

 で、作業終了後に98を起動してチェックしてみたのだが、流石にDDRSは速い。

 DNESを見て以来どうもこのドライブに対する評価は下がる一方だったのだが、実際は未だ充分に高速なドライブである事を再認識させられた。

 

西暦1999年12月8日

 PC-9821Xv13/W16を組み替えた。

 HD交換の関係でこれまで可能だったSCSIの68ピン→50ピン変換がそのままでは出来なくなってしまった(この機能はViking 4.5SCAとペアで使っていた80ピンSCA→50/68ピン標準SCSI変換アダプタの機能だった)のが原因だが、ついでにこれまで外付けにしていたMOドライブも内蔵にしてみた。

 これはSCSI信号線の全長を短縮する事が目的で、今回は2m以上あったケーブルの全長が1.5m以内に収まった。

 実際、これによってSCSIにまつわるハードウェアトラブルがかなり減るのは事実であって、確かにそういう意味では非常に望ましい改変なのだが、我が家に1台しかないMOドライブを別のマシン、例えばX68030につなぐ時等には非常に面倒な作業を強いられる事になる。

 まぁ、これは別のMOドライブを調達すれば済む話ではあるのだが・・・。

 

西暦1999年12月9日

 折角入れた新しいIntelli Point 3.0ドライバーだが、NT 4.0(SP5)環境で致命的と言って良い問題を引き起こす事が判明した。

 何がどうなっているのか知らないが、勝手にSerialマウスドライバをインストールしてそっちを選択しておいて、「マウスの判別に失敗した」旨のダイアログが出るのだ(怒)。

 それでは、とSerial接続にしてNTを起動してみたら、今度はNTのシェルであるexplorer.exeがハングを多発する様になった(爆)。

 ちなみにこの調査過程で判明したのだが、NTに標準で内蔵されている“i8042とPS/2マウスポートドライバ”(当然キーボードとPS/2マウスをサポートする)というドライバと“msi8042”(基本的にはキーボードのみサポート)という2つのドライバを切り替える場合、より望ましい筈の“i8042とPS/2マウスポートドライバ”ではなく“msi8042”の方を優先的にチョイスする様に出来てもいるらしい(爆死)。

 まぁ、これは手動で“msi8042”を“無効”に設定して“i8042とPS/2マウスポートドライバ”を“システム”に設定すれば解決のつく問題ではあるのだが・・・。

 流石はマイクロソフトだ(笑)。

 自社製品は完璧に動作するとでも思っているのか、あるいは主力製品であるWindows 98でさえ動けばOKだとでも思っているのか、NT4ではチェックもまともにせずに出荷している様だ(爆死)。

 当然こんな物は使い物にならないので、3.0はアンインストールしてまだしも実績のあるIntelli Point 2.2dを入れ直したところ、explorer.exeのアプリケーションエラー撲滅に成功した(苦笑)。

 それにしても、製品版のVer.3.0でβ版どころかα版相当の出来でしかないというのはどういう事だろう?

 例によってユーザーからの苦情を待ってバグ出しするつもりなのだろうか?

 ・・・もしかして、IBM 5576-002/003キーボードドライバを使っているのが悪いのか?

 

 所用で実家に帰る。

 

 面倒なので岡山-相生間は新幹線に乗ったが、相生-姫路間は特急料金を支払うのがなんだか馬鹿馬鹿しかったので在来線に乗った。

 ちなみに新幹線は“こだま”で0系のいわゆるR編成、在来線は姫路から新快速に変わる普通で最新鋭の223系2000番台、それもトップナンバーのモハ222-2001を含む第1編成への乗車と相成った。

 新幹線はいつも通り当たり前の0系なので特にどうという事はないのだが、流石にピカピカの新車が当たった在来線の方は結構興味深かった。

 件の223系2000番台の感想だが、「安造りが過ぎる」という事になろうか。

 確かに前作の223系1000番台に比べれば明らかに改善や進化の努力の跡(特にそれは電装品の方面で強く感じた)が見受けられるのだが、いかんせん外装内装共に安っぽく見えるのはいただけないし、実際安造りだ。

 特に、ユニット工法の弊害で車体内壁がかなり肉厚となってしまった様に見えるのと、その辺と関係があるのか側窓間の柱がかなり太く目障りになったのが気になった。

 無論、最近のJRの新車でトレンドと化しつつあるユニット工法が大きなコストダウンにつながっている事は良く理解できるのだが、接客サービスの質を低下させるのはどうだろう?

 少なくともJR西日本には、同社に大成功をもたらした221系近郊電車並かそれ以上のサービス水準は維持して欲しいところではある。

 ちなみにこの223系2000番台だが、私の見る限り乗り心地はそれ程良くない(苦笑)。

 というか、221系のWDT-50系台車(旧国鉄時代最後の大傑作DT-50台車の改良モデル)と比較した場合、この新車に付けられた軸梁式ボルスタレス台車(形式は知らない)は高速走行中に特徴的な左右揺動が発生する様に思われた。

 これは、昔山陽電鉄に川崎車輌→川崎重工が半ば試作状態で納入して実戦データを採っていた、OKナンバーの軸梁式台車群を履いた車(2000系全車と3000系の一部)に乗った時にも少し気になった事なのだが、察するにどうも軸梁式台車共通の特徴(あえて欠点とは言わないでおこう)の様だ。

 この方式の台車は、同方式のOK-IV(国鉄名DT-29)を履いたクモヤ93000が記録当時の狭軌世界最高速度である175km/hを叩き出した事でも判る通り、高速走行時の安定性に素晴らしい所があって500系新幹線にも採用されている程なのだが、どうも線路条件が良くないとその真価は発揮しがたい面がある様だ。

 まぁ、山陽本線の軌道自体は重軌条化が完了している訳であるし、決して悪くない筈なのだが・・・。

 

 実家に帰り着いてから、AT互換機1号機のグラフィックカード(Power Window DX→Imagine 128 Series II)とHD(DCAS-32160→Viking 4.5 SCA)を交換。

 これで映りの素晴らしく悪いTERADRIVEモニターで800*600画面が問題なく表示可能になったし、これまであれこれ削って入れていたアプリケーションも問題なく入れられる様になった(喜)。

 

 ・・・それにしても、何でこのマシンはこんなに高速に動作するのかなぁ?

