最終更新 : 2023/03/13

FM-7エミュレータ XM7/XM7 TypeR
-an eXcellent fujitsu Micro seven emulator, for 7 platforms-
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XM7特別企画・FMシリーズ40周年に寄せての駄文

1981年5月20日にFMシリーズ初代機「FUJITSU MICRO 8(FM-8)」が発表されてから40年。ちょうど富士通クライアントコンピューティングからもプレスリリースが出たことだし、ここで純粋なFMシリーズ出身者ではないにもかかわらず(実は初のマイコン(パソコン)は日立のベーシックマスターJr.)、勝手な駄文を書き散らしてみることにしました。テキトーな記憶が元なのでツッコミどころ満載なうえに、主にホビー方面中心にしたうえに思い込みが激しいのであしからず。

 FMシリーズの始祖となるFM-8…正式名称「FUJITSU MICRO 8」は、国産PCとしては日立のベーシックマスターレベルVに続く(だよね?)モトローラの6809を搭載したマシンです。特筆すべき点としては、640×200ピクセル ドット毎に8色表示の当時としては高度なグラフィック機能(これだけでVRAMが48Kバイト必要)を実現するために、6809をメイン処理に使用する「メインCPU」とディスプレイ/キーボード/タイマの制御に使用する「サブCPU」の2つを載せた、デュアルCPUという実に贅沢な構成をとっています。この基本構成は、16ビットマシンであるFM16β(Betty)まで引き継がれて行くことになります。あとは, 主にジョイスティックポートとして利用されることが多かったアナログポートや磁気バブルメモリ(バブルホルダユニット自体はオプション。搭載していないときの通称「灰皿」「小物入れ」が通用するのも一部でしょう)の採用も特徴的でしょう。キータッチも◎h!FM誌ではFM-7/11以降、一部を除くビジネス系機種や初代FM77AV、グレーのテンキー付FMTOWNS用キーボードで採用された板バネ式メカニカルキーボード採用のFMシリーズと異なる感じで、重く沈み込むような感じと評されていました。

 FM-8は、発売時から「FMシリーズ」としてのシリーズ化あたりまでのカタログやオプションハードのラインナップを見てもわかるとおり、当初はビジネス用途を意図して設計されていましたが、218,000円という価格に対して高度なグラフィック機能が注目され、ライバルであるNECのPC-8801同様(一応、88のほうが後発)にアニメキャラのCGを描かせるのが流行ったりと、だんだんとホビー方面への進出も目立つようになりました。
 そんな中、翌年の1982年11月、富士通から示された回答は、「FUJITSU MICRO 7(FM-7)」と「FUJITSU MICRO 11(FM-11)」の2機種4モデルです(同じよーな時期に発表された、海外向けの「Fujitsu Micro 16s(FM-16s)」系統もあったけど、あんまり触れなくていいよね?w)。この時から正式に「FMシリーズ」と名乗るようになりました。
 FM-7、FM-11ともにCPUのクロック周波数はFM-8の約2倍(メイン1.2288MHz(供給クロック4.9152MHz)→2MHz(供給クロック8MHz)、サブ1MHz(供給クロック4MHz)→2MHz(供給クロック8MHz))になり、今までより高速な処理が可能となりました(括弧内の供給クロックはFM-7のもの。FM-11はサイクルスチール採用(サブシステムのみ)とタイミングジェネー他の採用(メイン/サブとも)でこの4分の1の値となります)。
 FM-7は、ホビー用途で使われるPSG音源、パレット機能、マルチページ機能などを追加する一方、アナログポート、磁気バブルメモリサポート、RS-232Cインタフェースのカットを行なうことで126,000円という驚異的な価格を実現しました。しかし、FM-8からの課題であったキーボードのスキャン問題(BREAKキー以外のキーを離したことが認識できない)は解決しないままアナログポートを廃したことで、プリンタポートを応用したジョイスティック(電波新聞社のゼビウスジョイスティックが有名)や後の「FM音源カード」で採用された汎用I/Oポートを利用した一応の標準ジョイスティックの対応を待つまで、アクションゲームに不向きなマシンでした(慣れれば平気なんですが)。
 一方、FM-11は本格的なビジネス向けモデルとして、メインCPU、サブCPUの両方で大きく機能強化が図られています。8ビットマシン初の名実ともにメモリ空間1Mバイトを実現し、サブCPUにおいてはベーシックマスターレベルVでも採用されていたサイクルスチールの導入によるグラフィックの高速化、それに加えてFM-8の2倍のピクセル数となる640×400ピクセル 16色中8色という高解像度モード(それも2画面)を採用しています。

