MZ-40K

 MZ-40Kは8ビットのMZシリーズの前にあったまさに「ご先祖」的な存在のマシンで、SM-B-80T/TEがあくまで半導体事業の一環としてZ80のトレーニング用に設計されたのに対して、マイコンブームに乗っかっていわば「オモチャ」として発売された(と思われる)製品です。

 そう、オモチャなんです。オークションなんかに出るとわりと高額で落札されたりしますが、TK-80みたいなのを想像していると裏切られます。単にシャープとして初めてMZ型番で発売された製品である、という以上の価値はないかもしれません。たいした応用もできなければ、メーカーが設定した以上の遊び方もないに等しいのです。このページは、ある意味「MZ-40Kに過大な期待を抱く人の心を砕く」ために存在するのかもしれません…。

 アクリルとかプラスチックの部品に覆われた外観は、ワンボードマイコンのイメージを打ち砕きます。TK-80やSM-B-80TEなどのような、基板やICが丸見えというのが当時も今もワンボードマイコンの定番だったのですが…。

 これは、ケースというには甚だ簡単ですが、元々あるワンボードの雰囲気を残しつつ安全に使うための工夫がされたものだと思われます。松下電器(現パナソニック)もワンボードマイコンをケースに収めた製品(KX-33)を発売していますし、このあたりは家電メーカーならではの配慮ということなのかもしれません。

(開発した部品事業部はそれまで家電製品の経験がなかったはずなので、果たしてそれは「家電メーカーならでは」だったのかどうかは怪しいが…)

 ワンボードマイコン定番の7セグメントLEDは4桁。何の機能も使用していない状態では、LEDには時刻(時と分)が表示されています。左から2桁目の小数点が秒のタイミングで点滅します。

 多くのワンボードマイコンでは見やすくするためにLEDには色つきのアクリル板がフィルタとして被せられていたりしますが、MZ-40Kの表面を覆う茶色のアクリル板は中身を見せながらカバーの役割を果たしつつ、LEDのフィルタも兼ねているのでしょうね。


 MZのロゴは後のものと同じステンシル文字。「4」の字がちょっと違いますけど。

 それとMZシリーズには欠かせない、アルゴマークがここには描かれていません。MZシリーズの象徴であるアルゴ星座のシンボルマークがないんです。これはアルゴマークがMZ-80K発売の時に決められたものだという証拠でしょう。



 キーボードは黒地に白などの文字でそれぞれの機能が書かれています。このあたりは後年のMZ-80Kと趣を同じくする感じがしますね。キーの機能は必要最小限、但し多くのキーに音階が書いてあります。


 キーボードのすぐ上にスピーカーがあります。ブザーや音楽演奏に用いられます。TK-80なんかだと、音を出せるようにする工作だけで雑誌の記事になるぐらいの特別さがあるんじゃないかと思うのですが、標準装備にするところはさすが家電メーカー製品という感じですね。


 本体から心許なくひょろっと伸びた線の先についているのはマイクロスイッチ。雑な見た目ですが、これが正式な姿です。キーボード以外に標準装備している、外部入力機器ですね。

 しかしもうちょっとなんとかならなかったんでしょうかね…決して押しやすいスイッチじゃない(というか本来手で操作するものではない)し…。
 本体の上の方に電源部があります。これはその上の端のところからの写真。電源コネクタはミニジャックになっているのも独特です。

 横に置いてるのは付属するACアダプタなのですが、なんと出力はAC11Vだったりするんですよね。なぜかと言うと、MZ-40Kの時計機能が商用電源の交流周波に頼っているからなのです。50Hzまたは60Hzをカウントしているということですね。どちらの周波数なのか、設定する必要もあります。

 黒くて見にくいですが、AC入力ジャックの左にはスイッチ付きのボリュームがあります。ラジオなどによくある回しきるとスイッチが切れるやつですね。これがMZ-40Kそのものの主電源スイッチになっています。




 MZ-40Kの全体を眺めると左右から本体を挟んでいる橙色のパーツがとてもアクセントになっています。なんというか、オーディオ製品のサイドウッドとは違うんですが…。

 マニュアルによればこれは「ホルダー」とされている部品で、基板とアクリルの化粧板を溝にはめて左右から支えています。溝はもうひとつあって、ここに早見表を差し込んでおけるようになっています。

 ホルダーは本当に溝に板をはめてるだけで、ネジなどで固定していません。きつめの溝になっているのか、ずれたり外れたりすることはありません。


 裏返ししてみたところ。表からの見た目にこだわった割に、裏面には何もありません。早見表を入れてしまうと隠れますが…。

 中央やや上に見える白っぽい四角はヒートシンク(当時はラジエーターと呼んでた)。表にもあるんですが、放熱性能向上のため裏面にも追加したようです。マニュアルには書かれてないですが追補された紙にて改訂されています。

  松下のKX-33だと完全にケースに入ってしまうので操作上の安全性は完璧かと思いますけど、もうそれはワンボードマイコンの枠から出た家電製品ですよね。MZ-40Kではワンボードマイコンとしての無骨さを残しながら安全に使うためのバランスに配慮した…がゆえの、ケースではなく、カバーに留めたデザインなのだろうと思っています。

 次に基板をちょっと見てみます。

 ボード上で最もサイズの大きいIC、それがCPU。

 シャープのロゴこそ入ってますが、中央に薄く入った丸、長辺に走る溝という特徴的なパッケージは富士通のものですね。マニュアルにもちゃんと書いてあるのですが、これは富士通のMB8843というワンチップタイプのマイコンです。左側に寄せてあるシルクにも「8843101M」とかありますね。どういうわけだか、180度ひっくり返して(つまり右上が1番ピン)搭載されていますが…。スペックとしては、1KBのROMと64ワード×4ビットのRAMを内蔵。I/Oポートは37本あります。

 MB8843とは富士通として最初の4bitマイコンシリーズのひとつです。富士通セミコンダクターの「富士通の半導体ヒストリー」の4ビットマイコンの開発(No.35)によると、MB8840シリーズは富士通として最初のオリジナル設計によるマイコンで、しかも最初に採用されたのがこのMZ-40Kだったとしています。