 各コンポーネンツはどれも、最早2線級か3線級といった感じの旧式部品ばかりなのだが、何故かアプリの起動については2号機よりも余程速い事がある。

 無論各種計算の速度自体は遅いのだが、HDの内容最適化でそれを補っている様だ。

 それは先日の後輩宅でのFMV強化時にも思った事だが、FAT32フォーマット+SCSI HDによるシステム構成はTriton HX搭載の旧式マシンでは必須になるのかも知れない。

 まぁ、旧式であるにも限度という物がある訳だが(苦笑)。

 

西暦1999年12月10日 

 用事は一応済んだので下宿に戻る予定だったのだが、母にパソコンの操作を教える事になったので急遽実家に留まる事になった。

 で、昼間の間、留守番を兼ねてシステムの再構築。

 せっかくの大容量高速ディスク(先代よりはどちらの性能も上回る)なので、それを生かす方針でチューニングする。

 ま、そうは言ってもたかが知れている訳だが、しないのとするのとでは全然得られるパフォーマンスが違ってくるので、するに越した事はないのだ。

 

西暦1999年12月11日

 母相手のパソコン講習が終わらなかったので今日も実家で泊まり。

 流石に今日は外出して、街をあちこち歩き回った。

 行きつけの模型店にMA.K(旧SF3D)の“Fireball”(新デカール付き)があったので何となくゲット。

 やはり横山宏先生のデザインはかっちょええ(笑)。ちなみに新設定の解説シートが1枚追加になっていた。

 また、本屋で平野耕太の“ヘルシング II”と赤城毅の“有翼騎士団 1 風に立つ緑の姫君”、それに谷甲州の“覇者の戦塵1943 激闘 東太平洋海戦1”が出ていたので購入。

 ついでに、表紙に騙されて(爆)“ナデシコプラス”なる模型雑誌のムック本を買ったというのは秘密だ(苦笑)。

 

西暦1999年12月12日

 ようやく自室へ戻れる様になった。

 だが、そのまま帰らずに逆方向の神戸へ向かい、ハーバーサーカスの祖父地図へ。

 中古コーナーが予想以上に様変わりしているのに驚く。

 というか、PC-98の中古が殆ど無い。

 あっても大概がPentiumになってからのX-mateとかValustarとかばかり(1台だけSV-98 model 1があったが)で、先日までならまだまだ見かけたPentium以前のマシンは影も形も無かった。

 ここで、先日知人から聞かされていた、秋葉の祖父地図から98中古が消滅したという話がようやく納得出来た。

 もっとも、こちらでは拡張ボード類はまだまだ健在で、DOSゲーユーザー必須のPC-9801-86(FM/PCM)音源ボードが複数在庫していた他、幾つかの種類のグラフィックボード、専用メモリモジュール、それに各種インターフェイスボードが店頭に並んでいた。

 とはいうものの先が長くなさそうなのも自明に思えたので、とりあえず今回は中古の86音源を1枚買っておいた。

 

 用が済んだので神戸から元町商店街を経由し、三宮までぶらぶら歩く。

 このあたりには本籍地がある(何故か元町通1-65-1にあったりする)関係で何の縁も縁も無い訳がないのだが、どうもこの街とは相性が悪い。

 だからなのか、結局何の収穫も無いまま三宮駅前に出てしまった。

 まぁ、途中で本高砂屋の元町本店に寄って好物の“高砂きんつば”を買ったりした訳だから、それはそれでOKなのだけど。

 

 三宮から新快速で姫路へ向かい、接続の岡山行き普通に乗るつもりだったのだが、そっちが満員だったので軟弱にも(苦笑)新幹線乗り場に向かい、300系“ひかり”で岡山にたどり着いた。

 ちなみに“ひかり”での岡山-姫路間の所要時間は約25分。

 在来線の2倍の運賃とはいえ、在来線の所要時間がそのおよそ4倍になる事を考えれば、非常に安いという事になろうか。

 というかこれは、単純に岡山-姫路間の在来線が極度に遅すぎる(おまけに本数も少ない)だけだという気がする。

 詰まるところ岡山-姫路間の在来線に定期快速を作らないのは、有力な競争相手の無いこの区間であくどく稼ごうという、JRの阿漕な政策によるものなのだろう。

 在来線に快速があればむしろ新規需要の掘り起こしが望めるのではないのか? という疑念が湧くのだが・・・。 

 なお、“のぞみ”の山陽新幹線デビュー時にすさまじい乗り心地を披露してくれた300系は“ひかり”で使ってもやはりひどい乗り心地で、妙な微少震動が常時伝わって来た。

 運転速度域に関係無しに出るという事は、これはやはり同系列の構造的な問題なのでは無かろうか?

 岡山駅に着き、バス乗り場から法界院駅前を通るバスに乗って自転車の置いてある大学まで行ったが、途中岡山駅前電停でデコレーションされた岡軌3000形(3005か?)が貸し切り表示を方向幕に出して待機しているのを目撃した。

 忘年会か何かを電車の車内で行うのだろうか? 

 

 帰宅途中ついでに夕食をいつもの定食屋でとったが、そこで薙澤君と遭遇。

 で、食事しながらあれこれ雑談。

 話の流れで危うく実家に置いているAT1号機のマザボ交換をしそうになる(苦笑)。

 

 その後、彼と一緒に部屋に戻って2人で“THE ビッグオー”の先週分“Beck comes back”を観る。

 ちとギャグに走り過ぎる嫌いはあるが、まぁこういうのもありだろう。

 

西暦1999年12月13日

 今日は風邪で1日ダウン。

 夜になってようやく外出しようとした所で今治のW.T.先輩から電話。

 延々とMA.Kの話とPCの話をする。

 何でも念願のK6-IIIを入手された由で、まずは祝着といったところか。

 

 食事を終えて部屋に戻り、Windows 2000 Professional RC2の98版を試験的にXv13にインストール。

 動作チェックしてみたところ、現用中のグラフィックカード(WGP-FX16N)が正しく動作しないのであっさり諦める(苦笑)。

 それ以外は大体動作しているが、MMX Pentium 233MHz+RAM 96MB環境では少々荷が重い様だ。 

 考えるにK6-2 400MHz+RAM 128MBというのがWindows 2000の実用動作の一つの目安となりそうだ。

 

西暦1999年12月14日

 TYANのサイトを見ていると「Thunderboltはまだ入手できる」との文言がトップにあった。

 ある程度PC業界に関心があって想像力の働く方なら誰でも容易にご想像頂けると思うが、これはつまり440GXの直接の後継チップセットとなる筈のIntel840搭載マザーボードがRIMMのコストその他のせいで売り出しても上手く行かない可能性が出てきて、おまけにこれに対応するRIMM-PC/100 SDRAM変換ブリッジであるMCHの性能がタコな為、やむなく間に合わせ的に出てきたMCH搭載によるSDRAM対応版マザーボードの性能が440GX搭載モデルにさえ劣るという無惨な有様になった、という噂が事実である事を証明する様なものである。