 1983年、アスキー/マイクロソフト共同で「MSX規格」が提唱されますが、当時の「パソコン御三家」のうち、国内企業では富士通のみが日本国内で現実にMSX規格に沿ったマシンを出しました(元パソコン御三家の日立はMSX2あたりまでは力を入れていたのか入れていなかったのかよくわからない状況でしたが…)。「FM-X」という何のひねりもないネーミングで、オプションセットを使い、FM-7と接続することにより、FM-7側でもFM-X側でも一定の機能強化が図れるというものでしたが、あとはRGB出力がデジタルRGBとなっている点を除いてはごく普通のMSXでした。他にも現在は富士通グループとなったゼネラル(現富士通ゼネラル)も2機種ほどMSX規格のマシンを出していたようです。

 この後。FM-8のさらなる進化はありませんでしたが、下位機種のFM-7、上位機種のFM-11はともに進化を続けることとなります。
 FM-7は1984年5月発表の廉価版「FM-NEW7」、FM-NEW7と同時発表の3.5インチフロッピーディスクドライブ内蔵・漢字ROM内蔵・サイクルスチール採用・メモリ空間256KBの実現などを行なった「FM-77(Janet)」といったバリエーションが誕生しました。
 FM-11はFM-11で、内蔵フロッピーディスクドライブを5.25インチ2HD仕様に変更し、日本語機能を強化したうえで、メインCPUを8088のみにしてよりビジネス系に特化した「FM-11BS」、メインCPUは6809のままOS-9 Level 2をバンドルした「FM-11AD2」が誕生しました。後に、FM-11AD2のマイナーチェンジモデル(というかFM-11BSの6809版?)である「FM-11AD2+」も登場しています。
 FM-77は更に進化を遂げ、FM-77D1/D2の登場後1年ほどが経過した頃にラインナップの拡充(刷新?)が図られます。1ドライブ構成のモデル(FM-77D1)を廃し、「FM-77L4」はFM-77D2にオプションであった400ラインセットUを標準搭載したことにより、640×400ピクセル 16色中2色モードの採用や独自アーキテクチャホビー系FMシリーズでは唯一のテキストVRAM搭載機ということもあり、FM-7(77)とFM-11の中間的な位置づけのマシンとなっていました。
 FM-77L4の登場から更に数ヶ月後、FM-77D2の廉価版(というかNECのPC-8801mkUSRへの対抗馬のつもり?)の「FM-77L2」も登場しました。FM-77L2はFM音源を標準搭載し、4オペレータFM音源3音(YM2203)+SSG音源3音(YM2203)+従来の標準PSG音源3音(AY-3-8910)の同時9和音発声ができるという、いかにも凄そうなスペックに見えます…が、付属のドライバがあまりにもアレでバックグラウンド演奏すらできなく、FM音源しか制御できなくて使いにくかったうえに、約半年後にBASICのPLAY文である程度まともにFM音源/PSG音源の同時演奏に対応しているFM77AVの登場を控えていたため、購入者は泣きを見た方も少なくないんじゃないでしょうか?結局FM-7シリーズの標準FM音源ドライバは◎h!FM掲載のPLAY@/HGPLAYになってしまいます。