 CPUの下に「デンワ」と書いてあるのは、電話料金計算用の料金設定ジャンパー線です。これは内蔵されているプログラムで単位時間あたりに加算する金額を意味していて、15円まで設定できるようになっています。その時間はキー入力で設定するのですが、金額が固定というのはちょっと融通がききませんね…。
 




 RAMです。これも富士通の製品で、MB8101です。その実体は2101、256ワード×4ビットの容量があるSRAMのようですね。なのでふたつ合わせて512ワード。

 なお、基板の表(部品面)に見えるパターン、実はレジストで描いたもので明るい色は基板の地の色が見えているだけのものだったりします。本当のパターンはハンダ面にあって、表はジャンパ線以外配線には全く関係ないんですが、表から見て部品だけだと寂しいので描いたんでしょうかね…。

 見ての通り、ジャンパー線が結構多いのですよね。片面基板なので仕方がないかとも思いつつ、でも今の感覚で見ると途中で分岐するのもいかがなものかと思いつつ…。

 後のMZやX1でも、ビデオやオーディオ基板にはあっても、メイン基板とかにはジャンパー線がないのが普通でした。MZ-40K自体、オーディオ基板レベルの設計ルールで作られているということなのかもしれません(マイコン基板としてクリティカルなところはCPUに全て収められてますからね)。



 こちらがマニュアル。ひじょうに薄いですね。内容としてはほとんどを組み立て方法の解説に終始し、使い方の説明はあまり多くありません。

 表紙の写真は、パンフでも使われているものですね。試作品なのかアクリル板が完全に透明で、部品が丸見えです。



 こちらは「使用方法早見表」、今風に言うとチートシートというやつですね。裏表に一通りの機能とその操作方法について説明してあるものです。こういう早見表は以後も特にDISK BASICなどに添付する形で続きましたね。

 さて、最初にMZ-40Kのことを「おもちゃ」と書きました。カバーこそかかっていますが、見た目は他のメーカにもあるワンボードマイコンそのものです。何がおもちゃなのでしょうか。

 まず何よりも大事な機能…プログラムを入力し実行することができません! いやキーボードにはRUNとかその他の機能が書いてありましたけど…?

 例えばマニュアル。なんとCPUの命令表がどこにも掲載されていません。なのでサンプルプログラムなんかもありません。そりゃどんな命令があるか書いてなければ、サンプルの意味なんてないですよね(PC-1250/1251のマニュアルに、マシン語の命令の解説がないくせにマシン語を使うプログラムが載ってた…とかいうのはさすがに例外だ)。

 じゃあRUNキーはなんのためにあるのかと言えば、それはCPUに内蔵されたプログラムを実行するためのものなのです。あらかじめROMにプリセットされたプログラムはあるのですね。しかしその中身をユーザーが見ることはできませんし、どこかのRAMにプログラムを書くこともできません。

 モニタプログラムをよくあるワンボードマイコンとそっくりに見えるよう作っているだけで、内部では全然違うことをしていると思われます。学研の電子ブロック「FX-マイコン」でも使われた手法ですね(あちらは架空のマシン語をインタープリタのように実行する環境が作られている分高機能ですが)。

 ここで内蔵されている機能の一覧を紹介しましょう。

機能 説明 設定アドレス 設定データ 実行アドレス
時計 秒と電源周波数の設定 A ss00(50Hz)
ss80(60Hz)
 
時と分の設定 B hhmm  
タイマー 指定時刻の設定 9 hhmm  
指定時刻到達でブザーが鳴る     8
指定時刻到達で音楽が鳴る 7 ppp 7
センサー センサー1入力のカウンタ数初期値設定、カウント表示 B nnnn 1
センサー1入力で音楽演奏 1 nppp 1
センサー2入力で音楽演奏 2 nppp 2
センサー3入力で音楽演奏 3 nppp 3
センサー4入力で音楽演奏 4 nppp 4
センサー5入力で音楽演奏 5 nppp 5
センサー6入力で音楽演奏 6 nppp 6
自動演奏 演奏データ F000〜  
演奏データ先頭番地 0 ppp  
テンポ、演奏開始 E t 0
オルガン テンキーで音が鳴る     C
電話料金 単位料金あたりの秒数設定、計数 E mmm D
ゲーム パラメータを設定し、スイッチの長押しでスタート F000〜  

 マニュアルにてできるとされていることはたったのこれだけです。用意されていること以外は全く何もできません。

 なおゲームとは

というようなものを指します。いずれも「例」として挙げられているものですが、どれもF000番地以降にあるRAMに何かの値を書込み、順番にもしくはランダムに読み出すことで遊びます。

 メッセージメモは単にメッセージをASCIIコードでRAMに読み書きするだけのものですが、他はマイクロスイッチを使ってサイコロ代わりにしたものばかりです。本体からひょろっと伸びたマイクロスイッチを押すと、READキーの押下に相当する信号が連続パルスとしてCPUに入力され、読出しアドレスがカウントアップしていきます。スイッチを押して離すまでの時間は毎回誤差がありますから乱数になりますよね。RAMにサイコロの目やルーレットの回転盤の数字や色に相当する記号を書き込んだりすれば、ゲームに使えるというわけです。

 ちなみに、メッセージメモで文字をコード化して書き込み・読んだコードを文字に逆変換…ということをしていれば、「知らず知らずに機械語に強くなります」とマニュアルに書かれています。いや違いますよね。機械語ってASCIIコードじゃないですよね。マイコンはASCIIコードを直接解釈して何かしてるわけでもないですよね。

 こういうシートが付属します。猛獣狩りとカーレースについては、具体的な例としてマニュアルに書いてあるそのままで遊べるように、道具を全て用意してくれているようです。

 「猛獣狩りゲーム」は、F000H〜のRAMの適当にばらけたところに、動物をアルファベット(というか16進数のA〜F)で読み替えて書込み、ルーレットのように回して偶然表示されたものを当たりとするもの。

 「マイコン カーレース」はほぼ双六で、イベントと数をRAMに書き込んでおいて、ルーレットのように回して表示した値に従ってコマを動かすというもの。コマは左に切り抜いて使えるものが描かれてますね(その分だけ紙幅が広い)。しかし…ほぼ双六だからって、イベントに「後退」はないよね…レース中に車が後退するの…?