 そればかりか、来年1月にはオンボードの2ch U2W-SCSIコントローラを本来840マザーボード(S2232“Thunder 2000”等)用として供給された筈のSymbios社製新型チップに置き換えた新バージョンのThunderboltが出荷されるのだそうだから、少なくともTYANとしては主力製品としての840を見放したという事なのだろう。

 そうでなければ一旦フェードアウトした旧式チップを積んだ製品がリニューアルされて再出荷されるなど、とても有り得ない話だ。

 実際、840搭載のS2232“Thunder 2000”は発表自体は随分早かったのだが、12月中旬と発表されていたその出荷開始が迫ってきてからSDRAM版の姉妹製品であるS2257“Thunder 2400”が公表されたのであるから、どう考えても真剣に売りたいという感じが伝わって来ない。

 まぁ、確かに高速なx4モード対応のAGPスロットやUltra DMA/66対応のATAインターフェイスがあっても、極端に高価なRIMMの使用を強制されたり、さもなくばMCHを積んで肝心のメモリ周りの性能を現行チップ(=440BX/GX)以下に落とさねばならないというのでは、幾ら新型でも820/840積んだマザーボードを売りたくない/売れないと判断するのは無理のない話だ(苦笑)。

 逆に言えば、いかに440BX/GX+PC/100 SDRAMの組み合わせが秀逸だったかという事にもなろうが。

 

 ついでにS1837UANG“Thunderbolt”の仕様に関するドキュメントを熟読。

 ・・・そうか、これってVRMのリビジョンが8.4になっていたのか。

 だったら新コアのPentium IIIは電気的には一応OKだな。

 とすると700E MHz版のPentium IIIとかは搭載可能な見込みがある訳だ。

 問題は、TYANが肝心のBIOS更新をなかなかしてくれない事だが・・・。

 

 小林恭二の“ゼウスガーデン衰亡史”を読む。

 昔ハードカバーで読んだ事があった作品だが、最近になって何故かハルキ文庫から短編追加で“完全版”と銘打って再発された。 

 あの筒井康隆の“虚構船団”にも通じる、過剰なまでに饒舌だが、その背後でどこか乾いた空気の向こうに荒涼とした風景が広がる様なその世界観は今見ても強く、それはまさに80年代末という時代の視座が提供した写し画のバブル狂想曲の様な物なのだが、それは90年代が終わろうかという今まさにこの瞬間においてさえ新鮮な驚きを含んでいて、極めて刺激的だ。 

 出している出版社が出版社で、おまけに開催中のフェアの新刊ラインナップがラインナップ(何しろ山田正紀の怪作“機神兵団”に朝松健の未完の大作“魔術戦士”だものなぁ)なので敬遠されるのか、どうもこの本は売れていない様である。

 まぁ、そういう物なのかも知れないが、個人的には“機神兵団”とかよりずっと為になる事は確かだ。

 

 最新号のプチフラワーに佐藤史生の新作(それも短期とはいえ連載だ!)が載っていた。

 相変わらずどこか斜に構えた、それでいて鋭い洞察を垣間見せる様な人物造形と、ぐいぐいと読者を引き寄せる物語の展開の巧さ。

 やはり佐藤史生は上手い。

 

 1型51号、暫定竣工。

 順次改変部分をアップしているが、最終チェックがなかなか大変だ。

 今回のお言葉はあのチョビ髭の伍長氏の副官であったルドルフ・ヘス氏が第一次大戦に参加した際にフランスだかどこだかの戦地から両親に宛てて送った手紙の一節より。

 

西暦1999年12月15日

 風邪が直らなくてやっぱり一日ダウン。

 前日の無理が祟ったか。

 

 唐突だがIE 5.01はかなり使える。

 何故なら、3日前に落として来て入れて以来、5.0時代に比べ目に見えてトラブルが減ったからだ。

 まぁ、クリティカルな使い方をした場合にどうなるかまでは試していないのでアレなのだが、何をしても何処かしらでエラーなり問題なりが発生していた5.0と比べればエラい違いだ。

 やはりMS社製品はバージョンナンバーに“.01”とか“.51”が付かない限り安心出来ない。

 もっとも、その状態でもサービスパック2とか言って修正がかかるので油断はならないのだが(苦笑)。

 

西暦1999年12月16日

 1型51号、ようやく正式竣工。

 一見殆ど変わっていないが、実はPCと鉄道関連の殆どのページについて細かい所で無数に修正の手が入っていたりする(苦笑)。

 完全新規項目としてはグラフィックアクセラレータのページにMillenium II PCI 4MBを追加。

 

 “信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス”なる新刊を殆ど腰巻きの内容を示す煽り文句だけ見て購入(笑)。

 何でも日本ファンタジーノベル大賞の今年度大賞受賞作なのだそうだ。

 この賞はなかなか大賞が出ない(実際優秀賞しか出なかった年があったが、その優秀賞受賞作でさえ並大抵ではない秀作だったりした)事で知られ、この賞で賞を取るクラスの作家は第一回の酒見賢一を始め大概がその後大成しているから、大賞受賞という事はそれだけでも要注目作家が出現したという事になる。

 ちなみに優秀賞の方は何故かカバー装画が吾妻ひでおだった(笑)。

 

 後輩のA.S.君と2人で借りてきた“∀ガンダム”のヴィデオ第一巻を観る。

 ・・・成る程これは面白い。

 過去のしがらみを断ち切って、なおかつそれを軽やかに笑い飛ばせるだけの強さ。

 これは文句無く凄い作品だ。

 まぁ、何が凄いと言ってあの“ヒゲ”こと∀ガンダムが動けば動く程に格好良く見えて来る事程凄い事もなかなか無い気がする(苦笑)。

 というか、あのヒゲが全然気にならない位観る方が話に集中してしまったのだから、察するに本当にストレートに面白い話作りに成功しているという事なのだろう。

 それがどれ程大変で、どれ程凄い事なのは言うまでも無い。

 