 そして、FM-11BSの発表から1年もしない間に、ビジネス系の新機種が登場します。名前は「FM-16β(Betty)」。Fujitsu Micro 16sとFM-11BSのハイブリッドのようなそうでないような、不思議な構成のマシンでした。PCには珍しく、メインCPUとして80186を採用しています。その他、FMシリーズでは初となるサブシステムのメモリ空間にメインCPUから直接アクセスできる「ダイレクトパス」の採用、漢字テキストVRAM採用や直線補間・論理演算LSIの搭載など、FM-11BSを更にパワーアップさせた仕様になっています。しかし、海外のビジネス機であるIBM PCやライバルのPC-9801がMS-DOS(PC DOS)を標準OSとして採用する一方、OSとしてマイナーであるCP/M-86を採用してしまったことでマイナーな感は否めません(何だか知らないけどBASICがMicrosoft BASICじゃなくて独自だとか言う誤解記事まで出回る始末。F-BASIC86はMicrosoft BASICの派生版なんだけどなぁ…)。
 翌年にはFM-16βの廉価版である「FM16βSD(Alice)」、東芝の海外向けモデル「T1100」より遅れはしましたが日本初である日本語処理対応の折りたたみ式のラップトップマシン「FM16π(Helen)」なんてのもありました。だいたいこの頃にPC事業の半導体事業部からの移管が行なわれたようです。

 そして1985年11月、ホビー向けとして先行するNECのPC-8801mkUSRに対抗するため、富士通の『不発に終わった?』逆襲作戦が始まります。その新機種の名前は「FM77AV(Daisy)」。ホビー向けFMシリーズとして、FM-7/77から大幅な機能強化を果たしています。
 「総天然色」とかけた「総、天、然、ショック。」のコピーの通り、当時としては100万円クラスのワークステーションでないと実現できなかったような驚異的な4096色の総天然色モード(横方向の解像度は半分に落ちますが)、FM16β譲りの直線補間・論理演算LSI搭載。FM-77L2で標準搭載され、FM-7シリーズのオプションとしても普及率の高かったFM音源カード相当機能の標準搭載(ただし標準PSG音源は省略)。ホビー系FMシリーズの弱点とされてきたキースキャンの改善。ハード寄りの機能としては、FM16β同様に今まで不可能だったメインCPUからのVRAM等サブシステムへの直接アクセス(ダイレクトパス)がサポートされています。メモリ容量も標準で128Kバイト(最大192Kバイト)と強化されています。そしてなにより強調したいのが、ビデオキャプチャ(ビデオディジタイズ機能)をオプションカード+専用CRTテレビで当時としては比較的廉価に実現していたことです。グラフィック機能…いや、ビジュアル機能については、富士通の先を行き過ぎる先進性が遺憾なくバリバリに発揮されています。

 年が明けて1986年に入ってすぐ、だいたい春ぐらいにはFM16βのラインナップが改められ、標準OSをMS-DOSに変更したうえで80286採用の上位機種が出るなど、地味な動きを見せました。

 1986年末には、初代FM77AVに対して2DDドライブ採用・RS-232C I/F標準搭載の「FM77AV20」、それに加えて400ラインモード・日本語処理機能搭載・メインメモリ空間1MB(サブシステム空間64KBの分はRAMが実装できないのでフル実装で960Kバイト。ただし、富士通純正ハードでは448Kバイトまでしか拡張できません)の「FM77AV40」という上位機種が登場しました(当時の広告を見ると、初代FM77AVもしばらくは併売だったようです)。日本語処理機能はFM77AV/AV20でもオプションの「日本語カード」を装着することにより、AV40相当の機能が得られます(ただし、初代FM77AVは別売の対応BASICであるF-BASIC V3.3L20(以降)の購入が必要でした)。2代目で2DDドライブを採用しても、ビジネス向けや富士通純正ソフトでは一部2DD専用の物もありましたが、ゲームメーカーは初代AVに合わせて2Dフロッピーディスクでソフトを発売するため、あまり意味はありませんでした。オーディオ・ビジュアルに加え、NECのPC-8801mkUTRやシャープのSuperMZ(MZ-2500)同様にコミュニケーション(パソコン通信)を売りとしていましたが、それに呼応するように、1987年4月にNIFTY-Serveが正式サービスインしています(2006年3月いっぱいでTTYサービス終了)。なお、FM77AV40にはゲートアレイ採用で消費電力を抑えたロットが少なくとも2ロットあります。