 といった感じで、MZ-40Kがやっていることはルーレットでしかありません。他のゲームを遊ぶにしても、あとは人間の工夫次第…と表現するとなんかエラそうな気もしますが…まぁMZ-40Kが何らかの判断を自動でやってくれないのでは、コンピュータとしての存在意義が疑われますね。

 …まぁ確かにおもちゃですね。おもちゃと言うか「ごっこ遊び」じゃないですか。雰囲気を味わうだけで、どこにも本物らしさがありません。どうしてこんなことになっちゃったんでしょうね…?

 一つ考えられるのは、ワンボードマイコンブームが成熟してきて、ターゲットとするユーザーの裾野を広げても良くなってきたということです。今風に言うと「コモディティ化」というやつですね。ワンボードマイコンを手にする人にプロ以外も増えてきて…いや、このブームは特殊で最初からプロじゃない人が飛びついたってこともありますが…そういう人には、本物のワンボードマイコンはデリケートで難しすぎるだろうと想定して不思議はありません。

 もうちょっと具体的には、

ということが考えられるわけで。

 まず、標準価格が24800円。TK-80の廉価版、TK-80Eでさえ67000円だったわけですから破格ですね。しかもACアダプタという形で電源も付属しています。

 カバーで本体がある程度保護されていますし、ACアダプタ駆動にして添付することで特別な電源を買ってこなくてもすみます。おもちゃ屋でスイッチング電源を取り扱わないといけない…なんて必要もありません。

 後の時代にも見られたことですが、必ずしも誰もがプログラムを組むことができるようになるわけではありません。当時も相当数が、マニュアルや書籍のプログラムを入力するだけで先へ進めなかった(=自分の力でプログラムを作ることができず、放棄した)のではないかと思われます。ならば、最初からプログラムを内蔵しておけば入力する手間も省けますし、プログラムを作る必要もありません。「動かす」ためのハードルはぐっと下がりますよね。

 ワンボードマイコンの基本構成というのはLED表示とキーボードぐらいしかI/Oはありませんので、何か凝ったことをしたいと思うとハードの増設や改造が必要になります。それこそが醍醐味でもあるんですけど、ソフトよりもさらにハードは特殊技能の側面があって、誰もが易々とできるわけでもないでしょう。はんだ付けができたからと言って、ハード増設までできる保証はないのです。スピーカーや、オプションですがセンサー端子の接続口が設けられるのはその敷居も下げてくれる期待があります。

 …とまぁ、ポジティブに考えてはみましたけど、ハードル下げすぎですよね…。

 箱。半導体回路を連想させる、シリコン配線の写真の拡大図が背景にありますけど、これは後のMZシリーズにも見られた意匠ですよね。 フタにいくつかキャッチが書いてありますが…。

 「飛び出せ!マイコンの世界へ。」ってこれで体験できる世界は小さいと思うぞ。

 「楽しみながら、マイコンに強くなる」って確かに楽しめるだろうがあまりマイコンに強くなるとは思えないな…。

 "An Introduction to The Study of Micro-Computer"とも書いてありますね。マイコンを勉強するためのもの…じゃなくて、勉強の入り口ってことですかね…。

 驚いたことに、なんとMZ-40Kは輸出もされていて、もちろん後のMZシリーズのようにちゃんと現地語に訳されたマニュアルなどが添付されていました。箱は当然ですが基板のシルクからも日本語を廃して、電源も現地仕様に改められて(交流電源の周波数を時計に利用するのは同じようですが)います。オプションも同じですね。

 ちゃんと値段もついてますし販売したんだと思いますが、あまり数は出さなかった(サンプル程度)という認識もあるようです。当然ながら玩具の域を出ない商品でしたので、現地からは本格的なパソコンの販売を希望する声もあったそうです。そういうのも続いてMZ-80Kが開発されることになる理由の一つだったのかもしれませんね。


キット

 ワンボードマイコンとは何ぞや? と問うた時に、20個ぐらいのキーを叩いて7セグメントLEDに数値やアルファベットが表示されたりする…という操作イメージが強いと思いますが、その前に「キット製品である。はんだ付けして組立てる」というのもありますよね。いやあるんです。いわゆるエバリュエーションキットのはずのTK-80がなぜかフルキットだったこともあり(いや、プログラムの動かない原因がプログラムなのか組み立てミスなのかわからなかったらまずいでしょう)、ワンボードマイコンを楽しみたいと思う人が最初に出会う試練としてはんだ付けを思い浮かべるのは、そんなに不思議なことではなかったと想像します。

 MZ-40Kではプログラムを作れない、つまりMZ-40Kで遊ぶことそのものが「ごっこ」なのだとしたら、はんだ付けもその「ごっこ」を盛り上げる演出になりますよね。大人や大きい兄ちゃんたちがやってることをそっくり真似られるというのが玩具に求められている機能だったりするわけじゃないですか。昔から本物がスケールダウンしただけに見えるキッチンセットとかありましたし、近年でもノートPCみたいな知育玩具が売られていたりします。

 もちろん生産工場での組み立て後の機能確認が不要なキット製品はその分価格を下げられるというメリットもありますが、MZ-40Kがキットなのはそれだけではなかったんじゃないかな…と思っているわけです。

 そして幸いなことに、手元には未組立のMZ-40Kが1セットあったりなんかするのです。どんなものか見てみましょう。

 フタを開けると、まずマニュアル。




 マニュアルにはゲーム用シートの他に、キーラベルも挟み込まれています。これはシールじゃなくて、切り抜いて使います。

 マニュアルを取り出すと、アクリル化粧板が現れます。スピーカーやキーボードのために切り抜かれたところからは、下にある早見表が覗いています。アクリル板は半透明なので本来は早見表が全体的にうっすら見えているはずですが、裏面に保護シートがついているので不透明になっているのです。