西暦1999年12月17日

 TYANのサイトでようやくS1837UANG Thunderboltの新BIOS(Ver.2.00.00)が公開された。

 期待通り新CPUへの対応がなされたが、一方で古いPentium IIの対応が切られており、BIOS ROMの空き容量が厳しい事が伝わってくる。

 この機種の場合はSCSIのBIOSが中に含まれている筈なので、当然その辺が他の機種に比べてシビアになる。

 今回のこれはその事を改めて再認識させてくれた。

 もっとも、このマザーボードでわざわざ旧コア(Klamath)の2.8V版Pentium IIを使わねばならない理由などどこにも無い訳で、その意味ではこれは非常に妥当な判断だろう。

 何はともあれまだ先があるというのは誠に結構な事だ。

 

 3DMark2000なるベンチマークテストをダウンロードして実行。

 現行のAT2号機でトータル2749を記録。

 Athlon 650MHz + GeForce256の構成でトータル3800程度だそうだから、ハードウェアT&Lを持たないグラフィックカードとしてはまずまずの結果だろう。

 ちなみにこのベンチではPentium IIIのSSE命令群をサポートしており、それを切ってDirect3DのソフトウェアT&Lで測定するとトータルで16%程結果が悪くなった。

 聞くところによれば、GeForce256のハードウェアT&Lの有効/無効での速度差は大体5〜10%といったところだそうだから、SSEは想像以上に効果があるという事になろうか。

 それとも、単純にIntelが金と人手を繰り出して最適化をゴリゴリやっているので一見良い結果が出ているのだろうか?

 まぁ、ソフトウェア側の最適化努力も確かに性能の内なのだが、ベンチマークで最適化するというのもアレな話な気がする。

 これの先代はAthlonがらみで最適化したDLLを用いたベンチ結果をAMDが発表してもめた事があったが、それはつまりIntel CPUに都合の良い様に最適化されていたと解釈出来る訳で、そう考えればAthlonはその潜在能力の全てを見せないままにあれだけの性能を叩き出しているという事にもなろう。

 正直言うと、この手のドロドロした話は嫌いなのだが。

 

西暦1999年12月18日

 色々あって眠れなくなり、“信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス”を読了。

 最後まで一気に読めた。

 最初の方で最終的なオチの1つが一瞬にして見えてしまったりしたのだが、なかなか楽しめた。

 まぁ、仮説を成立させる為の膨大な資料群に振り回されているきらいもないではないが、かつて小学生の頃に読んだ“信長記”その他に記されていた、織田信長に関する逸話が巧妙に組み替えられて行くプロセスは快感だった。

 伝奇小説としてみた場合、これは間違いなく傑作だが、あの賞の規定する“ファンタジー小説”としてみた場合は果たしてどうだろう?

 無論、面白ければそれでOK、という事なのだろうけど。

 

 午後になって半分寝ぼけた状態で東岡山駅北方にある自動車教習所へ。

 

 ・・・ある程度は伝聞で知っていたが、成る程こんな物なのかと思う。

 ただ、普通車免許(AT車専用)が女子大生とおぼしき人ばかりであったのが気になった。

 ただでさえ酷い運転をする率が高い(これはあくまで自転車乗りとしての私の感想だ)女性ドライバーをさらに甘やかすだけでしかないのならば、AT車免許は存在しない方が良いのではあるまいか。

 私の見る限り、自動車を運転中に自分の進行方向以外をロクに見ようとしないドライバーというのは人殺し予備軍以外何者でもない。

 そうしてその種のドライバーの多くを女性が占めている事は残念ながら確かだ。

 そういった、事故等に関する統計的考察が伴わない(明らかに自動車産業の営業政策が優先した)現行免許制度体系には疑問がある。

 こう書くとお前は女性差別主義者か? と問われそうだが、私は差別には反対するものの客観性の伴った区別には積極的な賛成の立場を採る主義である。

 “差別をしない”、という行為は決して“甘やかす”事と等価ではない筈だ。

 事が人の命に関わる以上は、その能力が厳密な客観的評価基準に照らして不足するのであれば、(私自身を含め)それは区別されるべきであろう。

 

 入所式が終わってから行った、東岡山の万歩書店(古書店)で“ロボット・カーニバル”のムックを発見(喜)。

 当然なけなしの金をはたいて即ゲット。

 まさかこんな所で見つけるとは思わなかった。

 

 夕食にいつもの定食屋に行ったらそこで同期の薙澤君と会った。

 そこでIntelとAMDについてあれやこれやと雑談。

 IntelのCPUコードネームに“C”で始まるものが多い事に関連して、かつてのイギリス軍が使っていた同じく“C”で始まる名前のどうしようもない“巡航戦車”群に話が及び、暗澹たる気分になる(苦笑)。

 そこで、イメージ的にIntel製CPUがイギリス+アメリカ戦車でAMD+旧DECがドイツ+ソビエト戦車群、でもってCyrixが日本戦車か? という話にもなった。

 

西暦1999年12月19日

 昨日の不眠の影響で今日は半日以上爆睡。

 

 夕方になって今治のW.T.先輩からTEL。

 話を聞く限り、どうやらAT互換機のマザーボード(AX59PRO)を壊してしまわれたらしい(合掌)。

 で、一応という事であれこれチェック方法を指示したが、最終的にCMOSクリアーで完全に沈黙してしまったそうだ。

 こうなるとお手上げなのでFREEWAYの紅いマザーボード(FW-TI5VGF+/ultra)を勧めておく。

 

 暫くしてまた電話があった。

 本当にFW-TI5VGF+/ultraを買ってこられた(笑)。

 

 深夜になって北九州のH.T.氏よりTEL。

 夏に渡したPCがトラブルを出しているらしい。

 聞けばどうもグラフィックカード(SPECTRA 3200)が異常を出している様で、起動時にピーピー音が出て画面に表示が出ないのだそうだ(困)。

 電話口で色々指示するも、どうも上手く行かない。

 やむなくグラフィックカードだけ抜いて送ってもらう様に依頼。

 

西暦1999年12月20日

 以前拾っていたPersonal LaserWriter SCの動作チェック。

 何しろモノがモノなので引っぱり出してマシンにつなぐのが大変で、これまで放置していた。

 某掲示板で教えていただいたのに従い、とりあえず対応ドライバが見つかった漢字Talk6.07のドライバを入れて無事印刷に成功(喜)。

 が、LP-9000の印字結果(600dpi)に慣れていると、このプリンタの印字結果(300dpi)はかなり辛いものがあると悟る。

 これが約10年前の製品である事を考慮すれば驚くべきクオリティである事は頭では理解しているのだが、未だに昔垣間見たNeXTの専用プリンタ(PostScriptで400dpi)の鮮烈な印字品位が一つの基準となっている私にとっては、物理解像度が300dpi級のページプリンタはどれも及第点以下という事になってしまうのだ。