 1987年に入ってすぐ、OS-9マニアにウケたFM-11/16βの後釜として、名目上はFM16βの後を受け継いだのが「FMRシリーズ」です。独自アーキテクチャFMシリーズのうちデスクトップ機では初の1CPUマシンですが(ラップトップを含めるとFM16πがあります。念の為)、中解像度機であるFMR-50シリーズではFM16βのサブシステム相当機能のアクセスに関しては一定の互換性を持っています(もちろん、TESTコマンドとかCALL MACHINEコマンドで独自プログラムをサブシステムに送り込むとかそういうのはダメ)。アーキテクチャの変更で非難が集まるのは覚悟のうえでの発表だったとのことです。
 「ニホン語、得意。」のコピーが忘れたくても忘れられない初代ラインナップの広告には「デルフィーヌ麻衣子シアンピ(Delphine Ciampi)」さん(岸惠子さんの娘さんだそうです)という、非常に覚えにくい名前の女性がイメージキャラクターとして登場していましたが、気がつくと荻野目慶子さんに変わっていました。そして、FMR-50NBX1/FMR-CARDのあたりでは、誰も予想しなかったFMR採用各社の秘書大特集…ってなんなんだか。
 なお、ひとくちにFMRシリーズといっても、大きくわけてポータブル系(R-10/30)・中解像度機(R-50/250)・高解像度機(R-60/70/80/280)の三種類があります(高解像度機の「16ドット表示カード」はFMR-50系互換ではなく、どちらかといえばFM16βに近い仕様らしいです)。ノート型FMRシリーズは「FM NoteBookシリーズ」という名称で、基本的にはFMR-50をベースとしています。80286/i386SX機の一部は松下電器産業(現パナソニック)が設計・製造を受け持ったという話がありますが、最低でもFMR-50LT、FMR-50CARDの2機種はこれに該当します。逆にFMR-CARDは富士通設計で松下に「Panacom PRONOTE M10N」という名前で供給されています(i486モデルに関しては資料がありませんが、松下が途中でDOS/V(って懐かしいなォィ)路線に切り換えたこともあり、恐らく富士通設計でしょう)。他にもマルマン版もあったようですが、現物を見たことがありません(ォィ)。
 ビジネス用という性格もあってか、割と長い間製造されていました。最終モデルは1998年4月発表のFMR-280A4/L4・FMR-250L4です。

 1987年末になると、FM77AV20/40から回路の大幅なゲートアレイ化・省電力化を図ったうえで、MMR仕様・未使用を問わずメインCPUクロック周波数を向上し(実測値で2.016MHzノーウェイト)、キーボードを板バネメンブレン式からスプリングメンブレン式へと劣化させ、更にコストダウンした「FM77AV20EX」・「FM77AV40EX」が登場します。  FM77AV20EXはCMT I/Fの削除とFM77AV40に載っていたDMAC相当回路の搭載(そしておまけ程度の拡張MMR対応)、FM77AV40EXではFM77AV40に対してVRAMの拡張(144KB→192KB。400ライン8色/200ライン4096色モードでは2画面、200ライン8色モードでは4画面を持てる)や、それに関わる「グラフィックウインドウ機能」が追加され、FM77AV40ではシステムディスクから読んでいた拡張サブシステム(Type-D(400ライン)/Type-E(26万色))のROM化が行われています。