 アクリル板を取り出すと、早見表の全体が見えます。

 早見表を取り出すと、基板が現れます。見えているのは裏面(ハンダ面)ですね。ランドが全部、銅の色をしています。最近のキット製品なら半田レベラーになっているところですが、この雰囲気はむしろ当時のラジオキットと似たような感じに見えます。

 相談窓口一覧表とユーザー登録はがき。登録はがきを送ると、解説や宣伝のような冊子?が何回か送られてきたようです。

 スチロールのシートをはがすと、部品が現れます。ここは、主にはんだ付けする対象の部品が並んでいます。



 「取扱説明書を読むまでは取り出さないでください」などと書かれていますが、この中にはマイコンとRAMが収められています。静電気対策でしょうね。その下にあるのはICソケットです。マイコンとRAMを取り出すのは最後の最後でいいようにしてあるわけです。




 7セグメントLEDと、その他のIC類。マイコンとRAMに比べるとめっちゃ雑な扱い…。





 コンデンサ。



 抵抗。リード線の先をドラフティングテープで留めて等間隔にするのは工場出荷状態っぽいんですが、あれって全部同じ抵抗値なので…これはわざわざそういう形に作ってるんでしょうかね?




 スピーカーとボリューム、そしてボリュームつまみ。





 キートップとキーカバー。透明のキーカバーにラベルを入れて使うタイプのキーボードはすっかり廃れたと思ってましたが、最近(2019年頃あたりから)自作キーボードの静かなブームでまたちょっと使われるようになりましたね。





 キースイッチ。この上にキートップがはまり、さらにキーカバーを被せてキーができあがるわけですね。


 集合抵抗、ミニジャック(電源用)、マイクロスイッチ、そしてリード線と糸ハンダなど。特に糸ハンダがセットになっているというのは、ラジオキットのノリですよね。プロならハンダの手持ちくらいあるのが普通ですから、ほとんどはんだ付けの経験のない人向けということになるんでしょう。

 ICやスピーカーなどが並んでいた発泡スチロールを取り出すと、下の階層の発泡スチロールが出てきます。こちらは主に機構部品で占められていて、キースイッチを固定するフレームや、ホルダー、スピーカーの留め具、ヒートシンク(ラジエーター)、ネジ、そしてACアダプタが収められています。


アーキテクチャ

 プログラムが組めない時点でアーキテクチャもなんもあったもんじゃないですが。

 「マイコン読本」(佐々木正監修、エレクトロニクスダイジェスト刊)という本があります。

 手元にあるのは初版第三刷(1979年5月20日)なのですが、内容的にもMZ-80Kの発売直後ではないかと思います。

 この本はマイクロコンピュータのあれこれを、論理回路の基礎、メモリやI/Oの役割、命令の働き、プログラミング、そして応用と全般にわたってメーカーやアーキテクチャに限定せず解説したものです。マイコンの入門書としては理想的な内容なのですが、さて果たして当時としてはこれで良かったのかどうか…。まずはマイコンボードを買ってきて、それで動かせるプログラムの作り方を勉強してみるというのがもう一般的だったでしょうから(まだまだ数は少ないけれど)、「具体的にどうするか」を目指していながら具体的な方法がわからない本になっているような気がします。

 そういうマイコンそのものの解説の後に、付録としてMZ-40KとMZ-80Kに関する情報が掲載されています。特にMZ-40Kに関してはマイコンの応用製品との位置づけで、各機能がどのような仕組みで動いているのか・どのようにマイコンの機能を利用しているのかという解説が30ページ強にわたって解説されています。

 例えば、MZ-40Kのシステムブロック図はこのように描かれています。

 おそらく、仕様書に描かれていたであろうブロック図をイラストとして描き直したんだろうと思います。描いてある内容は正確です。

 使われているマイコン・MB8843はワンチップマイコンですから、外部にメモリを接続するための信号はありません。いわゆるGPIOをメモリバスのように動かしてアクセスする格好になります。そして、メモリの他にLEDやキーボードのアクセスも同じGPIOで行っているので、なんとなくメモリマップドI/Oみたいな感じなのかなとブロック図を見てると思うのですが、そもそもGPIOなのでそういう話ではないということなんですよね。

 MB8843のブロック図もあります。

 こちらも、マイコンのマニュアルにちゃんとしたものがあったはずなんですが、イラストで描き直されていますね。

 マイコンのブロック図にあるRAM、1ワード=4bitとしての64ワードの使い方らしき表が、また別のページにありまして。

  0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 A B C D E F
0 コントロール用エリア タイマ設定時間 時計
時間 ミリ秒 時間
1 コントロール用エリア テンポのデータ ソフトカウンタ データ一時レジスタ
2 条件なしの自動演奏 センサ#1による音楽 センサ#2による音楽 センサ#3による音楽
開始アドレス 回数 開始アドレス 回数 開始アドレス 回数 開始アドレス 回数
3 センサ#4による音楽 センサ#5による音楽 センサ#6による音楽 タイマによる音楽
開始アドレス 回数 開始アドレス 回数 開始アドレス 回数 開始アドレス 回数

 使い方の例として掲載しているつもりのようなのですが、これ絶対MZ-40Kで本当に使われているメモリマップですよね…? もちろん本物ではない可能性があるのは確かなんですけれど、もし単に例を示したかっただけならMZ-40Kの機能を連想しない内容にするでしょうし、仕様書から引っ張ってきた方が楽ですしね。

 とするとですよ、やっぱり各機能を使うためにキーボードから入力した設定アドレスとかと合わないんですよね。あのアドレスはやはり便宜上のものであって、ユーザーは仮想のメモリやレジスタをいじっているという解釈が正しいように思います。

 その他にもキーボードがマトリクス回路になっていて押された情報をどう取り込むようになっているのかとか、音を出す仕組みとか、時計やタイマがどう動くのかとか、MZ-40Kの全ての機能について「どのように実現しているか」をイラスト付きで解説しています。しつこいですがプログラムが組めないのですから、アーキテクチャについていくら解説されてもあまり有り難みが感じられないのですが…むしろMZ-40Kを作った人達の備忘録みたいな?