 実を言うとそれがどうしても我慢できなくて、初の600dpi級一般向け(業務用は知らない)ページプリンタとなったLP-9000が出るまでプリンタ購入を辛抱していた、という話もある(笑)。

 まぁ、現状ではLP-9000にはMacintoshはつなげられない(Type Bスロット対応のLocal Talkインターフェイスか、それともApple Talkをサポートした10Base T/100Base TX対応インターフェイスを内蔵する必要がある)ので、そもそも公平な比較にはなり得ないのだが(苦笑)。

 来年にはこの辺の問題の解決を図る必要が出てこよう。

 

 HPの更新(といってもこの日記だけなんだが)をしようと思って旧Telewayシリウスの書込専用サーバにアクセスしたら撥ねられた。

 で、おかしいなと思って他の旧Telewayドメイン上サイトをアクセスしてみたらこちらもアウト。

 やむなくNEWEBの告知ページを見に行ったら、旧シリウス系ファイルサーバーのNFSに障害が出ていた(怒)。

 Teleway限定で出たという事は、KDDがこのTelewayサーバーを継子扱いして満足なメンテナンスをしていない可能性があるのではあるまいか。

 あるいは、どうせ来年2月でNEWEBに統合してしまうのだから、という甘えがKDD側になかったろうか?

 それとも、シリウスオリジナル名のユーザーを婉曲に追い出す為の意図的な“事故”なのか?

 NEWEBはそれなりに快適なのだが、この辺については正直嫌気がさし始めている。

 

 そんな訳で来年大学を卒業したらサイトを移転するかも知れない。

 

 上の件に関連して思い出したが、来年10月にKDDがDDI及びIDOと合併する事を考えると、またその何ヶ月か後にNEWEBのドメイン名が変わる可能性がある。

 そうなった時、旧Telewayユーザーは短期間で2度のドメイン変更を強要される訳だが、それについてKDD側は果たしてどう考えているのだろう?

 個人的な感想としては、旧Telewayユーザーの利便を考える限り、Teleway→NEWEBのドメイン名変更は来年10月以降に先送りした方が手間も省けて賢明な気がするのだが。

 それともNEWEBとTelewayの2ドメイン名を維持するのはそんなに大変なのだろうか?

 

西暦1999年12月21日

 北九州よりSPECTRA 3200が到着。動作チェックするも完動。

 やはりAGPスロットへの差込に問題があったのではないかと推論。

 

 夏以来久々にこのカードを見た訳だが、横にSPECTRA 5400 Premium EditionやPower Window DXを並べてみると、Canopus社の設計思想の変遷が良く判る。

 というか、あのPower Window 964から考えると、Power Window DXあたりでいかに同社が迷走していたかが良く判る(笑)。

 当時のCanopusはS3製品にべったりだった訳だが、その供給元が安物路線に走ってしまったせいで思う様な製品が作れなくなった事に対する困惑が、Power Window DXからは強く伝わって来るのだ。

 それからすればSPECTRA 3200は随分持ち直した感があったのだけど、横に5400 P.E.を並べてみると、それでさえ不十分であった事が伝わって来る。

 殊に、ゲーマー優先という事で導入されていた同社製Voodoo2カード(Pure3D II/IILX)との内部接続ケーブル端子は結論から言えば無用の長物であった訳で、ハイエンド復権を目指して試行錯誤を繰り返したその敢闘精神は評価出来るものの、製品としての完成度は必ずしも高くなかったという事になろう。

 まぁ、それでも同時期に同チップ(RIVA TNT)を搭載して出荷された他社の製品と比べればダントツの完成度で、これがほぼベストの出来であったのは確かなのだけど(苦笑)。

 とりあえずは5400系以降、同社がハイエンド復興に成功しつつある事を喜ぶべきなのだろう。

 

西暦1999年12月22日

 自動車教習所からの帰途に、何となく西大寺鉄道の廃線跡(財田[現JR西日本山陽本線東岡山駅前]-森下)を探索。

 流石に廃線から40年近くも経つと何も残っていないかと思ったのだが、工業団地が整備されて最早軌道敷のあった場所さえ判らなくなった場所がある中、某所で畑となっている旧築堤を発見した。

 その長さ僅かに5m少々。

 だが、そのえもいわれぬ佇まいと前後の状況(一方は奇妙に真っ直ぐでしかも幅の狭い一般道路、一方は妙な区画の切れ方をした住宅地)を見れば、それは好き者には直ぐにそれと判る程に見事な廃線跡であった。

 その場で目を瞑り、手元の時計の針を60年ばかり戻してみる。

 

 ・・・おお、小さな集落の端をかすめる様にして敷かれたか細い線路の上を、小さな車体には不釣り合いな程背の高い煙突を立てた機関車が首を振る様にして走って来るのが見えるではないか。

 あれは希少なるハノーマグか? それともあの愛らしいコッペルか?

 

 軽便鉄道愛好者にとっては最早夢想の彼方に去ってしまった(金を積んでインドネシア旅行をすれば未だに見られるという話もあるが)奇跡の様な光景が、今を去ること60年程昔、ここでは日々繰り返されていたのだ。 

 その事が確認出来ただけで私は充分満足してその場を去ったが、ここの様に38年前で時の止まってしまった場所というのは、気を付けて探せば案外そこかしこに残されているかも知れない。

 誰が問うでもなく誰がその来歴を知るでもなく、ただただ時の摩耗作用によってのみ押し流され、やがて歴史の彼方に埋没して行く過去の遺跡。

 若い頃から岡山を結構訪れていた私の父でさえ、生きた西大寺鉄道に乗る事は結局叶わなかったのであるから、その父から少なくとも31年遅く生まれた私に乗れる訳が無い事は重々承知しているのだが、それでも叶おうものならば見たかった、出来れば乗りたかった鉄道であるだけに、その線路跡を辿る事には特別の感傷めいた気分が付きまとう事になる。

  

“PANZER FRONT”なる新作PlayStation用戦車シミュレータソフトを購入。

 ・・・熱い。あまりにも熱い。

 PSのハードウェア性能の限界がかなりはっきり見えてしまうのが辛いが、この感覚はなかなか来るモノがある。

 重い戦車が泥濘に足を取られる感覚が、大口径砲弾の装填に手がかかる様が、そして砲塔の旋回が実は大変な作業である事が、生々しく伝わってくる。

 この感覚が得られただけでもこれは「買い」だ。

 でも、世間的にはこれじゃ売れないんだろうなぁ(苦笑)。何しろエンターテイメント性というものが全然無い(爆笑)。

 どちらかと言えばこれはWindows版を出すべきソフトの様な気がする。

 