 1988年末、本当は「TOWNES」…後に「FMTOWNS」として発表されるマシンのお披露目が予定されていましたが、当時の世間のムードが「自粛」だったことを建前に、イベントにハードもソフトも間に合わないということでイベント自体が延期されてしまいました。
 ピンチヒッターなのか当初から予定されていたのかは不明ですが、FM77AV40EXにビデオカード機能を追加し、CMT I/Fを削除したもの(ただしメインボード上やシールド板にパターンや穴は残っています)が「FM77AV40SX」として発表されました。
 「墓石カラー」と呼ばれることで有名なモデルですが、名実ともに8ビットFMシリーズの墓石になってしまいました。キーボードのカラーリングは墓石模様以外(というかキートップのカラーリングか?)は、後のグレーTOWNSに似ています。

 FM77AVシリーズはオリジナルがPC-8801mkUSRであるゲームアーツの「シルフィード」が公式移植された唯一のマシンであり、後にJr200Okada氏がゼビウスを勝手移植してその再現度に驚かれるほどにハード的には強力でしたが、とにかく登場時期が悪く、いつものお約束で当時のライバルであるNECのPC-8801mkUSRとその後継機たちに負けてしまったのは、やはり富士通らしいエピソードでしょう(そのPC-8801も最後にはPC-98DOシリーズというPC-9801とのハイブリッドマシンになってしまうのですが)。

 そして1989年、60年以上続いた昭和時代も終わり、元号が「平成」に変わってまもなく、富士通から衝撃的なマシンがデビューすることになります。その名もハイパーメディアパソコン、「FMTOWNS(Townes)」。CD-ROM採用の一般層向けパソコンとしては世界初の全機種全モデルCD-ROMドライブ標準搭載(それまでにもMSX2を中心とした試作品とか、Apple CDscやPC Engine CD-ROM2システムなどのようなオプションならいくつかありましたが)、そして世界初の単独でのCD-ROMブート可能パソコンです(El Torito規格が一般的になる前は、他にはNECのPC-8801MCくらいしか思いつきません)。ラインナップの拡充が図られていく時に利用されるようになったJEIDA V3.0対応(後のモデルではJEIDA 4.0対応やJEIDA 4.1対応もあり)のICメモリカードスロットも初代機から搭載しています。名称としては開発コードネームの「TOWNES」から「E」の1文字を抜いて「TOWNS」にしたかったようですが、当時「Town」の商標を持っていた三洋電機との交渉の末、機種名の末尾には「S」を付け、更に必ず前に「FM」を付けることにしたそうです。そもそも、FMTOWNSはFMシリーズとなるような機種ではなく、後の「FM TOWNS MARTY」につながる「情報家電」の一種として開発していたという噂も聞きました。
 「ステレオ4オペレータFM音源6音(OPN2)+ステレオ8ビットPCM音源8音(RF5C68A・互換品)+さらにCD-DA」という強力な内蔵音源(…のわりにグレーTOWNSはアナログ系の設計がPoor)、何だか知らないけど富士通のいつもの先進性なのかフレームバッファスプライトの採用(おかげでスプライトが256×254までしか表示できないうえにVRAMを1レイヤぶんまるまる消費しますが)、CRTCをいじれば比較的柔軟に制御できる画面モード、そして640×480ピクセル/320×240ピクセルモード等における標準アスペクト比1:1の採用。とにかく、何もかもがいい意味でも悪い意味でも斬新でした。
 ◎h!FM 1989年3月号の超煽り記事からのモトローラ下げ路線への転向にはさすがに戸惑いましたが、当時はあまり活用されていなかった80386(i386DX)のプロテクトモード(ネイティブモード)が標準環境であることに将来性を感じ、1991年に自宅でバブルボブルが遊べるマシンとしてライバルのX68000とFMTOWNSの2機種を検討した結果、どういうわけか(たぶん中途半端にC言語っぽいX-BASICの斬新さについて行けなかっただけだと思います)、後者になってしまったというのは何の因果なのか呪いなのか…おかげでXM7 V3も組めたんですが。…あれからほぼ30年かぁ…。
 X68000はアスペクト比(基本的に3:2、CRTCを制御すればほぼ1:1も実現可能)を除けば当時のアーケードゲームをかなり近い感じで移植できるようなスペックでしたが、一方FMTOWNSはそれが比較的苦手で、FMTOWNS版をCSK総合研究所(CRI)、X68000版を電波新聞社が開発した「AFTER BURNER U」の出来を見れば分かるとおり、使いこなし方がわからないと散々な出来にしかならないことが後々までFMTOWNSの評価を下げることとなってしまいました。しかし、そこで終わらないのが富士通。アドベンチャーゲームにおいてはデータウエスト、アクションゲームにおいてはビングなど、他の強力なソフトハウスの参入によってゲーム向けパソコンとしても一定の地位にのぼることに成功しています。逆に「なぜか」X68000版のほうが出来が悪いゲームソフトもあったり…(だいたい移植を担当した会社がイケナイ)。なお、2021年5月20日現在、「達人王」の移植版はFMTOWNS版しか出ていません。
 その他、「宴会王(電脳商会)」、「HYPER PLANET(ダットジャパン)」など、ゲーム以外にも面白いソフトがあったし、さっきボロクソに書いた(笑)CRIもゲーム以外ではなかなかTOWNS文化に貢献するソフトを出していたり、富士通自らが発売していた「フリーソフトウェアコレクション(3までは「フリーウェアコレクション」)」という非通信環境にあるユーザでもTAKERUに頼らずにフリーウェアや同人ソフトに触れる機会があったり、一般層からアイデアを募集する「電脳ソフト 夢募集」といった企画を(2回だけ)行なうなど、思い返してみれば富士通は当時相当力を入れていたことが今でもわかります。それだけに今となってはあまり語られないマシンということが悔しくてたまりません。