 そうそう、付録にあるMZ-80Kに関する記述とは「拡張スタートレック」と題したゲームの解説とBASICの全リストでした。これは使えない演算子があるとか(チェックしたけどわからなかった)、一部にバグがあるということで、福島憲一氏が月刊マイコンの連載「パーソナルコンピュータMZ-80K徹底活用」にてデバッグ&改良(音が出るようになった)し、そこで仕込まれたバグを取ってさらに改良したものがシャープ純正ソフトとしてリリースされています。


MZ-40Kによくある誤解

 シャープのMZシリーズはMZ-80Kがヒットしたことで有名になった…という事情もあって、MZ-40Kについてよく知らない人達が想像で言ってることを何の拍子かで本気にしてしまい、そのまま広まってしまった誤解がありますorありました。ちょっとここで解説しつつ、誤解を解いておきましょう。

 TK-80→TK-80BSという流れみたいに、ワンボードマイコンであるMZ-40KがシステムアップしてMZ-80Kになったみたいな発想でしょうか? ワンボードマイコン=TK-80ぐらいの印象だと、8bitマイコンでプログラムが組めて…というのを当たり前に考えてしまいがちですが上で見たとおりただのおもちゃ。あるいはエム「ゼット」と言うからにはザイログのCPUが使われているはずだ…という推測なんですかね?
 さすがに4bitマイコン採用だということは知っていたようです。ですが、4bitマイコンって4004しかない…なんてわけありません。小規模組込みシステムにはチップ単価が安い4bitマイコンを使うのが普通で、半導体部門でマイコン事業をやっている会社なら4bitマイコンだけで10〜数十種類のラインナップを誇ったりしていたものでした。
 「Microcomputer Z-80」だから「MZ-80」なんでしょ、というのは誰でも思いつくところですが、それだけに「違うよ」と言われるとなかなか納得しがたいものがあります。でも確かに、MZ-40Kが先にあったらZ80を前提にしたネーミングはあり得なさそうな気もしてきます。そしてMZ-40Kを開発していた時期には8bitパソコン開発計画など影も形もありませんでしたし、パソコン開発計画の開始当初はZ80を使うことさえ決まっていなかったと聞いています。信じがたい話ですがその状況で後に「MZ-80」なんてシリーズを作ることになるとか出来すぎですよね…。
 MZという型番について、関口和一著「パソコン革命の旗手たち」(日本経済新聞社刊)には次のような記述があります。
「名前を『MZ』にしたのは以前、電子部品部門で『MZ-40K』という風呂ブザーを発売したことがあり、たまたまそのコード記号が空いていたからである」
 これはMZ-80K開発のエピソードに添えられた文章です。「電子部品部門」というのは正確には部品事業部のことを指します。この文章をそのまま解釈すると、以前ワンボードマイコンではなくお風呂ブザーとして「MZ-40K」という製品を売っていたことがある…ということになってしまうのです。だいたいにおいて、よっぽど昔ならともかく、以前発売した商品と全く同じ型番で新製品を出すわけないじゃないですか(「よっぽど昔」に部品事業部は存在していない)。
 私の聞いている限り、商品として売るために型番を登録する必要があって、「MZ」というのが空いていたのでそれを選んだ…ということであって、それ以上「盛る」要素はありません。昔風呂ブザーだったものを転用したとか、わかりやすい面白エピソードなのにそんなこと一言もありませんでしたしね。
 推測するに、MZ-40Kを簡単に説明してもらった中にあった風呂ブザー機能(オプションのMZ-40K1でサポートされる)のことが、取材メモの不備かなんかでMZ-40Kそのものと誤認し、上記のような文章になってしまったのではないでしょうか。実は「パソコン革命の旗手たち」という本にはあちこちに事実誤認の記述がありまして…これもその一つのようなのですよね。風呂ブザー説も事実誤認と断定して良いと思います。
 ちょっと余談ぎみですが、最近気づいた話。
 2020年初頭からの新型コロナウィルス肺炎(COVID-19)蔓延の影響でマスク不足となったことに対応して、シャープが補助金を得て使い捨てマスクの製造に乗り出したことが話題になりました。この時のマスクの型番が「MA-1050」だったので、なんとなくMZを連想したりした人が続出しました。
 その「MA」というのは何なんだろうねぇとか考えた時に、もしや古い製品にMA型番のものがあるかもしれないな…と思いちょっと探してみたのです。そしたらなんと、ある意味ズバリなものを発見しました…。
 電子体温計と、電子血圧計。そうですよ、どちらも電子化されて画期的だーってブームになりました。シャープも出してたんですね! これはノベルティとかで社名や記念名などの刻印をつけるサービスに対応した製品のカタログなんですが、何度も見たのにすっかり忘れてました…。電子黒板が出てきた時も同等製品を売ってみたり、とにかくブームに乗っておこうという根性は見上げたものがあります。
 ここで、電子体温計の型番はMT、電子血圧計はMBとあります。MTのTはbody Temperature、MBのBはBlood pressureの一文字から取ったんでしょうね。なんとなく医療用製品は伝統的にMで始めるルールがありそうな気がしてきます。1978年当時に医療用製品はなかったんじゃないかと思いますが、型番に関するガイドラインのようなものぐらいはあったかもしれませんね。部品事業部の人達は、どうせシャープで医療用製品とかまず出ないだろうし、出たとしてもAから使い始めたらZまでなかなか到達しないと思うので、Zを用いて「MZ」という型番を使うことにした…みたいなことがあったのかもしれないなぁと想像しています。

i4004異聞

 話が脇に逸れます。先ほどの「マイコン読本」に興味深い内容がありました。

 世界で初めてのマイクロコンピュータと言われるインテルの4004、その開発ストーリーはだいたい次のように語られています。

  1. ビジコンがインテルと電卓用LSIの開発委託契約を結ぶ
  2. 嶋正利氏らビジコンの技術者が渡米しインテルの担当のテッド・ホフ氏にソフト駆動方式の電卓用LSIについて説明するが、あまり真剣にとりあってくれない(インテルとしてはその規模の大きさに尻込みしていた)
  3. ある日ホフ氏がマイクロ命令による画期的なマイクロコンピュータのアイデアを思いつく
  4. 嶋氏らは面食らうが、悪くないアイデアなのとビジコン本社がゴーサインを出したことで方針転換する
  5. 嶋氏が論理設計を行い、ホフ氏と交代でチームに加わったフェデリコ・ファジン氏がマスク設計を担当し、4004が完成した