 あのNumber Nine Visual Technology社が廃業した、という報道を某サイトで目にする。

 同社が凋落の一途を辿っていた事は周知の通りだが、自社独自開発チップ搭載カードの開発を止めて出したSR9(S3のSavage 4 PROを搭載)で持ち直したと伝えられていただけに、今回のこの報道は意外だった。

 一説によれば、そのSR9が主として法人向けに売れたせいで自社Diamond MultiMediaブランドのSavage 4 PRO搭載カードが売れなくなったS3社が、同チップの#9に対する供給を切ろうとした/同社を買収しようとした事に原因があったらしいのだが、もしそれが事実だとすればひどい話ではある。

 同じチップを使ったDiamondのカードと#9のカードがあったとして#9の方が売れるのは、はっきり言ってしまえばDiamondの製品の方が安くても品質が良くないから(苦笑)で、品質の悪い自社製品の改善を棚に上げて品質の良い製品が売れている同業他社に対する供給契約の一方的な打ち切りをするというのは筋違いも甚だしい。

 そんな事をすれば、Diamond MM社の買収後も継続している、他社に対するS3製グラフィックチップの外販事業が供給先の信頼を失って早晩立ち行かなくなるのは自明な事に思われるのだが。

 ちなみにS3は#9社の資産(社員を含む)の引き取り/引継を表明しているそうだが、ま、ハイエナの屍肉漁りみたいなものだな(苦笑)。

 現時点ではまだNumber Nine社のWEBサイトは生きているが、最悪の事態を考慮するとドライバ類、特に他で換えの利かない同社自社開発チップ搭載製品(Imagine 128、Imagine 128 Series 2/2e、Revolution 3D、それにRevolution IV等)の専用ドライバダウンロードは早い内に済ませておくのが吉かも知れない。

 

西暦1999年12月23日

 PANTZER FRONTにハマったままだ(笑)。

 AUREOLEは足が滅茶苦茶速いのは良いが、装甲あまりにも薄過ぎ(泣)。

 短砲身のM4の一撃喰らった位であんなに簡単に炎上するかなぁ(溜息)。

 それに引き替えE-79は強い。何と言うか、これはもう詐欺みたいに強い(笑)。

 足の速さはそこそこでしかないが、強力極まる火砲がゆっくりと旋回して射界を確保する上に、被弾経始が良好で尋常じゃ無い位強靱な装甲を鎧っているのだから勝てて当然という気もしないでもないが、何しろ無数に存在する敵陣地からの砲撃を一身に浴びながら、順番にHEを叩き込んでそれらを潰してしまえるのだから只事ではない。

 こういう怪物と比較すれば、AUREOLEのキチガイじみた足の速さも色褪せて見える。

 幾ら足が速くても、一撃を喰らっただけでアウトというのでは話にならない。

 所詮、どうこう言っても駆逐戦車は駆逐戦車だ、という事か。

 

西暦1999年12月24日

 小倉のH.T.先輩の依頼で新マザーボード(S1857-B Trinity 371 / TYAN)を購入。

 Slot 1とSocket 370が並んでレイアウトされた、特徴的なデザインのATXマザーボードだ。

 チップセットがIntel 440BXであるから、公式に保証された最大FSBは当然100MHzで一応オーバークロックの設定もあるが、これはそういう使い方をするボードではないだろう。

 ちなみに拡張スロットはAGP 1本+PCI 5本+PCI/ISA 1本で構成されており、サウンド有りモデルではAGPのそばにES1373が実装される事を考え合わせると、これはAGPの他に7本のPCIスロットを持っているに等しい仕様である。

 添付されていたマニュアルを読むと、これらの6本のPCIスロットは全てバスマスタ動作する様になっていて、ボード上にGALチップが実装されているのが確認された。

 察するにこのチップがバスマスタコントロールを行っているのであろう。

 まぁ、この辺は昨今の440BXチップ搭載マザーボードでPCIが6本使える製品では定番となりつつある手法であって、特に目新しいものでは無いのだが。

 いずれにせよ、多少雑然とした印象があるがそれでも流石はTYAN製品で、手堅くしかも綺麗にまとまっている。

 個人的には、結構良い感じのボードだ。

 そんなこんなであれこれ積み上がっていた仕事をこなした結果、25日深夜に小倉に向かう事が確定した。

 

 2000年到来を前にして当サイトの改変作業を開始。

 とりあえず試製2型1号と呼んでいるが、フレーム有り版を作ってみた。

 未だとても他人に見せる様な状況ではないので公開というかサーバ上のサイト改変は実施していないが、恐らく1月初旬の最初の改変で公開出来よう。

 

西暦1999年12月25日

 世間は昨晩来クリスマスとやらで浮かれている様だが、今夜小倉へ向かう事になったのでその準備で忙しい。

 向こうで物資補給が事実上不可と想定して機材を準備せねばならないので、あれやこれやと結構大荷物になる。

 マザーボードが2枚にAGPグラフィックカード(SPECTRA 5400 P.E.)1枚、PC/100 SDRAMの128MB DIMM 2枚、Pentium III 2個、そしてISAのテストカードが1枚。

 まぁ、夜間高速バスだから盗難の心配が殆ど無いのは幸いだが、それにしても大変な事には変わりはない。

 

 1999年の更新は恐らく今日が最後だ。

 もしかしたら28日にもう一回だけ更新する可能性が残されているが、多分その暇は無い。

 そんな訳で、当サイトのこのページを読んで下さっている諸氏にご挨拶申し上げて1999年の最後を締めくくりたい。

 

 本年はどうもありがとうございました。来年も宜しくお願い致します。

 

 それでは良いお年を。

 

西暦1999年12月25日(追加)

 午後10時発の博多行き夜間高速バスに飛び乗って懐かしき小倉へ。

 車中なかなか寝付けず苦労する。

 

西暦1999年12月26日

 所謂運転停車という奴で、目的地を目前にした下関のパーキングエリアにて1時間半程停車。渋滞も無く快調に飛ばすと6時間半で岡山-小倉間を走る事が出来るという事か。 

 かくして予定より少し早く小倉駅前に到着。

 