 1993年末、FMTOWNSやFMRシリーズのラインナップの刷新とともに、富士通からAT互換機(笑)が発表されました。それが「FMV」シリーズです。ここによると、FMは「Fujitsu Micro」(リンク記事中では「マイコン(Micro Computer?)」になっていますが)、Vは「DOS/V」「Victory」をかけたということですが、2010年6月9日に再定義され、「Fujitsu PC Materializes your Vision」になってしまいました。個人的にはFMV-TOWNS以外はあんまりFMシリーズの括りに入れたくないし、自分にとってはやりたいことを実現するPCはFMTOWNSシリーズ(FMV-TOWNS含む)まででお腹いっぱいなのですがw
 1993年初頭に発売したFMTOWNSのオールインワンモデルである「FMTOWNS U Fresh」が上手く行ったからか、1994年末にFMVのオールインワンモデルとして発売した「FMV-DESKPOWER」がうっかり売れてしまったために、売上が伸び悩んだFMTOWNSはその1年後にFMV-TOWNSとしてFMVシリーズに統合されてしまいました。Windows 95が登場した頃のモデルは「ATうごかん機」などと呼ばれるほど互換性が取れていない状態でありましたが(2代目までのFMV-TOWNSのベースもこの問題のモデル)、途中からはごく普通のAT互換機になり、今では本当に普通のWindows PCになっているようです。NECパーソナルコンピュータの「VALUESTAR(現LAVIE)」もそうですが、「DESKPOWER」というセンスの欠片もないネーミングはFMVの意味が再定義された時に「ESPRIMO」に改称されました。同時にノート型も「LIFEBOOK」に改称しています。
 ノート型「FMV-BIBLO」は、当初「FMV NoteBook」と称していましたが、1995年に初代BIBLOが登場した後に、シリーズ名を1回改称しています。今の「LIFEBOOK」より「BIBLO」のほうが絶対かっこいいのにぃぃぃぃぃ…。こちらはほとんどのFMV-DESKPOWERと違い、比較的まともなAT互換機だったようですが、一部の個体で突然電源が落ちる問題を抱えているという噂もあり、不治痛伝説となっているとかなっていないとか…。FMV-BIBLOの派生形態として、「FMV-BIBLO LOOX(後にFMV LOOX)」というモバイルに特化したマシンがあり、実はFMV-BIBLO LOOX T60Dを持っていたのですが、弟に貸したっきり帰ってきません。