 「4004が世界初のマイコンとか、本当の本当は違うよね?」という話は本題ではないのでよそでお願いします。ビジコンがアメリカの半導体メーカーと契約したのは、まずシャープが米ロックウェルに電卓用LSIを大口で発注しそれが莫大な利益をもたらしたことがきっかけとなって、米メーカーと日本の電卓メーカーとが積極的に接触する流れの中で結びついたものでした。

 「マイコン読本」の中で、その前日譚が紹介されています。
 1970年、インテルのロバート・ノイス社長がボブ・グラハム氏(マーケティング担当重役)と共に奈良のシャープを訪れ、電卓用LSIを発注してくれないかと申し入れがありました。当時はまだシャープにはロックウェルとの専属契約があったのでインテルに発注することはなかったのですが、佐々木氏とノイス氏はインテルの商売の方向性について議論したそうです。

 これより前、シャープでは技術発展の方向性として二つの意見があったとされています。ひとつは1個のLSIの規模がますます大きくなり、高機能化していくというもの。もうひとつはLSIが機能ごとに分裂し、集まってシステムを構成するというもの。さしあたり、シャープでは前者の「一つのLSIを大規模・高機能化していく」という方針で進めていました。

 佐々木氏はノイス氏との議論で、アメリカがソフトウェアでリードしているのだからと、シャープが選択していない「分裂して単機能化されたLSIがシステムを構成する」方を勧めました。この訪問の後、ノイス氏とグラハム氏は東京のビジコンを訪問し、小島社長と意気投合してLSIの受注に成功します。

 佐々木氏は、ノイス氏に授けたマイクロコンピュータのアイデアを、インテルがビジコンと共同で実現したのだ…と言うのです。さっきのストーリーもこんなふうに変わってしまうことになります。

  1. インテルのノイス社長らがシャープを訪問
  2. シャープの佐々木氏がノイス氏にコンピュータシステムをマイクロ化するアイデアを授ける
  3. ノイス氏らがビジコンを訪問、電卓用LSIの開発委託契約を結ぶ
  4. インテルではホフ氏をビジコンのビジネスの担当に指名、佐々木氏のアイデアを伝える
  5. 嶋正利氏らビジコンの技術者が渡米しインテルの担当のテッド・ホフ氏にソフト駆動方式の電卓用LSIについて説明するが、あまり真剣にとりあってくれない(ビジコンの要求を佐々木氏のアイデアでどう実現するか検討していた)
  6. ようやくホフ氏がマイクロ命令による画期的なマイクロコンピュータのアイデアをまとめ、嶋氏らに披露する
  7. 嶋氏らは面食らうが、悪くないアイデアなのとビジコン本社がゴーサインを出したことで方針転換する
  8. 嶋氏が論理設計を行い、ホフ氏と交代でチームに加わったフェデリコ・ファジン氏がマスク設計を担当し、4004が完成した

 ソフト駆動方式によって同じハードで多種の電卓を開発する…というアイデアはビジコンのものであって、インテルがそれをマイクロ化したというのが正史となっています。が、実はビジコンに提示されるまでもなくインテルは既にそのアイデアを持っていて、しかもそのアイデアの元はシャープのものだった、と…。

 嶋氏の著作「マイクロコンピュータの誕生 我が青春の4004」(岩波書店)によると、ホフ氏のアイデアがどこから来たのかを後に何度も訊ねたのですが、結局答えてもらえなかったとのことでした。嶋氏の推測ではスタンフォード大学のコンピュータ研究所に所属していた頃IBM1620という加算回路がないコンピュータに触れる機会があったからではないかとしているのですが(IBM1620で加算をするには足す数・足される数が検索キーになっている表を使用するらしい。そこから時間がかかっても繰り返せば答えが得られるなら回路の削減が可能になるとの発想が生まれた、という推測)…もし元はシャープのアイデアだったとしても、自分やインテルの手柄にしたいと考えていたらそんなことは言えなかったでしょうね。ホフ氏の後の述懐でも、4004に対するビジコンの貢献はキッカケ程度にすぎない、インテルが自分で作ったのだという内容になるくらいですから…。

 もちろん、佐々木氏に言われるまでもなくノイス氏だって同様のアイデアを持っていた可能性はあります。だとしたら佐々木氏との議論は、啓示を受けたというより同様の意見を聞いて意を強くしたということになるでしょう。

 それこそその場でつぶさに見ることができなければわからない話ですね…それぞれの視点に立つと同じ事実が如何様にも解釈できてしまうということなのでしょうが…。


部品事業部とMZ-40K

 ここからは、資料と証言からシャープがなぜMZ-40Kを発売するに至ったかを考えます。なにしろ、雑誌や書籍などにて「MZ-80Kの前にMZ-40Kというワンボードマイコンがあった」と簡単に触れる程度で、その経緯は一切語られていないのです。なのでかなり推測が混じってしまうことを最初にお断りしておきます。

 MZシリーズはシャープのパソコン事業部ではなく、本来コンピュータとは直接は関係しない部品事業部によって産み出されたことは、そろそろ衆知のことかと思います。コンピュータの専門家ではない人達がコンピュータ製品を作ってしまうのは意外な気もしますが、当時はオフコンならともかく一般向けのコンピュータが商売になるとはとても考えられなかったのと、どのメーカーもそれぞれのお家事情の都合でコンピュータ以外の部門がコンピュータに手を出しており、業界として共通の現象となっていました。