 1993年4月から1994年3月までの1年間暮らしていた(某大学で仮面浪人をしていた)街だけに、やはり懐かしい。

 が、流石に5年以上経つと変われば変わるもので、新装なった小倉駅周辺の激変ぶりに少々たじろぐ。

 元々小倉という土地は奇妙に懐かしい風景と異様にSFな光景が混淆した、一種独特な景観を持った街だという印象があったのだが、なにやらそのSF風味(笑)がパワーアップしていて凄い事になっている。

 おそらくそれは新小倉駅ビルに突っ込んでいるモノレールが最大の原因だと思うのだが、それはそれでなかなかに格好が良い。

 何と言うか、まるで子供の描く未来都市図の様な感じがするのだ。

 

 早朝だがH.T.先輩に電話をして車で迎えに来て貰う。

 氏は少々太った様に見受けられたが、健康そうで何よりだ。

 で、2人して24H営業をしている戸畑(だったか?)のCOCO壱番屋へ。

 

 その後3号線を東に向かい、TOTO本社前から昔暮らした小倉北区白銀町周辺を走って貰う。

 良く通った銭湯、住んでいたマンション、それに毎日の様に食べに行った食堂。

 非常に苦労したが、楽しかった記憶もまた多い場所だけに、その変わらぬ佇まいに懐かしさが込み上げて来る。

 

 H.T.氏の部屋に到着。

 あまりのカオスぶりにしばし呆然とする(苦笑)。

 呆然としていても始まらないので、PCのチェックを始める前に部屋の片づけをする事にする。 

 山程積み上げられた書籍や雑誌(“軍事研究”その他)を整理整頓して1ヶ所に集め、ある程度収拾をつけてからPCのケースを開いて起動してみる。

 

 成る程、画面に何も表示が出ないままピーピーとブザーが鳴っている。

 あれこれ一通りチェックしてみてから埒があかない事を確認し、最終兵器であるPOSTコード表示機能付テストカード(XTバス仕様)を空いているISAスロットに挿して再度起動。

 ・・・おお、C1で止まった。

 付属のマニュアルで確認するとメモリの異常であるという事なので一旦電源を切ってからDIMMを抜き差ししてみる。

 一度抜き差しした時には変化は現れなかったが、何度か抜き差ししたら1度だけ起動に成功した。

 どうやら接点が汚れているか酸化している様だ。

 そこでDIMMの接点を清掃。

 大して変わらないが起動確率は上がった(苦笑)。

 もっとも、今後を考えれば不安なのは確かで、マザーボード交換を決定する。

 

 旧マザーボードはMicroStar社のMS-6163だったが、新マザーボードは先日も書いた通りTYANのS1857-B”Trinity 371”だ。

 どちらもIntel 82443BXをノースブリッジとする所謂BXマザーという奴だが、主な相違点はスロット構成(AGP 1・PCI 4・PCI/ISA 1・ISA 1→AGP 1・PCI 5・PCI/ISA 1)とCPUソケット/スロット構成(Slot 1→Slot 1/Socket 370排他使用)、それにBIOS(AWARD→AMI)で、後発のS1857-Bの方が新しい分だけ設計の洗練度では優る感がある。

 ただし、オーバークロック関係の機能(CPUコア電圧制御等)という点では6163の方が多機能に見え、台湾メーカーと米国メーカーのスタンスの相違が伺える。

 とりあえず動かしてみた感想を言えば、S1857-Bの方が全般的に高速に動作している様に思われるから、下手に6163でオーバークロック動作させる位ならばS1857で定格動作させた方が賢明な場合というのが結構あるかも知れない。

 それ以外にも回路レイアウトを見ているとS1857には非常に秀逸な部分が多々あって、流石はTYANと唸らさせられた。

 

 午前中に一通り作業を終え、午後は夕方までひたすら眠っていた。

 

 夕方になって小倉の街に出かけ、福屋書店小倉店やナガリ書店、あるいはそごう小倉店等で買い物。

 お目当ては銘菓「鶏卵素麺」等(苦笑)。

 

 その後H.T.氏に迎えに来て貰い、一旦氏の部屋に風呂関係の道具その他を取りに戻ってから、銭湯と食事に出かける。

 もっとも、その前に部屋で氏に“PANZER FRONT”を見せていて時間を喰ったという話もあるが(苦笑)。

 やはり公衆浴場は良い(笑)。

 

 H.T.氏の部屋に戻り、作業の続き。

 環境の復元やInternet環境の再構築に案外手間取る。

 H.T.氏には一旦寝るが途中で起こす様に頼まれたが、それをするとこちらも保たないので起こさず、作業を終えてそのまま就寝した。

 

西暦1999年12月27日

 寝ぼけ眼で起こされるとH.T.氏が出勤する所(ご苦労様です)であった。  

 その後、昼前まで作業を続け、一応完了と言えそうな所まで持って行ってから電源を落とし、外出。

 

 一旦小倉の街に出て、そごうの地下の飲食店でモダン焼きを食し、駅前のカメラ屋でレンズ付きフィルムを購入。

 で、新装なった小倉駅の偉容に圧倒されつつ走行中のモノレール等にレンズを向ける。

 その足でモノレール小倉駅に足を運び、途中の旦過までの切符を買って乗車。

 無論、93年にこの地を去って以後に出来た新設区間に乗車するのが目的だが、目当ての店が旦過の近くにあったというのも理由の一つではある。

 初めて見る小倉駅側から見た景観の新鮮さに驚いているとあっというまに列車は旦過に着いた。

 名残惜しいが時間が無いのでここで下車し、駅近くの某模型店へ。

 昔通っていた頃に見ていて記憶にあったのだが、ここには確かS.F.3.D ORIGINALのキットが結構在庫していた筈だった。

 で、実際に行ってみると果たしてP.K.AとFIGURE SET1、それにHEINRICHの旧版が在庫していた。

 当然大喜びで全部ゲット(笑)。

 

 その後、変わらぬ/変化した昼の商店街の様相に驚いたり感動したりしながら小倉駅まで戻り、駅北側のラフォーレ原宿の中古CD市で“東京ポーキュパイン・コレクションVol.1”を発見して喜んで購入した後、813系+811系による快速で黒崎へ。

 八幡製鉄所周辺の再開発に伴う線路付け替えがあった事を思い出して乗ったのだが、果たして旧線とは全く異なるスペースワールド駅周辺の景観に呆然とする。

 

 黒崎で下車してから、西鉄北九州線の残存区間に乗車すべく駅前に出たのだが、驚いた事にはあの電車乗り場が消滅し、真新しいビルが建設中であった。

 慌てて周辺を探したところ、漸く“電車のりば”という表示を発見し、それに従って歩き出したのだが、随分あちこちぐるぐる回ってやっとたどり着いた電車乗り場は、かつての黒崎駅前電停と黒崎車庫前電停の中間位のとんでもない位置にあった。

 一体これはどういうつもりなのだろうか?