 そして問題のFMV-TOWNSなのですが、「FMV」とか「TOWNS」と名前が付くとおり、FMV-DESKPOWER+FMTOWNSといった構成のマシンです(ただし、メインとなるCPU(Pentium)が1つしかないため、同時走行はできません)。TOWNS機能としてはビデオカード機能を含めた画面回り・音源回りのほとんど、システムROMなどをPCIカード(Towns Card PCI)上にまるまるPCIマルチファンクションデバイスとして搭載し、Towns Card PCI上に搭載されているVMテクノロジー製の386SX互換CPUでその他のI/O(一部画面回り・音源回りを含む)を制御しています。解析すればするほど奥が深いマシンで、FMTOWNSとの互換性もMS-DOS,Windows 3.1,FM-OASYSがそのまま動作し、FMTOWNS用Windows 95すら一部に手を入れれば動くなどと嘘のように高く、最後にはTBIOS経由のフルカラー表示処理をフックしてフルカラー対応になったり、最近ひっそりと前倒しで販売が終了した「親指シフトキーボード」までオプションで用意されるといった徹底したサポートぶりです(逆に言うと、遅くともこの時点でPureTOWNSは富士通から見捨てられた、とも言います)。

 あと、その他にも液晶一体型のFMV-DESKPOWER Pliche(プリシェ)とか、タブレット型のFMV-STYLISTICとか、伝説のお櫃VAIOに対抗したような構成のFMV-TEOとか、いろいろと変なマシンを出してました。FMV-TEOなんかフィンフィンが出てきそうな感じで(謎)、名前で失敗しそうなことを予想させつつ実際に富士通に限らずその手のマシンはほぼ例外なく皆コケたみたいですが。

 ここで余談をひとつ。富士通の「FM」と名の付くPCは「Fujitsu Micro」・「Fujitsu PC Materializes your Vision」以外にもあり、モバイル事業部がNTTドコモ向けフィーチャーフォンに付けていた開発上の型番「FMP(Fujitsu Mobile Phone?)」があり、その中に「FMP75-VINSON」、ドコモから発表された時の名称は「Windows 7®ケータイ F-07C」となったあの伝説の『変態端末』があります。どれくらい『変態』なのかというと、「パソコンが手のひらサイズに!」というキャッチコピーの通り、厚めのキーボード付きスマートフォンのようなデザインで、FMV-TOWNSと異なり、フィーチャーフォン側とPC(Windows 7)側の2つが同時走行し、Windows 7使用中に電話がかかってきたりすると自動的にフィーチャーフォン側に制御が切り替わる仕様となっていました。フィーチャーフォンである以上、発熱は許されないとかいう理由でPC側のCPUがタダでさえ遅いIntel Atom Z605(と出てきた…) 1.2GHzをBIOS上(?)で半分の600MHzに制限して発熱を抑えるという手段をとっていましたが、それでもバッテリーが持たない始末でかなりのネタマシンと化していたような気もします。なぜかこういうのに限って高値で取引される始末で、さすがは富士通と言わざるを得ません。

 そして時は流れ、富士通のパソコン事業は富士通クライアントコンピューティング(FCCL)に移管され、現在のFCCLは株式の半分をレノボが持っている状態なので、まぁ、「FM」って名前が40年持ってよかったねとしか(ひどいwww)。

参考:Oh!FMTOWNS 1996年2月号 特集U「どこまでウソかマコトか!? 恐怖の覆面座談会」
   その他、◎h!FM・Oh!FMTOWNS・I/O・マイコンBASIC Magazineなど
   そして、当時のおぼろげな記憶wwwww

余談:FMシリーズ40周年に合わせてXM7dashのIFDC改修版の公開を検討していましたが、当日までに完成しませんでしたw

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ryu.takegami@mbg.nifty.com.
Twitter:@RyuTakegami
※精神的に強い衝撃を与えないでください。破損の恐れがあります。