 例えばNECや富士通は半導体部門が、日立は家電部門がパソコンを発売しています。コンピュータとしてはオモチャだし、かといって家庭用には複雑すぎる製品はサポートが面倒すぎると、コンピュータ部門の人達は思っていたようです。インテルの4004の開発に嶋正利氏と共に携わったフェデリコ・ファジン氏は、インテルのコンピュータ設計技術者募集の面談時に極小サイズのコンピュータを作ると聞かされ「そんなこと誰もやってない、絶対面白い」と喜んだそうなのですが、他の応募者は「バカにするな」と怒ったりした人もいたそうです。洋の東西を問わず、妙なプライドを持たず、既成概念に囚われない人達がマイコンの商売に取り組めたということなのでしょう。

 さてシャープの場合はどうなのか。

 シャープの部品事業部は大阪本社にありました。元々は本社のテレビ事業部の一部で、1968年に栃木工場の竣工に伴いテレビ事業部が移転した際に、本社工場でも引き続きテレビの生産をすることになっていたために分離して大阪に残されたのが部品事業部というわけです。

 部品事業部の仕事は名前から連想されるとおりの量産用部品の調達と、いわゆる生産技術(工場で使用する治具などを開発したり、生産ラインを技術的に支援する)とがありました。それまでは社内向けにのみ仕事をしてきたのですが、とある理由から部門としての利益を増大させる必要に迫られ、一般向けの商品を作って売る…つまり外販を検討するようになりました。その第一号こそが、MZ-40Kというわけです。

 部品調達を通じた他社メーカーとのつながり、そして生産技術で培った開発力を生かせば、大抵のものは作れる自信があったのではないかと思われます。おそらくいろいろな可能性を検討したのでしょうが、いくらブームだからと言ってテレビ事業部由来のグループがマイコン商品を作るというのは解せません。もちろん本体が総合電器メーカーゆえおおよそ考えられる選択肢は既にどこかの部署が製品化してそうだという事情はありますが…この辺りを断片的な情報から推察してみると…。

 部品事業部はテレビ事業部から分かれた組織ですが、一段上の括りで言うと電子部品事業本部に属していました。電子部品事業本部には半導体を手がける部門もあって、そこではザイログからセカンドソース権を購入したZ80、オリジナルの4bit/8bitマイコン、そして開発支援装置を作っていました。

 1978年1月頃ではないかと思うのですが、電子部品事業本部の定例会合かその議事録などにて、同じ事業本部に所属する半導体応用事業部がZ80の販促のためトレーニングマイコンボードを開発・販売することを、部品事業部の幹部が知るところとなりました。

 ここでいうトレーニングマイコンボードとは、後に「SM-B-80T」と「SM-B-80D」として発売されたものを指します。1976年に発売されたNECのTK-80が、プロ用の製品ではありましたが啓蒙も兼ねてコンシューマ向けにも発売したところ、ブームを巻き起こすほどの大ヒットとなりました。こういうものはプロに使ってもらえればいいのでコンシューマにも売る必要はなさそうにも思いますが、今まで自動化など考えたこともなかった業種にマイコンという物を知ってもらうには回路技術者にだけアピールするのでは十分に目的を達せられないということだったのでしょう。後に言う「フィジカルコンピューティング」ムーブメントを自ら起こそうということになるでしょうか。

 おそらく、半導体応用事業部はコンシューマ向けに製品を開発するノウハウというか、社内ルールも含めた必要な手順を把握しているわけではなかったのではないかと思うのです。外販のやり方は、プロジェクトを進めながら勉強します…という半導体応用事業部にシンパシーを感じた部品事業部が、「いっしょに勉強させてほしい」と頼み込んだのではないかと私は推測しています。推測としては込み入ってますが、以下に挙げるいくつかの例の背景を考えると、少なくとも部品事業部が、SM-B-80Tなどの製品やその販売準備についてMZ-40Kやその後の製品の参考にしたのは間違いないだろうと思われるからです。

 SM-B-80TEの時代では基板にゴム足付きの支柱を立てるという、どこのメーカーの製品でもよくあるスタイルになったのですけれど、SM-B-80Tの時は少し違いました。サイドホルダと呼ぶプラスチックの部品を基板の側面に取り付け、それを支えに机から浮かせたのです。このサイドホルダは上下に連結できる機構があって、それを利用してSM-B-80T/GTなどと積み重ねて使えるようになっていました。
 サイドホルダは基板にネジ留めなどはせず、はめ込んで固定します。それと全く同じ仕組みで固定するのがMZ-40Kのホルダーです。一番上のスモーク板とセットでの取り付けですが、まぁそっくりですよね。しかも、どういうわけか色が同系統なんですよ。

 松下のKX-33は完全にケースに収納されているスタイルで、基板に容易に触られたくないという意図が見えるわけですが、同様の意図があるとは言え完全に隠してしまうのは面白くない、と部品事業部は思ったのでしょう。ではケースに入れずにカバーするにはどうしたらいいか?
 と思った時にSM-B-80Tのサイドホルダのことを知ったので、仕組み的にこれを流用しようと思った…のではないかと推測しています。
 SM-B-80Tのロゴって、いわゆるステンシル文字なんですが、言うまでもなくMZシリーズに使われたロゴ文字と同じですよね。このためにSM-BシリーズがMZと同じ開発者/開発部署によって作られたとか、MZ-80Tというワンボードマイコンがあるとか、ひっそりと誤解がなくならなかったりするわけですが…実態は逆でしょうね。おそらく半導体応用事業部がデザイン部にロゴを依頼し、できたものを部品事業部も使わせてもらった、ということだろうと思います。
 そう言えば、ステンシル文字だけじゃなくてシャープロゴとその下の「Micro Computer」という文字と間の線の配置も同じですね。そもそも似たような雰囲気の製品ということもありますが、こういうのが合わせてあるとシリーズ化されている製品みたいな感じもしてきます。
 これはむしろ反面教師にしたというか、プロ用のワンボードマイコンでは応用範囲が広すぎて初心者には難しすぎるので、思いっきり割り切ってオモチャを作ることにした…という話ですね。ただしこれに関してはSM-B-80Tを見てと言うよりはTK-80など他社のマイコンボードを見て考えた可能性の方が高い気もしますが。
 ただ割り切り方がすごいですよね。プログラムを組めなくしてあらかじめ組み込んだものしか使えなくした、操作してる雰囲気だけ残した、電源はACアダプタ…って、もし半導体応用事業部と相談しながら作っていたとしたら、彼らはどうアドバイスしたんでしょうか。賛成? 反対?
 これらのパンフレット、レイアウトデザインがよく似てると思いませんか?
真ん中に製品写真があって、アピールポイントを周囲に配置しているデザイン。SM-B-80TとMZ-80Kとを比べれば、上辺にキャッチコピーを帯で入れている点も共通です。パンフレットとしては古典的と言えるのかもしれません。そうであるとしても、部品事業部がパンフを作る際に、SM-B-80Tのものを見てデザイン部に「ああいうのでいいから」と注文をつけた可能性はあると考えています。
 と言うか、部品事業部がデザイン部と交流を持つきっかけがどこかに必要なんですが、半導体応用事業部に紹介してもらったとか、一緒に訪問したとかありそうな気がするんですよね。半導体応用事業部はどうかわかりませんが、少なくとも部品事業部はそれまでデザイン部と縁が無かったはずだからです。