 気を取り直して到着した折尾行きの600形(以前見た時よりもいよいよ痛んでいた)に乗車したのだが、その車内のあまりの旧態依然ぶりと車体の動揺のひどさに絶句する。

 これでは先は長くはあるまい。

 

 黒崎に戻り、暫く商店街をぶらついてから折良くやって来た電車代行の砂津行きバスに乗車した。

 流石に廃止から5年以上も経つと北九州線の痕跡は綺麗に拭い去られてしまっていて、面影が残っていたのはJR日豊本線を乗り越えるJR九州小倉工場脇の陸橋位の物だった。

 

 多少感傷的な気分になって魚町で下車し、小倉在住の頃に良く通っていた“くいだおれ”という定食屋に足を運ぶ。

 店の佇まいも、味も、何もかもがあの時のままだった事に感激しながらスタミナ焼き+ハンバーグ定食を食べる。

 

 ここで待ち構えていたらしいH.T.氏と出会い、一緒に部屋まで戻る。

 

 部屋であれやこれやと新規にインストールしたソフト類の説明をしていたら岡山に戻るバスの発車時刻があっという間に迫って来た。

 名残惜しいが大急ぎで荷物を取りまとめ、小倉駅前の高速バス乗り場まで送って貰う。

 

 正直99年中に小倉を訪れる事があろうとは夢にも思っていなかったのだが、まぁ現実なんて物はこんな物なのだろう。

 

 斯くして再度車上の人となった。

 

西暦1999年12月28日

 早朝にバスは岡山駅前に着いた。

 何やら新鮮な気分。風景が新しい。

 

 まずは駅前のうどん屋で腹拵えをしてから駐輪所に向かい、自転車で自室に戻る。

 

 荷物をある程度整理してから教習所へ行き、学科教習を受講。今日は大変忙しい。

 

 教習所からバスで戻り、部屋で荷物を大急ぎで再編成。

 今日はこれから姫路の実家に戻らねばならない。

 

 急いでいたのでどえらく大きくなった荷物を背負い、駅まで歩く。

 本当はバスに乗りたい所だが、半時間以上来ないのでは何の役にも立たない。

 駅で切符を買い、0系12連の“ひかり”に乗車。流石に随分痛んでいるなと思う。

 

 腐っても新幹線、あっという間に列車は姫路に着いた。

 ここで神姫バスに乗り換え。

 岩端のジャスコ前で降りて同店内のJ-ZoneなるPCショップでIW-S800なるATXのPCケースを¥8800(税抜)で購入。

 

 再度バスに乗車して実家へ。大荷物を持って東奔西走状態だったので大変疲れたが、勢いで実家にあったAT1号機を分解し、持参したPentium II 400MHz(H.T.先輩にPentium III 450MHzを売却した際に下取り)+MS-6163(同じくH.T.先輩から下取り)+128MB SDRAM(AT2号機から取り外し)を足してAT3号機に当たるマシンを構築してしまった。

 結構速いが何しろCRTがTERADRIVEモニターなのでひどく使い辛い。

 で、組んでいて思ったのだが、IW-S800というケースは出来が想像以上に良くて驚いた。

 何と言うか、ありとあらゆる点で先代のIW-G500を上回る感じなのだ。

 

西暦1999年12月29日

 今日は散髪に飾磨へ。

 姫路-飾磨間は山陽電鉄に乗るのだが、今日の行きは3002-3003-3501-3601という昭和40年度鉄道友の会ローレル賞受賞車4連による各停だった。

 36年という建造からの経過時間は無視出来ない損耗を車体のあちこちに刻み込んでいたが、当時の最新技術を投じて設計されたアルミ製車体を持つこの編成の場合、腐食という鉄道車輌最大の敵とはほぼ無縁なので、今見てもさほど古くは見えない。

 冷房装置を後で追加搭載している関係で車内天井の見付が雑然とした感じになってしまっているのは残念だが、我が国初のアルミ車である(異論はあろうが、実用的でしかも後の車輌発達に与えた影響が大きかった、という事を評価すればやはりこう表現せざるを得ない)同電鉄の2000系2012-2506-2013が引退してしまった今となっては、姉妹車である3000-3001-3500-3600編成と共に特徴的な初期アルミ車の基本構造を今に伝える貴重な存在として長く走り続けて欲しい車ではある。

 散髪を終えてから、昔よく行っていた模型店を覗いてみる。

 げ、S.F.3.D ORIGINAL版のGUSTAVがある。

 当然即ゲット(苦笑)。

 

 帰りに飾磨駅で待っていたら3600を先頭とする姫路行き各停が入線してきた。

 どうやら今日はこの初期型アルミ製電車にご縁があるらしい(苦笑)。

 

西暦1999年12月30日

 今日は何やら一日中実家の青色申告用伝票の処理という事でPC上でのデータ打ち込みに明け暮れた。

 去年も同じ様な事をしていた筈なのだが、どうも勝手が違う。何故だろう?

 

西暦1999年12月31日

 今日は家族3人で奈良へ向かう。

 毎年この時期を奈良で過ごすのが大方30年来の我が家の習慣なのだ。

 

 山陽自動車道→中国縦貫道→近畿道→第2阪奈道路という道順で走って定宿の奈良ホテルへ。

 実は毎年同じ部屋に泊まっている。まぁ、変えるつもりもないという話もあるが(苦笑)。

 そんなこんなで奈良市街に出て、毎年訪れる漆器店と菓子店を回る。

 年々凝った細工物や菓子が姿を消して行くのが何より悲しい。

 複雑な手仕事を嫌がるとしたら、職人達は一体何を自らの職分だというのであろうか?

 ふと、そんな疑念が脳裏を過ぎる。

 

 これまた毎年訪れる寿司屋で夕食を摂ってから、ホテルに戻るとすぐに寝入ってしまった。

 少量しか飲まなかった筈のビールが存外回った物らしい。

 

 暫くして起き上がると、“ゆく年くる年”を放映していた。

 いつもの年とは違う派手派手しいカウントダウンが滑稽に感じる。

 

 かくして西暦1999年は大過ないままに幕を閉じた。


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