 しかもです。MZ-40KとSM-B-80T/80Dの発表日がかなり近いらしく(オーム社刊エレクトロニクス誌1978年8月号にひとまとめにされたニュース記事がある)、これらのプロジェクトは同時に並行して進められていたと推測できます。片方がもう片方のすることを参考にするならそれは完成品ではなく開発途中・作業途中のものを見ることになるでしょうし、そういうのを煩わしく感じないためにはあらかじめ何らかの取り決めを部署間でしておく必要があるでしょう。
 その取り決めというのが、「外販に必要な作業について一緒に勉強をする」「マイコンについて教えてもらう」ということではなかったかと、思うわけです。

 こうして部品事業部初の外販製品であるMZ-40Kが完成したわけですが、結果はご存じのとおり売れ行きとして芳しいものではありませんでした。収益増にはあまり貢献しなかったのではないかと思われるのですが、しかし外販事業は継続されます。何か見込みや手応えがあったのでしょうか? やっぱり慣れないことはするもんじゃないとかいう話にはならなかったのでしょうか?

 実はMZ-40Kは、部品事業部にとって収益改善の救世主ではなく、もっと良い商品を作るために勉強をするためのプロジェクトであってよいという割り切りがあったのではないかと思うのです。もちろん売れてくれれば嬉しいのですが、外販は素人なんだし、失敗は織り込み済みだったのではないか…と。

 そういうシナリオを書いた、あるいはそう割り切った人物とは誰なのでしょう。MZ-80Kの開発を率いた中西馨氏は、MZ-40Kについて妙に他人事のような口ぶりを示しますし、マイコンに関わり出すのもMZ-40K以降の話のようなのですよね。とすると、より決定権の強いであろう上司のK課長(当時の役職)でしょうか。K課長こそ、中西氏にマイコンやBASICの勉強を促し、パソコン開発キックオフ会議よりも前にデザイン部に電話して根回しするような、策士のような人物(と伝え聞きます。直接お会いしたこともありますが)。

 シナリオはともかくも、今儲けが出なくても大丈夫、勉強の時間は終わったからこれからが本番です…と開き直れる胆力がないと、MZ-80Kが世に出ることなどなかったのは間違いありません。まさに陰の功労者というわけですね。


昔の話

 私のMZ-40Kとの出会いは、1980年に阪神尼崎駅から徒歩10分くらいのところにあるMTK電子というマイコンショップが最初でした。ここは後に富士通専門店に衣替えするのですが、当時はシャープ専門店で2階には4〜5台程度のMZ-80(確か80Cだったような)を並べてパソコン教室を設けるなど充実していました。同じ2階にはApple][なんかも売っていました。自由に触れるようになっていて、私が最初にBASIC言語を学んだ書籍「BASICで広がる世界」(柏木恭忠著、CQ出版社)がApple][を使用したものだったことから、「これかぁ〜」などと感心していたものです。

 この店の1階の窓際にショーケースだったか低い書棚があって、その上にMZ-40KがMZ-40K2とペアで置いてありました。電源が入っていたかどうかは記憶にありません。がその特徴的なキーボードを見て、すぐにこのボードマイコンが音楽演奏をを得意とするのだろうとわかりました。やはり色のPC、音のMZというのは初代から受け継がれていたわけですね…(もっともそれもPC-6001が出るまでだったが…)。

 その次はそれから2年後、某学習塾の企画による代々木国際青少年センターでの合宿研修の際に、観光ということでバスに乗って訪れた九段の科学技術館のコンピュータのコーナーにMZ-40Kがあるのを発見しました。展示用の金属のケースに埋め込まれてLEDとキーボードしか見えなかったのですが、側にある鍵盤状に並べられたキーからMZ-40Kであるとすぐわかりました。

 横には使い方ということで「これらを全て正しく入力すると、マイコンがオルガンになります」てな感じで20ステップくらいのキー操作の方法が書いてありました。私は喜んでそれを入力し、見事にオルガン機能を再現してみせたのですが、入手したMZ-40Kに付属のマニュアルを見てみたところでは、どうも騙されていたみたいです…。なお、それから15年して科学技術館に行ってみましたがそのコーナーはすでに場所を移動ししかも内容をがらりと変えてしまってました。改装のときに捨てちゃったかな…。

 以後ほとんどMZ-40Kのことを忘れていたのですが、ふと思い出して探したところヤフオクなどで発見し、入手した次第。特にヒットしたわけでもなかったので、どんなものか説明している本も雑誌もネットもなく、出る度に高騰してしまうんですよね。なんとか不動品だったものを落札し、修理して動かせるようにしました。当時のヤフオクはシステムのサポートが落札までで入金報告や送り先の通知などをメールで行っていたわけですが、修理に成功した旨の報告をしたところ、うっかり壊して修理したが動かないままになっていたという思い出が掘り起こされたというエピソードがあります。

 MZ-40Kについては以前より過熱しなくなったかと思いますが…このページが役立ってたとしたら嬉しいな…。

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